大原美術館:土蔵(工芸・東洋館)の鼠

2020年1月撮影:大原美術館 工芸・東洋館

大原美術館の工芸・東洋館です。かつては米蔵として使用されていました。 室内や外装のデザインをしたのは染色家の芹沢銈介です。

 

2020年1月撮影:赤壁の土蔵

現在、 芹沢銈介 展示室となっているベンガラ色の土蔵です。ベンガラ色は、系統色名でいうと「暗い黄みの赤」なんだそうです。おさえめの美しい赤色です。

ところで、どこかに鼠(ねずみ)が描かれているというのですが、探せますか?

  

ここです!

2020年1月撮影:土蔵の鼠

屋根の先に、長いしっぽの鼠らしきものが描かれています。走っているようにも見えますね。

それにしても、米蔵に鼠って何かおかしいと思いませんか?鼠は米を食べてしまうので駆除したい生き物のように思うのですが…。土蔵と鼠についてちょっと調べてみました。

 

鼠は『古事記』に登場しています。大国主命(おおくにぬしのみこと)が野火に囲まれて窮地に追いやられた時、助言を与えて大国主命を助けています。

大国主命
出展:写真素材ーフォトライブラリー

また、七福神の大黒天(だいこくてん)は鼠を使者としています。そういえば、大黒天は米俵に乗ってますよね。

大黒天
出展:写真素材ーフォトライブラリー

奈良時代に始まった神仏習合(しんぶつしゅうごう)により、大国主命と大黒天は融合していきます。神仏習合とは、そもそも日本にあった神様の信仰である神道と外国からやってきた仏教の信仰がひとつになった宗教の考え方です。「大国」と「大黒」、確かに融合しそうですね。

大黒天は食物や財福を司る神ですので、米蔵としての土蔵に鼠の絵というのは、おかしなことではないのだなと思いました。

その他、土蔵と鼠に関係するお話を探してみると、中国の秦の時代に始皇帝の宰相として活躍した李斯(りし)の「便所の鼠と米蔵の鼠」というお話がありました。便所の鼠は食べ物もなく周りを気にしておどおどしているが、米蔵の鼠はよく太り堂々としていた、という内容です。住んでいる環境によって違いが生まれ、それは人間の世界でも同じであり、それならば自分は米蔵の鼠になろうというような話です。ちなみに余談ではありますが、李斯は日本の大人気漫画「キングダム」に登場しています。

じっくり見ていると色んな発見があって楽しいですね。

続・倉敷川の水源

倉敷川の水源と思われる辺りの古い地図を調べてみました。寛保2年というと1742年です。倉敷川の左側に「新川用水」とあります。川のような用水路があることが分かります。

出展:高梁川流域連盟機関誌 高梁川第45号 昭和62年12月25日発行

  

1751年~1763年です。倉敷川は「汐入川」と表記されています。「汐入川」とはその名の通り、汐(潮)が入ってくる川です。かつて運河だったことが分かります。
そしてこの地図では、「新川」と書かれています。

出展:高梁川流域連盟機関誌 高梁川第45号 昭和62年12月25日発行

   

明治26年というと1893年です。ここでも「新川」と書かれています。

出展:高梁川流域連盟機関誌 高梁川第45号 昭和62年12月25日発行

    

どうやら、「新川」という川が倉敷川に流れ込んでいたようです。そてて、以下のような決定的な記述を発見しました。引用します。

宝永7年(1710)の「屋敷割絵図」では、倉敷用水は、東へ分水して倉敷川につながっている。昭和3年(1928)の「倉敷市新地図」でも新川が倉敷川につながっている。新川は昭和25年(1950)ごろ埋められて暗渠になったが、現在でも倉敷川へ分水している。

倉地克直監修『絵図で歩く倉敷のまち』吉備人出版

かつて倉敷川は、汐入川(運河)で、そこには「新川」という川が流れ込んでいたんですね。

美観地区入り口辺りは少し広々としています。両脇には土産物店が並び、人力車も行き交う、賑わいのある空間となっています。この空間の下に、新川が今も流れているということなんですよね。歴史を辿ると、いつも歩いている所がどんどん違って見えてきます。

倉敷川の水源

美観地区の中央を流れる倉敷川。川岸を歩いて川の先まで行ったことがありますか?

2020年1月 中橋から今橋方向を撮影

奥に今橋が見えます。まだ川は続いているようです。

2020年1月 今橋から撮影 

今橋からさらに奥を撮影しました。

あれ?行き止まり?

川の中に石垣が見えます。どうやらここで倉敷川は終わっているようです。もっと近くに寄ってみます。

  

2020年1月撮影

石垣の手前、行き止まり辺りを撮影したものです。川底に、石の枠で囲われた何かが見えます。そこから水が湧き出ているような水の動きを確認することができます。まさか湧き水?と思い、ちょっと調べてみました。

出展:倉敷川畔伝統的建造物群保存基本計画調査、昭和59年3月20日発行

地図中の点線は、大きめの地下水道のようです。この地下水道の水が倉敷川にも流れ込んでいるということではないでしょうか? 

聞くところによると、倉敷川は倉敷用水路と地下で繋がっているんだそうです。そして倉敷用水路は高梁川(岡山県三大河川の1つ)と繋がっています。

高梁川の水が倉敷川にも流れているということですね。

ちょっと不思議な感じの倉敷川ですが、それもそのはず、倉敷川はそもそも運河だったんです。詳しくはまた。

美観地区:有隣荘の塀

大原家別邸の有隣荘です。

2020年1月撮影 有隣荘の南側正面

塀に注目してみてください。石垣の上に板塀、その上に土塀、またその上に屋根という立派な造りです。築地塀(ついじべい)という塀によく見られる形のようです。

北側から見るとこんな感じです。

2020年1月 北側から撮影

奥に大原美術館が見えます。

そして今回注目したいのはこれです!

2020年1月撮影 石垣と板塀の継ぎ目

石垣と板塀の継ぎ目です。きっちりはめ込まれています。素晴らし仕事だと思いませんか?

この路地を歩く際には、ぜひ、見てみてくだい。丁寧な仕事ぶりに驚かされますヨ。

美観地区:レトロな街路灯

美観地区の街路灯を意識して見たことがありますか?
なかなかレトロで雰囲気があります。

2020年1月撮影

美観地区を歩いていると、あちらこちらで見ることができます。

その中に、とてもゴージャスな街路灯が、倉敷アイビースクエア西門の前にあるんですよ。しかも、この街路灯はガス灯なんです!倉敷国際ホテルの前にも1つあるのですが、美観地区内ではここだけです。

2020年1月撮影

【昭和六十三年四月吉日 寄贈 岡山ガス株式会社 水島ガス株式会社】と表記されています。

明かりが灯ると、こんな感じです。

夜のガス灯

少しオレンジがかったやわらかい光のような気がします。

ちなみに、ガス灯ではない街路灯の光はこんな感じです。

「中橋」近くの街路灯の昼と夜

ちょっと分かりにくいですが、ガス灯ではない街路灯の方が強めの光を放ちます。

美観地区の景観照明をプロデュースしたのは、世界的な照明デザイナーの石井幹子さんです。

夜の美観地区もなかなか良いですよ。

倉敷美観地区夜間景観照明
10月~3月 日没~21:00
4月~9月 日没~22:00