大原美術館:『善き盗人』デヴァリエール

作品名は『善き盗人』です。盗人なのに、善き?

大原美術館
ジョルジュ・デヴァリエール(1861-1950)
『善き盗人』1913

【鑑賞の小ネタ】
・キリスト教の磔刑シーン
・盗人は2人描かれている
・キリスト教美術の再興に貢献

現在展示中の『キリストとマドレーヌ』(大原美術館:『キリストとマドレーヌ』デヴァリエール①)は、聖書には記述がない場面ということでした。この『善き盗人』は、聖書に記述のあるキリスト磔刑(たっけい:十字架刑)シーンを描いたものです。十字架にかけられるのはキリストと盗人2人で、キリストを中心に両側に盗人という位置関係で描かれることが多いです。

ルーブル美術館
パオロ・ヴェロネーゼ(1528-1588)
『磔刑』1584

2人が盗人ということは漠然と知ってはいましたが、「善き盗人」とはどういうことなのか筆者は知りませんでした。調べてみたらすぐに判明。キリスト教的には常識のようです。宗教画を理解するためには、やはり、ある程度その宗教を知らないとだめですね。

「善き盗人」はディスマス(Dismas)と呼ばれる盗人で、キリストの右手側(向かって左)に描かれるようです。そしてもう一人の盗人は、ゲスタス(Gestas)と呼ばれる「悪しき盗人」で、キリストの左手側(向かって右)に描かれるということです。「右」は英語で「right」、「正しいこと」などの意味も持っています。だから、キリストの右側に「善き盗人」の方を描くのかなとちょっと思いました。

「善き盗人」は「キリストには罪がない」と述べ、「悪しき盗人」は「メシアなのに自分も我々も救えないのか」と悪口を言ったということです。そして、「善き盗人」は顔をキリストに向けるように描かれ、「悪しき盗人」はキリストから顔をそむけるように描かれることが多いようです。

大原美術館の『善き盗人』を見てみると、キリストの右手側にいる盗人が大きく描かれ、グッと顔をキリストに寄せているのがよく分かります。少し離れて左手側に描かれている「悪しき盗人」の方は、後ろ姿になっていて、かなりうなだれた様子で描かれています。

ところで、絵の中に文字があるのが分かるでしょうか ? まず1つ目。キリストの十字架にある「INRI」です。ラテン語 IESVS NAZARENVS  REX  IVDAEORVMの頭文字で、日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳されます。そして2つ目。「KYRIE ELEISON」は「主よあわれみたまえ」の意、だそうです。

次に、絵の後景を見てみたいと思います。城壁のような建物にグルっと囲まれているように見えますね。キリストが磔刑に処せられた場所はゴルゴダの丘と言われています。磔刑当時は丘だったので、この建造物は後世に建てられた何かだと思いました。最も可能性が高いのは聖墳墓教会です👇

出典:Wikipedia 聖墳墓教会

聖墳墓教会はエルサレム旧市街にあるキリストの墓とされる場所に建つ教会堂です。ゴルゴダの丘はこの場所にあったとされています。4世紀にローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって建造されました。イスラム時代の11世紀に教会は破壊されましたが、十字軍の占領以降、何度も再建・増築されたそうです。

背景でもう1つ。黄色の棒のようなものがいくつも描かれています。これは何でしょうか? 磔刑の場面なので、兵士の槍かなと思いました。

ルーブル美術館
シモーネ・マルティーニ(1284年頃―1344)
『十字架を背負うキリスト』1335

この絵👆は、キリストがゴルゴダの丘まで歩いた道中でのワンシーンですが、槍を持った兵士が描かれているのがはっきり分かります。キリストの周りには、槍を持った兵士がいたということです。そうするとやはり、黄色い棒は槍なんでしょうか?『善き盗人』の画面中央の奥にも黄色い棒は描かれていて、その黄色い棒の先をよく見ると、少し黒く塗られているのが分かります。これだと槍に見えなくもない。黄色い棒は、多分、槍で大丈夫だと思います。

宗教や神話、歴史画は、隅々までじっくり見ると、様々なことやものが描き込まれていることに気づくと思います。これは何かな?と思ったら、ちょっと調べて、もう一度その絵を鑑賞すると理解が深まっておもしろいと思います。ちなみに『善き盗人』には、聖母マリアやマグダラのマリアらしき女性の姿も見えますョ。

大原美術館:『ミュージック・ホール』デヴァリエール

派手目のドレスと帽子を身につけた女性が3人、いますねぇ。

大原美術館
ジョルジュ・デヴァリエール(1861-1950)
『ミュージック・ホール』1903

【鑑賞の小ネタ】
・フランスの画家
・ギュスターヴ モローと親交あり
・宗教芸術復興運動に貢献
・都会の風俗も多く描く

怖いくらいキッとした表情の女性が3人描かれています。この雰囲気を作り出しているのは、3人の鋭い眼光だと思っていました。でも、はっきりと目が確認できるのは意外にも中央に座っている女性のみなんです。もう少しじっくり見てみることにします。

奥に座っている女性、この画像では暗くて目がどうなっているのかよく分かりませんよね。現在展示中の実物をよく見てみると、なんと瞳孔の輪郭が描かれているのが確認できるんです。気付いた時、おっ!となりますョ。奥に座っている女性はしっかりこちらを見ていました👁👁 立っている女性の方はどうでしょう?目を細めて少し遠くを見ているように筆者には見えます。

この雰囲気を作り上げている重要なアイテムがもう1つあります。煙草です。気が付いたでしょうか? 座っている女性2人とも指に挟んでいます。火もついていて、煙も描かれています。煙草があるかないかで雰囲気も随分変わってきそうですね。

「ミュージック・ホール」とは、ビクトリア王朝時代(1837年~1901年)のイギリスで流行した、歌、踊り、寸劇、奇術などの大衆芸能を上演する施設のことです。

ピーター・ジャクソン
『ビクトリア朝のミュージックホール』

イングランド地方の小さなタバン(tavern、居酒屋兼宿屋)で、客が酒を飲みながら演芸を楽しむタップルーム(taproom、酒場になっている部屋)でのコンサートがミュージックホールの起源のようです。Music Hall(ミュージックホール)は、フランスでは英語と同じ綴り(つづり)でミュジコールと発音するそうです。20世紀に入るとミュージックホールは大規模なバラエティ劇場に押されて勢いを失いました。第二次世界大戦後はロンドンにごくわずか残存したに過ぎなかったようです。

デヴァリエールはフランスの画家ですが、この『ミュージック・ホール』はロンドンのナイト・クラブを描いたものであるという記述がありました。本場イギリスのミュージック・ホールだったんですね。

『ミュージック・ホール』の制作年1903年と同じ頃の作品がこちら👇

プティ・パレ美術館
『マダムPBの肖像』1903
個人蔵
『ビッグハット』1903-1904

ゴージャスな婦人の肖像画を多く描いていたようですね。デヴァリエールはその後、徐々に宗教画へ傾いて行きます。

美観地区:倉敷川の白鳥(2024年春)④

2024年5月26日、今日は2羽とも川に出て来ていました!

久しぶりに2羽揃っているところを見ました。でも、巣は?と思ってしまい、嬉しいような悲しいような…。

相変わらず仲良しです(^-^)

丁度1週間前の午前10時50分くらいに白鳥のエサやりに遭遇し、クルクル回る白鳥(美観地区:倉敷川の白鳥(2024年春)③)を見たとお伝えしました。その時は静止画のみでしたので、今回は動画を撮ろうと午前10時45分くらいからスタンバイすることにしました。エサやりが始まるのか不明でしたが、しばらく待っていると👇

エサやりが始まりました!妙に嬉しかったです。容量の都合で3秒だけになってますが、実際には1分38秒の動画が撮れています👍 エサが入った青いバケツからエサ箱にエサが移され、エサ箱が川に下ろされるまでの間、今回も白鳥はクルクル回っていました(^-^) 時間は午前10時56分くらいでしたので、先週とほぼ同時刻ですね。 動画に登場している手前の白鳥がオスで、回転もアグレッシブなのが分かると思います。メスはというと、オスがあまりにもクルクル回るのでまぁ回っとくかみたいな感じの回り方でした。筆者が思うに、このメスは基本的にいつも冷静です。大フィーバーでここぞとばかりに回り続けるオスがちょっとおもしろかったです。

気になるのは巣です。動画撮影後、巣を見に行くと👇

白いもの(卵)は確認できませんでした。そしてなんと、エサやりをされている管理人の方も巣を見に来ていました。やはり、4月中旬あたりから白鳥たちに何かしら異変があったことは間違いなさそうです。

このまま2羽が川に出て来てスイスイ泳ぐ日が続いたら、今回の騒動は残念ながら終わりかもしれませんね。

      

白鳥がいるこの辺りは、大原美術館が近いこともあり、観光中の多くの方々が足を止める人気のスポットとなっています。個性豊かな(特にオス)白鳥たちを、ぜひご覧ください(^^)/

大原美術館:『キリストとマドレーヌ』デヴァリエール②

投稿記事(大原美術館:『キリストとマドレーヌ』デヴァリエール①)の続きです。

大原美術館の図録に次のような記述がありました。引用します👇

激戦地ヴェルダン近 郊に献堂されたドゥオモン納骨堂内のステンドグラスに、デヴァリエールはかつて受難と慈愛を表した《キリストとマドレーヌ》の構図を転用します。しかし、ここでキリストが強く腕に抱いたのは、大戦で十字架にかけられた兵士でした。

大原芸術研究所・大原美術館.異文化は共鳴するのか? 大原コレクションでひらく近代への扉.公益財団法人大原芸術財団, 2024, p.56

『キリストとマドレーヌ』の構図を転用したとされるステンドグラスの作品が気になって、色々探してみました。そして、やっと見つけました👇

ドゥオモン納骨堂の礼拝堂
ステンドグラス
1927

多分、このステンドグラスだと思います。この画像の説明に「La Redemption(償還)」とありました。新約聖書で「償還」は、「捕らわれの身または罪から自由への救出」の意味で使用されるそうです。

少し解像度の高い画像を見つけました👇

キリストが兵士をギュっと抱きしめ包み込んでいるのがよく分かります。キリストの腕の中で兵士は救出され、天に昇ることでしょう。

大原美術館
『キリストとマドレーヌ』1905
ジョルジュ・デヴァリエール(1861-1950)

デヴァリエールは『キリストとマドレーヌ』の構図をこのステンドグラスに転用したということなので、やはり、キリストがマドレーヌの肩をかりて立っているということだけでなく、マドレーヌの肩を抱いて包み込んでいるという解釈で良いのではないかと思いました。キリストが抱きしめる様子は、ステンドグラスの方が分かりやすいですよね。両腕でしっかり兵士を包み込んでいます。

ステンドグラス作品の制作年は1927年なので、デヴァリエールが戦争で息子を失った(1915年に戦死)後です。様々な思いが込められた作品でしょうね。

※ドゥオモン納骨堂礼拝堂のステンドグラスデザインはデヴァリエールですが、ステンドグラス職人はジャン・エベール=スティーブンスです。

大原美術館:『キリストとマドレーヌ』デヴァリエール①

マドレーヌとは誰のことでしょう?

大原美術館
『キリストとマドレーヌ』1905
ジョルジュ・デヴァリエール(1861-1950)

【鑑賞の小ネタ】
・フランスの画家
・風俗画から徐々に宗教画へ
・第1次世界大戦に従軍
・17歳の息子が戦死
・教会のステンドグラスも手掛ける

絵の上部に「JESUS CHRISTUS SANCTA MARIA MAGDALENA」と書かれています。マグダラのマリア(聖母マリアとは別の聖女)はラテン語でマリア・マグダレーナ( MARIA MAGDALENA )、フランス語でマリ=マドレーヌ(Marie-Madeleine)または聖マドレーヌ(Sainte Madeleine)と呼ばれるそうです。ちなみにSANCTAはラテン語で「聖人、聖なる」という意味です。作品名にあるマドレーヌとはマグダラのマリアのことでした。

作品『キリストとマドレーヌ』のキリストは、いばらの冠を被せられ、赤い服を着ていますね。キリスト教においては、十字架にかけられたキリストの血に通じる聖なる愛の色で、「神の愛」「キリストの贖罪(しょくざい:犠牲や代償を捧げて罪をあがなうこと)の血」を象徴しています。そして、マグダラのマリア(マドレーヌ)は、長い髪(多くは金髪)に香油壺を持つという姿で描かれることが多いのですが、この絵ではどうでしょうか?金髪の長い髪はよく分かりますね。香油壺はどこでしょう?筆者には見つけられませんでした。

ところで、この二人の状況、どう見えますか? 筆者の第一印象は、傷つけられ一人で立つことができなくなったキリストを、マドレーヌの力で抱えて立っている(歩いている)というものでした。でも、聖書的にはいつの段階?と疑問に思いました。いばらの冠を被っているということは磔刑(たっけい:十字架刑)の前から直後、そして赤い服を着ているということは、磔刑後なんでしょうか?ただ、マグダラのマリアはキリストの側にいた聖女であることは間違いないのですが、このような状況で聖書に登場することが果たしてあったのか?そもそも磔刑後、キリストがこのように立つ(キリストの復活は別として)ようなことがあったのか?色々調べてみましたが、筆者にはよく分かりませんでした。

ところがその答えは、現在展示中のこの絵の説明書きの中にありました。聖書には記述がない場面として解説されていたんです。宗教画といえば、聖書のどの場面だなと分かる作品が多いものですが、そういう意味では『キリストとマドレーヌ』は少し珍しいタイプの宗教画なのかもしれませんね。

キリストがマドレーヌに抱えられて立っていると思われたこの絵、もう一度しっかり見直してみることにしました。 キリストの右手はだらりと下がっていますね。左手はどこでしょう?マドレーヌの金髪と同じような色なので少し分かりにくいのですが、マドレーヌの左肩辺りに爪のようなものが描かれています。爪だとすると、これがキリストの左手ということになりますね。なんとキリストはマドレーヌの左肩をしっかり抱えていたんですね!パッと見だと分かりませんでした。そうなると、自力で立つことは難しいと思われたキリストに力を感じることができます。 マドレーヌの方はどうでしょう?左手はキリストの胸にそっと当てられ、右手はマドレーヌ自身の胸に当てられているように見えます。右手がこの状態だとキリストの体をマドレーヌの力だけで支える(持ち上げる)ことはできませんよね。持ち上げ立たせるには、少なくとも右手はキリストの腰あたりにまわす必要がありそうです。ということは、見方が全く変わってくる予感です。

この絵は、キリストとマドレーヌ、二人の力で立っている絵なのではないでしょうか?いばらの冠を被せられ、傷つきうなだれた様子のキリストではありますが、左手でマドレーヌの肩をしっかり抱き、立つことはできるけれども倒れそうになるキリストの体をマドレーヌの左手がそっと支える。そして、マドレーヌの肩に置かれたキリストの左手は、自身が倒れないためだけに置かれているのではなく、マドレーヌを守り包み込む意味合いが強いと筆者は思っています。心身ともにお互いを支え合っている絵というわけです。

第一印象とはかなり違った解釈になりました。絵は隅々までじっくり見るものだなぁと改めて感じました。

制作年が同じで、キリストの様子がよく似た作品を見つけました👇

個人蔵
『聖心』1905

「聖心」とは「聖なる心臓(御心)」のことで、キリストの人類に対する愛の象徴である心臓、またそれに対する崇敬を示すことばということです。宗教色が強い作品といえそうです。

パリ出身のデヴァリエールは、宗教的な教育を受けました。最初は肖像画を描いていたようですが、ギュスターヴ・モロー大原美術館:『雅歌』モロー)との関係により、神話と宗教に興味を持ちました。本格的に宗教美術へ傾いていったのは、第1次世界大戦中1915年に息子を失った(17歳だった息子ダニエルは父デヴァリエールから数マイル離れた場所で戦死)後からだそうです。戦争に関連した公的および私的な装飾プログラムに関わり、数多くの作品を残しました。その取り組みの中には教会のステンドグラスもあり、大原美術館の『キリストとマドレーヌ』の構図を転用(図録:『大原美術館展 異文化は共鳴するのか? 大原コレクションでひらく近代への扉』より)した作品があるそうです。

投稿記事(大原美術館:『キリストとマドレーヌ』デヴァリエール②)へ続く。