大原美術館:『受胎告知』エル・グレコ②

大原美術館
エル・グレコ(1541-1614)
『受胎告知』1590頃―1603

「受胎告知」の日はいつなんでしょう?筆者はあまり意識したことがなかったのですが、どうやら3月25日とされているようです。クリスマスが12月25日なので、その丁度9カ月前というわけです。この絵『受胎告知』の季節は春だったんですね。そうなると、画面中央の激しい光は春雷(ヨーロッパでも春雷あり?)をイメージしたものかもしれませんね。受胎告知の場面では、天からの光(光線)と共に精霊の鳩が描かれることが多いのですが、大原美術館の『受胎告知』の雷のような劇的な光はなんとも迫力があります。

      

大きな翼をもった天使は大天使ガブリエルです。大天使なので、かなり上位の天使なのかと思いがちですが、実はそうでもないようです。天使にも階級があって、上位(熾天使、智天使、座天使)、中位(主天使、力天使、能天使)、下位(権天使、大天使、天使)となっています。なんと階級的には下位で、下から2番目の天使みたいです。ちょっとびっくりです。
大天使は、三大天使、四大天使、七大天使等色々言われるようですが、キリスト教では三大天使(ミカエル、ラファエル、ガブリエル)が特別のようですね。
ミカエルは正義の勇者、天使の長👇

ルーブル美術館
ラファエロ・サンティ(1483-1520)
『悪魔を倒す聖ミカエル』1518

ラファエルは人を心身ともに癒す天使👇

アカデミア美術館
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490年頃-1576)
『大天使ラファエルとトビアス』1512年―1514年頃

そして大天使ガブリエルは、神のメッセンジャーでした! どうりで天から受胎を告知しにやって来るわけですね。

      

マリア様の手に本が見えますね。何の本なんでしょうか? 通説はやはり聖書です。イエスが登場する前の聖書が旧約聖書、イエスが登場する聖書が新約聖書なので、旧約聖書を読んでいるということになりますね。では、どの部分なのか?「イザヤ書」第7章14節と言われています。
※キリスト教ではインマヌエルをイエスキリストと解釈しているようです。

それゆえ、わたしの主が御自ら
あなたたちにしるしを与えられる。
見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名をインマヌエルと呼ぶ。
「イザヤ書」第7章14節

聖書 新共同訳

ちなみに、ルネサンス期の西欧では読書するマリアが好んで描かれたようですが、東方の伝統では糸を紡ぐマリアが主流だったようです👇

アッピアーノ城付属礼拝堂フレスコ画
『受胎告知』1200-1210年
パリ国立図書館蔵
「受胎告知図」コプトの聖書エジプト12世紀 


美観地区:井上家住宅西側の石畳

井上家住宅は、2002年(平成14年)に重要文化財として国から指定されました。保存修理工事が2012年(平成24年)から開始され、長い間シートに覆われていました。やっと姿を現したのが2023年の春で、2023年3月19日(日)13時から一般公開されました。

「300年の時を経た倉敷最古の町家」です。

チラッと左下👆に写る、石畳に注目です!

井上家住宅の西側です👇

奥へ進んで行くとこんな感じになっています👇

石畳の間はコンクリートで舗装されていますが、平らな石が凸凹することなくきちっと並べられているのが分かるでしょうか?聞いたところによると、ここの石畳は当時のままだそうです。当時というのがいつの時代を指すのか不明なのですが、荷車がここを通っていたことは確かだと思います。

過去記事(倉紡製品原綿積み降ろし場跡とセンダンの木)で路地を紹介したことがありますが、ここの路地の石畳は過去にアスファルトで舗装された歴史があります👇

ほぼ平らに石を敷き直してはいますが👆、井上家住宅の西側の石畳と比べると、若干凸凹しているのが分かると思います。

井上家住宅はもちろんのこと、井上家住宅の西側に位置するこの石畳もぜひご覧になっていただきたい。当時荷車がここを通っていたんだなぁと感じることができると思いますョ(^-^)

倉敷美観地区:倉敷春宵あかり2024

今年も始まっています!

    

筆者は初日に行ってみました。結構な人出でした。
昼間と夜では雰囲気が随分違うので、見比べてみてください👇

        

     

        

    

    

    

和傘や行灯(あんどん)、風船には全て柄がついているので、夜だけでなく昼間の姿もなかなか見応えがありますョ(^-^)

        

2024年3月9日撮影 ライトアップされたセンダン

大原美術館:『静物』ヴラマンク

筆者はまだ実物を見たことがありませんが、大原美術館所蔵作品のようです。

大原美術館
モーリス・ド・ヴラマンク(1876-1958)
『静物』1922

【鑑賞の小ネタ】
・第一次世界大戦後の作品
・フォーヴィスムから離れる
・暗めの色彩に移行

過去記事(大原美術館:『サン=ドニ風景』ヴラマンク)で紹介した作品とはかなり様子が異なる作品です。

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大原美術館
モーリス・ド・ヴラマンク(1876-1958)
『サン=ドニ風景』1908

同じ画家が描いたとは思えないですよね👆
『サン=ドニ風景』と同じ頃描いた静物画がこちら👇

個人蔵
『緑色のテーブルの上の静物』1907

今回取り上げた作品『静物』と比べてみて下さい。机、皿、果物と共通するモチーフが描かれていますね。でも、色彩、描き方等が随分違います。フォーヴィスムの画家で知られるヴラマンクですが、この頃の画風はセザンヌの影響をかなり受けていることがよく分かります。

第1次世界大戦(1914年~1918年)後、ブラマンクはパリを離れ、郊外へと住まいを移しました。その地で村の風景や花、静物を多く描きました。そして、大原美術館の『静物』のような画風に変わったのはこの頃のようです。『静物』1922年と同じ頃に描いた村の風景画がこちら👇

ポーラ美術館
『雪』1920-1922年頃

筆のタッチや暗い色の感じが大原美術館の『静物』1922によく似ていますね。ヴラマンクは第一次世界大戦の兵役にも就いていたので、そこで何かが大きく変化したのかもしれません。

ヴラマンクは自由を好む人だったようで、あらゆる伝統や教育を拒否したそうです。16歳で家を飛び出し、18歳で結婚。自転車選手をしたり、オーケストラでバイオリンを弾いたりして(※ヴラマンクの親は音楽教師)生計を立てました。絵画についても自由で、ほとんど独学だったといいます。セザンヌやゴッホの影響を少なからず受けながらも独自の画風を確立した画家だったようです。

大原美術館:『小径』ラールマンス

家族でしょうか。犬もいますね。

大原美術館
ウジェーヌ・ラールマンス(1864-1949)
『小径』1918

【鑑賞の小ネタ】
・ベルギーの画家
・11歳の頃より聴覚に障害あり
・表現主義のスタイルを取り入れる
・45歳の頃より視力に障害が出始める

若い夫婦と子どもが2人に犬一匹。幸せな家族の絵、と言いたいところですが、なんだか暗い…。3人とも目線が下だからでしょうか?犬は正面を向いてますね。長女らしき女の子が花を持っていることで、ちょっとホッとするような気もします。

筆者の第一印象は、まぁるいな、でした。
こんな感じです👇

全体的に暗い印象の中、家族がまぁるくかたまっているように見えたのです。貧しいながらも、家族みんなで慎ましく生活しているのではないかと。

似たような家族の絵をいくつか見つけました👇

ドント・ダーネンス・テ・ドゥルレ美術館
『屑拾い』1914

母親と娘二人、服の色などから、モデルは同じ家族ではないかと筆者は思っています。父親がいないなぁと思って見ていたら、後ろの方にいました。大きな袋を背負った男性らしき人物が後を追うように付いて来ています。作品名が『屑拾い』となっているので、やはり、貧しい家族の絵なのかもしれませんね。

ラールマンスは、当時流行していた象徴主義(人間の精神性や夢想などを、神話などを用いて象徴的に描く)に憧れた時代もあったようですが、貧しい人々などの社会的なテーマを描くようになり、表現主義(感情を作品の中に反映させて表現する傾向)のスタイルを取り入れたとありました。

11歳から聴覚に障害を持ち、45歳頃から視覚にも障害が出始めたラールマンス。45歳というと、1909年頃になります。大原美術館の『小径』の制作年は1918年なので、既に視覚障害があったということになります。聴覚も視覚も不自由となると、厳しい晩年を送ったことが予想されます。

ラールマンス自身と目の前の貧しい家族の内面が、何かしらシンクロしたのかもしれませんね。ちなみに、ラールマンス自身は、ベルギー(ブリュッセル)の裕福な家に生まれています。

こちらの家族も、『小径』の家族かもしれませんね👇

『夏』1920

『小径』の犬と同じような犬がいます。子どもも二人の女の子。父親がいない代わりに、大人の女性がいます。雰囲気的に、どの人物もリラックスしているので、筆者的には血縁関係のある親族とふんでます。母親の姉か妹といったところでしょうか。この絵には少し明るさを感じます。

『夏』の構図とよく似た絵を見つけました👇

アントワープ王立美術館
『オアシス』1912以前

背景や人物の立ち位置等、よく似ていますねぇ。横たわる女性に至っては、ほぼ同じです。絵の制作年が、1912年以前となっていますので、今回紹介している絵の中では、最も古い絵です。こうしてみると、モデルとなる家族や人々を、作者のイメージで再構築して絵にするというあのパターンが見えてきます。中央の二人の女の子、お姉ちゃんが妹を抱っこしているように見えますが、この感じ、『小径』の母親が子どもを抱っこしているそれによく似ています。顔を寄せ合っている様子が二人の信頼関係をとてもよく表していると思います。

   

ラールマンスの 視力は徐々に悪化し、1924年には絵を描くことを止めたそうです。 1927年、国王から男爵の地位を与えられましたが、社会的な活動から離れて行き、忘れられた存在になっていったということです。結婚し、家族を持ったという記述は発見できなかったので、多分、独身で生涯を終えたと思います。家族を描いたと思われる作品が多い(『酔っ払い』1898酔っ払った父親を家族で連れ帰る絵、『侵入』1903家族で他国に逃げる絵etc.)ラールマンスですが、どの家族もなんだか貧しい。楽しい場面のはずが、なんだか寂しい。家族が揃って幸せなはずなのに、そうでもない…。

ただ、大原美術館の『小径』は、家族の希望が見える気がします。家族全体が仲良くまるくかたまっているし、女の子が花を持っているし、可愛い犬までいる。しかも正面を向いて。ラールマンスの他の絵と比較して感じたことですが、『小径』は、ラールマンス的には温かい家族の絵だったのかもしれませんね。