大原美術館:白樺美術館より永久寄託作品

この永久寄託の文字にグッときます。4作品あります。

大原美術館所蔵 白樺美術館より永久寄託
ポール・セザンヌ(1839-1906)
「風景」1888-1890
大原美術館所蔵 白樺美術館より永久寄託
オーギュスト・ロダン(1840-1917)

【鑑賞の小ネタ】
・永久に寄託されている作品
・セザンヌ「風景」は白樺美術館が購入
・ロダン3作品はロダンが白樺美術館へ寄贈
・セザンヌは塗り残す

「白樺美術館」とは、1910年(明治43年)同人誌『白樺』を創刊させたメンバーである武者小路実篤や志賀直哉ら同人達により構想された美術館です。同人誌『白樺』とは、総合芸術雑誌といったところです。1923年の関東大震災により残念ながら廃刊され、それに伴い、「白樺美術館」設立の夢は途絶えてしまいます。

  

ある時、同人達はロダン特集を企画しました。その際、直接ロダンに会う機会に恵まれました。そしてロダン自作の3作品を寄贈してもらえたそうです。これをきっかけに、美術館建設計画が持ち上がりました。美術作品を収集するために大規模な寄付運動が展開されて、セザンヌの「風景」を購入することができたそうです。

1950年、大原美術館創設20周年式典に武者小路実篤と志賀直哉 が招かれました。自分たちの夢を託すのはこの美術館しかないということで、4作品が寄託されたそうです。これからの日本の芸術について熱く語られたことでしょう。
[参考文献:大原美術館監修『大原美術館で学ぶ美術入門』JTBパブリッシング発行]

「白樺美術館」として開館することはありませんでしたが、「白樺美術館」とあえて表記することで、同人達への敬意のような熱い思いを感じます。そしてこの「永久寄託」、「寄贈」ではなく「寄託」なのです。貰うのではなく、永久に預かって(保管して)おきますからということです。今後おそらく開館することはない「白樺美術館」に対して、預かる(保管する)と言っているのです。素晴らしい心の交流、そして配慮だと思います。筆者はこんな話が大好きです。

  

ところで、セザンヌの「風景」ですが、白い部分が残っていて、まるで途中辞めのような絵だと思いませんか? これが“セザンヌの塗り残し(余白)”です。セザンヌの作品にはよく見られます。塗り残しが見られる作品をいくつか紹介します。

チューリッヒ美術館
ポール・セザンヌ
「サント=ヴィクトワール山」1905
ブルックリン美術館
ポール・セザンヌ
「ガルダンヌ」1885
テート・ギャラリー
ポール・セザンヌ
「水差しのある静物」1892年頃

なかなかの塗り残しぶりですね。でも、なぜだか全体的にバランスがとれているように感じます。そして筆者は、塗り残しがある方が好きなのです。

大原美術館:『パリ郊外の眺め バニュー村』アンリ・ルソー

ほのぼのとした気分になる絵だと思います。謎は多いですが…

大原美術館
アンリ・ルソー(1844-1910)
「パリ郊外の眺め バニュー村」1909

【鑑賞の小ネタ】
・ルソーはパリの税関職員
・独学の日曜画家
・地面に影を描かない
・モチーフの大きさが不自然
・作風が独特のため、なかなか評価され
 なかったが、ピカソが認めた!
・亡くなる前年の作品

ぱっと見はかわいい絵だなと思いました。この牛、岡山県北の蒜山高原で飼育されているジャージー牛によく似ています。

出展:ひるぜんジャージーランドHPより

ルソーは他にも牛の絵を描いています。

フィラデルフィア美術館
アンリ・ルソー
「牛のいる風景」1886
ブリヂストン美術館
アンリ・ルソー
「牧場」1910

色が少しづつ違っていますが、どの牛も茶系でほのぼのしています。ジャージー牛に一番似ているのは大原美術館の牛だと思いますけど。

  

そして、画中右側の薄い茶色の2つの塊、これはきっと積み藁(ワラ)なんだと思います。かなり大きいです。牛よりも大きい。この積み藁、他の絵でも見つけました。

ピエール・ゲネガン、マーガレット・ゲネガン両氏蔵
アンリ・ルソー
『田園風景』1875/80

左端に描かれています。これもなかなかの大きさですね。手前に見える建物よりも大きい。ルソーにとってとても印象的なモチーフだったのかもしれません。

そしてそして、細い棒を持った小さな人。つばが大きめの帽子に黒い服という出で立ちです。普通に牛飼いのおじさんかなと思ってたのですが、他の絵で似たよう人物を見つけました。これです。

アンリ・ルソー
『釣り人』1909-1910

ちょっと棒が長めなのですが、とても似ていると思います。でも、この人物は、「釣り人」なんです。牛飼いと思っていたおじさんは、もしかして、釣り人だった?「パリ郊外の眺め バニュー村」をよく観ると、後方に川か池か運河か、とにかく水の風景が描かれています。だったら、釣り人もありですよね。しかも制作年に注目してください。1909-1910です。ほぼ同時期です。ちなみに、この人物は、他の釣りをテーマとしたいくつかの絵の中にも登場しています。そうなってくると、誰なのかが気になってきます。残念ながら筆者の力では分かりませんでした。

  

最後に、最大の謎、左後方のオブジェ?です。これは本当に謎で、結局分からないのですが、いくつか筆者なりの候補はあります。
ルソーはパリの税関職員でしたので、パリの風景には馴染みがあったはず、ということでエッフェル塔(1889年完成)です。遠目から見るとなんとなく例のオブジェに見えなくもないかと。ルソーはモチーフの実際の大きさにはとらわれないので、エッフェル塔もありかなと思ったのですが、ちょっとあまりにもですよね。(※ルソーの絵の中には、確実にエッフェル塔として描いたものもあります。残念ながら例のオブジェとは全く違った形状をしています。)
次の候補は、グラン・パレの屋根上部。グラン・パレは1900年のパリ万博のために建てられた大規模展覧会場です。ルソーもパリ万博へ行って感動したはずです。その印象を絵に描き込んだかも。
3番目の候補は、バスティーユ広場のモニュメントです。かつてバスティーユ牢獄があった場所です。フランス7月革命を記念するオブジェとして1830年に建てられました。フランス共和主義の重要なシンボルです。

ウジェーヌ・ガリアン=ラルー(1854-1941)
「バスティーユ広場」

ルソーは1909年、「パリ郊外の眺め バニュー村」の制作年と同じ年に、手形詐欺事件に関わったされ、拘留されています。利用されただけという説もあり、真相は明らかになっていませんが、拘留はされたのです。バスティーユ広場の元はバスティーユ牢獄、イメージが繋がりそうですが… どうでしょうか?

とにかく謎の多い画風なので、イメージが自由に膨らみますよ。

美観地区:紅葉の中の宝石

ちょっと季節が前後しますが、 国指定重要文化財『旧大原家住宅 』(現・語らい座 大原本邸)周辺の紅葉です。

2016年11月撮影 旧大原家住宅 手前は倉敷川

2016年の紅葉です。毎年見事な紅葉を見せてくれるのですが、この年は本当に綺麗でした。少しアップにします。宝石が写り込んでいるのが分かりますか?

2016年11月撮影 旧大原家住宅周辺

右下の枝の上です。そうです「カワセミ」です!

2016年11月撮影 カワセミ

タイミングよく撮影できたのはこの時だけです。丁度持っていたスマホで撮りました。スマホではどうしても解像度があまく、一眼レフカメラで待ち構えたこともあるのですが、そんな時にはカワセミは飛んで来てくれません。動きも早いですし、鳥を撮影するのは本当に難しいですね。

カワセミ 著作権フリー写真より引用

まともに撮影できたのは一度だけだったのですが、何度か撮影チャンスはあったんです。しかも同じ場所(旧大原家住宅周辺)で。調べてみると、カワセミは個体ごとにお気に入りの場所があるんだそうです。行きつけの場所ということですね。

食べ物は、小魚や水生昆虫、エビやザリガニ、なんとカエルも食べるみたいです。木の実をついばむという感じではないんですね。確かに、水中にズボッと飛び込む姿を何度か見かけたことがあります。小型で宝石のように美しい鳥ですが、なかなかアグレッシブです。

カワセミは日本全国に生息している鳥です。渡り鳥のように季節によって移動することはなく、その地域に留まる鳥で、基本的に同じ場所で暮らし続けるそうです。また会えるのを楽しみに散歩したいと思います。

※カワセミは平成15年3月24日に倉敷市の鳥として制定されていました!

美観地区のなまこ壁

倉敷美観地区と言えば、白壁の蔵屋敷。そして、なまこ壁です。

2020年2月撮影
倉敷考古館 東側面

なまこ壁とは海鼠(ナマコ)壁です。平らな瓦を外壁に張り付けて、目地を漆喰(シックイ)で盛り上げて埋めるという手法で仕上げられています。この漆喰の盛り上がりの断面が半円形で、ナマコの形に似ているということで、この名前が付けられたそうです。

2020年2月撮影
なまこ壁 目地の漆喰の盛り上がり

なまこ壁の種類は色々あります。倉敷美観地区で多く見られるのは3種類です。「張り」「張り(馬乗り張り」「四半張り」です。

倉敷美観地区の3種類のなまこ壁

「芋張り」⇒芋の根っこが規則正しく伸びている様子に似ている、「馬張り」⇒馬の歩いた足跡が交互になっている様子に似ている、ということでこの名前が付いているそうです。「馬乗り張り」については、人が馬に乗っていると見立ててとか、縦の2本の線が馬の脚でその上の水平な線の中央から縦に伸びる線が馬の首と見立てて等、解釈が分かれていました。何れにしても、身近で大切な動物であった馬にちなんだネーミングであったということです。

この「芋」とか「馬」とかいう表現、今日でも建築業界でタイルの目地の表現として普通に使われています。

そして「四半張り」⇒縁に対して45度になるように斜めに傾けて張る、ということみたいです。180度(水平)の4分の1(四半)で45度ということでしょうか?細かいことが気になります。

なまこ壁の本来の目的は防水だったようです。
土壁は雨に弱いので、土が雨に流されないよう漆喰を塗りました。ところが漆喰もそもそも水を吸う素材だったので、雨が直接当たらない場所に使用することにし、壁の下部には板の腰壁を張るなどして対応してきました。防水のことだけ考えたら、これでバッチリなのですが、板を使用するということで残念ながら防火には不向き。そこで考え出されたのがなまこ壁だったんです。雨や火に強い瓦(平瓦)でなるべく土壁を覆い、目地は漆喰で雨に流されないよう分厚く塗る。防水・防火に見事対応したというわけです。

なまこ壁の一番古いタイプは「芋張り」なんだそうです。シンプルですし、まずはこれからだったのでしょう。水はけの面から、徐々に「馬張り」そして「四半張り」になっていったようです。「四半張り」は斜めですし、確かに水の通りが良さそうですね。

ちなみに、倉敷美観地区では、「馬張り」と「四半張り」が主流だと思います。「芋張り」は店の正面の壁に使われているのを見かけます。

  

倉敷考古館 東側面の後方の壁

倉敷考古館の東側面の後方の壁は、目地の漆喰の部分があまり盛り盛りしていません。前方部分はしっかりなまこ壁なんですが。あえてそうなのか、張られた時期が違うのか。おもしろいですね。

なまこ壁は見た目の美しさだけではなかったんです。

大原美術館:『カレーの市民ージャン=デール』ロダン

大原美術館本館入口、向かって右側に立っています。

2020年2月撮影 大原美術館本館入口前

左側には同じくロダン作の『説教する聖ヨハネ』が立っています。館外ということで写真撮影は自由です。記念撮影をする観光客の姿がよく見られます。

大原美術館
オーギュスト・ロダン(1840-1917)
『カレーの市民-ジャン=デール』1884-1886

【鑑賞の小ネタ】
・『考える人』で有名なあのロダンの作品
・『カレーの市民』は6人の群像
・大きな鍵を持っている
・戦時中の金属類回収令から免除される

『カレーの市民』は、イギリスとフランスの百年戦争(1337~1453)のエピソードをもとに制作されました。イギリス王のエドワード3世は、フランス北部の重要な港町カレーをほぼ一年間も包囲(カレー包囲戦1346年9月4日~1347年8月3日)しました。長引く包囲戦のため、カレー市民は飢餓に陥り、降伏を余儀なくされました。エドワード3世は、カレーの主要な人物6人の命と引き換えに、カレー市民を救うと持ち掛けました。そしてその6人に対して、下着姿で首に縄を巻き、城門の鍵を持って出頭するよう要求しました。市民のために、自ら6人が名乗り出たわけですが、最初に進み出たのは長老のウスタシュ・ド・サン・ピエールで、次に続いたのがジャン=デールだったそうです。
エドワード3世の妃の説得(生まれてくる子どもに殺戮は悪い前兆になるから止めて!)により処刑は中止されましたが、この勇敢な6人の逸話は後世にまで語り継がれることとなります。

余談ですが、名前に「」がある人を時々見かけると思います。カレーの市民のウスタシュ・・サン・ピエール 、ポスターで有名なアンリ・・トゥ―ルーズ=ロートレック等々。言語圏によって異なるようですが、貴族階級出身者の証なんだそうです。「」 はフランス系貴族です。カレーの市民6人のうち4人の名前に「」がありました。ジャン=デールは貴族ではなく、誠実な商人だったそうです。

ロンドン ウエストミンスター宮殿 ヴィクトリア・タワー・ガーデン
『カレーの市民』 1908年鋳造、1915年設置

右から2番目がジャン=デールです。大きな鍵を持ち、首には縄が見えます。オリジナルの鋳型から作られる『カレーの市民』は、ロダンの死後、12点しか鋳造されませんでした。

大原美術館の『カレーの市民-ジャン=デール』は、1922年に児島虎次郎がロダン美術館で交渉し、鋳造してもらったものだそうです。長引く戦時下で、金属類回収令が出され、供出(キョウシュツ:政府などの要請に応じて金品などを差し出すこと)物件とされましたが、免除されています。岡山県下で約170体の銅像が供出対象となり、残されたのは、大原美術館のロダン作品『カレーの市民』と『説教するヨハネ』の2体を含め、計7体のみだったそうです。ロダン作品は敵側の芸術作品でもあるので、よくぞ残されたと感動します。(大原美術館ホームページ参照)

ところで、6人の中から、なぜ、ジャン=デールを選び鋳造してもたったのでしょうか?6人の表情を見比べてみてください。不安や苦悩を表現したものが多いと思いませんか?そうした絶望的な雰囲気の中で、ジャン=デールだけ、すっと前を向き全てを受け入れた表情で静かに力強く立っている感じがするのです。重要な城門の鍵も持っていますね。ジャン=デールが選ばれた理由はその辺りなのかなと想像しています。