倉敷美観地区:倉敷春宵あかり2024

今年も始まっています!

    

筆者は初日に行ってみました。結構な人出でした。
昼間と夜では雰囲気が随分違うので、見比べてみてください👇

        

     

        

    

    

    

和傘や行灯(あんどん)、風船には全て柄がついているので、夜だけでなく昼間の姿もなかなか見応えがありますョ(^-^)

        

2024年3月9日撮影 ライトアップされたセンダン

大原美術館:『静物』ヴラマンク

筆者はまだ実物を見たことがありませんが、大原美術館所蔵作品のようです。

大原美術館
モーリス・ド・ヴラマンク(1876-1958)
『静物』1922

【鑑賞の小ネタ】
・第一次世界大戦後の作品
・フォーヴィスムから離れる
・暗めの色彩に移行

過去記事(大原美術館:『サン=ドニ風景』ヴラマンク)で紹介した作品とはかなり様子が異なる作品です。

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大原美術館
モーリス・ド・ヴラマンク(1876-1958)
『サン=ドニ風景』1908

同じ画家が描いたとは思えないですよね👆
『サン=ドニ風景』と同じ頃描いた静物画がこちら👇

個人蔵
『緑色のテーブルの上の静物』1907

今回取り上げた作品『静物』と比べてみて下さい。机、皿、果物と共通するモチーフが描かれていますね。でも、色彩、描き方等が随分違います。フォーヴィスムの画家で知られるヴラマンクですが、この頃の画風はセザンヌの影響をかなり受けていることがよく分かります。

第1次世界大戦(1914年~1918年)後、ブラマンクはパリを離れ、郊外へと住まいを移しました。その地で村の風景や花、静物を多く描きました。そして、大原美術館の『静物』のような画風に変わったのはこの頃のようです。『静物』1922年と同じ頃に描いた村の風景画がこちら👇

ポーラ美術館
『雪』1920-1922年頃

筆のタッチや暗い色の感じが大原美術館の『静物』1922によく似ていますね。ヴラマンクは第一次世界大戦の兵役にも就いていたので、そこで何かが大きく変化したのかもしれません。

ヴラマンクは自由を好む人だったようで、あらゆる伝統や教育を拒否したそうです。16歳で家を飛び出し、18歳で結婚。自転車選手をしたり、オーケストラでバイオリンを弾いたりして(※ヴラマンクの親は音楽教師)生計を立てました。絵画についても自由で、ほとんど独学だったといいます。セザンヌやゴッホの影響を少なからず受けながらも独自の画風を確立した画家だったようです。

大原美術館:『小径』ラールマンス

家族でしょうか。犬もいますね。

大原美術館
ウジェーヌ・ラールマンス(1864-1949)
『小径』1918

【鑑賞の小ネタ】
・ベルギーの画家
・11歳の頃より聴覚に障害あり
・表現主義のスタイルを取り入れる
・45歳の頃より視力に障害が出始める

若い夫婦と子どもが2人に犬一匹。幸せな家族の絵、と言いたいところですが、なんだか暗い…。3人とも目線が下だからでしょうか?犬は正面を向いてますね。長女らしき女の子が花を持っていることで、ちょっとホッとするような気もします。

筆者の第一印象は、まぁるいな、でした。
こんな感じです👇

全体的に暗い印象の中、家族がまぁるくかたまっているように見えたのです。貧しいながらも、家族みんなで慎ましく生活しているのではないかと。

似たような家族の絵をいくつか見つけました👇

ドント・ダーネンス・テ・ドゥルレ美術館
『屑拾い』1914

母親と娘二人、服の色などから、モデルは同じ家族ではないかと筆者は思っています。父親がいないなぁと思って見ていたら、後ろの方にいました。大きな袋を背負った男性らしき人物が後を追うように付いて来ています。作品名が『屑拾い』となっているので、やはり、貧しい家族の絵なのかもしれませんね。

ラールマンスは、当時流行していた象徴主義(人間の精神性や夢想などを、神話などを用いて象徴的に描く)に憧れた時代もあったようですが、貧しい人々などの社会的なテーマを描くようになり、表現主義(感情を作品の中に反映させて表現する傾向)のスタイルを取り入れたとありました。

11歳から聴覚に障害を持ち、45歳頃から視覚にも障害が出始めたラールマンス。45歳というと、1909年頃になります。大原美術館の『小径』の制作年は1918年なので、既に視覚障害があったということになります。聴覚も視覚も不自由となると、厳しい晩年を送ったことが予想されます。

ラールマンス自身と目の前の貧しい家族の内面が、何かしらシンクロしたのかもしれませんね。ちなみに、ラールマンス自身は、ベルギー(ブリュッセル)の裕福な家に生まれています。

こちらの家族も、『小径』の家族かもしれませんね👇

『夏』1920

『小径』の犬と同じような犬がいます。子どもも二人の女の子。父親がいない代わりに、大人の女性がいます。雰囲気的に、どの人物もリラックスしているので、筆者的には血縁関係のある親族とふんでます。母親の姉か妹といったところでしょうか。この絵には少し明るさを感じます。

『夏』の構図とよく似た絵を見つけました👇

アントワープ王立美術館
『オアシス』1912以前

背景や人物の立ち位置等、よく似ていますねぇ。横たわる女性に至っては、ほぼ同じです。絵の制作年が、1912年以前となっていますので、今回紹介している絵の中では、最も古い絵です。こうしてみると、モデルとなる家族や人々を、作者のイメージで再構築して絵にするというあのパターンが見えてきます。中央の二人の女の子、お姉ちゃんが妹を抱っこしているように見えますが、この感じ、『小径』の母親が子どもを抱っこしているそれによく似ています。顔を寄せ合っている様子が二人の信頼関係をとてもよく表していると思います。

   

ラールマンスの 視力は徐々に悪化し、1924年には絵を描くことを止めたそうです。 1927年、国王から男爵の地位を与えられましたが、社会的な活動から離れて行き、忘れられた存在になっていったということです。結婚し、家族を持ったという記述は発見できなかったので、多分、独身で生涯を終えたと思います。家族を描いたと思われる作品が多い(『酔っ払い』1898酔っ払った父親を家族で連れ帰る絵、『侵入』1903家族で他国に逃げる絵etc.)ラールマンスですが、どの家族もなんだか貧しい。楽しい場面のはずが、なんだか寂しい。家族が揃って幸せなはずなのに、そうでもない…。

ただ、大原美術館の『小径』は、家族の希望が見える気がします。家族全体が仲良くまるくかたまっているし、女の子が花を持っているし、可愛い犬までいる。しかも正面を向いて。ラールマンスの他の絵と比較して感じたことですが、『小径』は、ラールマンス的には温かい家族の絵だったのかもしれませんね。

美観地区:森田酒造の杉玉

阿智神社の南参道口にある「森田酒造」。
軒下の杉玉の1つがきれいな緑色をしていました。

2023年12月25日撮影 森田酒造場

筆者の杉玉のイメージは、歴史のある家屋の軒下によく吊り下げられている丸い物体というものでした。しかも色は灰色に近い茶色。緑はなんだか珍しい!と思いました。

よく見ると「酒林」という札が下がっています👇

「杉玉(すぎたま、すぎだま)」とは、スギの葉を集めてボール状にした造形物で、「酒林(さかばやし)」とも呼ばれるそうです。そして、調べてみると杉玉には新酒が出来たことを知らせる大事な意味がありました。なんだか様子の良い造形物というわけではなかったんですね。

「酒林」の札の裏には👇

「令和五年十二月吉日 重量二十五キロ」とあります。「森田酒造」では、毎年12月下旬に新酒しぼりたて生酒『萬年雪荒走り』が発売されるそうなので、この緑の杉玉はそのお知らせということで大丈夫だと思います。

ちなみに、「森田酒造」は倉敷美観地区内で唯一の造り酒屋です。設立は1909年(明治42年)という歴史ある造り酒屋なんです。聞いた話なんですが、「森田酒造」の杉玉(酒林)は、森田酒造の代表者の方がご自身で作られるそうですョ。

吊るされたばかりの杉玉はフレッシュな緑で、そのうち薄い緑になり、だんだん枯れて茶色になって行きます。この杉玉の色の変化が、新酒の熟成具合を伝えているそうで、とても味わい深いなと思いました。

倉敷美観地区のクリスマス

2023年12月24日の散歩中に見つけたクリスマス🎄を紹介します。
まずは阿智神社。

阿智神社の能舞台

サンタ、リース、ベルが見えます。神社は神道の神を祭る(祀る)所です。神道の神はとても数が多いので、八百万(やおよろず)の神といわれます。神社でクリスマスの飾り⁈とちょっとびっくりもしますが、この柔軟性が日本人らしいなと思います。そもそも八百万の神を祀るのですから、キリスト教も大丈夫そうですね。

次は、本町のクラシキクラフトワークビレッジの猫。

サンタの帽子をしっかりかぶってますね(^-^)

次はこのお店👇

「一年中クリスマス」のお店です。筆者も何度か入店したことがありますが、本当に一年中クリスマスです。所狭しとクリスマスグッズが並んでいますョ。

そして、倉敷アイビースクエアです🎄

野外ピアノの側に設置してあるクリスマスツリーです。

倉敷アイビースクエア館内のツリーがこちら👇

倉敷アイビースクエア館内フロントのクリスマスツリー
レストラン「蔦」付近のクリスマスツリー