番外編:自宅水槽のシジミ

生き残っていたシジミがやっぱり…

2020年4月30日撮影  シジミ

スーパーのシジミ、残念ながら全滅です。このシジミは宍道湖のシジミでした。詳しくは、ヤマトシジミです。汽水に棲むシジミだったので、そもそも無理がありました。中身は魚たちにつつかれていました。魚がつついた後は、ヤマトヌマエビ(水槽内に以前から2匹います)がワシャワシャしてました。最終的には、水槽内にいる目に見えない濾過バクテリアによって分解されます。生態系、食物連鎖を感じるところです。

ちなみに、川(淡水)の中流から上流で見つかるシジミはマシジミといいます。

マシジミを川からすくってきて入れてみるのもいいかもしれませんね。というのも、知ってる方も多いかと思いますが、シジミなどの二枚貝には水の浄化作用があるんです。

たかがシジミ、されどシジミでした。

美観地区の『前神橋』

美観地区最南端の「高砂橋」に並行して架けられている「前神橋」です。

北側から撮影した「前神橋」
南側から撮影した「前神橋」

自動車2車線の橋です。

出展:倉敷物語館前の立て看板
岡本直樹「倉敷川畔美観地区鳥瞰絵図」の一部

1954年(昭和29年)、「 高砂橋」のすぐ南に架けられました。橋の名前は、旧前神町(現・中央一丁目)に由来しています。欄干に注目です。鉄製の龍がデザインされています。「今橋」にも龍の彫刻がデザインされていましたね。

前神橋 1954
出展: 「絵図で歩く倉敷のまち」吉備人出版 
巻末折込み 「市制記念 倉敷市新地図(昭和3年)」の一部

製作は、建築家・浦辺鎮太郎(うらべしずたろう)によるものです。現・倉敷市出身で、倉敷レイヨン(現・クラレ)に入社し、実業家・大原総一郎の地方都市構想に感銘を受けて、倉敷建築研究所(現・浦辺設計)を設立しています。倉敷市役所、大原美術館分館、倉敷市民会館、倉敷国際ホテル、倉敷アイビースクエア等、その他数多くの建築物を設計しています。

出展:フリー画像
「倉敷市役所」1980年 (昭和55年)建造

 

ちなみに、旧 倉敷市庁舎はこちら。

出展:倉敷市立美術館ホームページ

建築家・丹下健三(1913-2005)が設計しました。現 倉敷市立美術館です。

番外編:自宅の川魚水槽

散歩も難しい日々が続いています。自粛生活の癒しになっている自宅の水槽を今回は紹介したいと思います。

2020年4月撮影 60㎝水槽

水草は 初心者に最適 なアヌビアス・ナナです。筆者の水槽歴は、20年以上になるのですが、この水草はほんとに強いと思います。水槽に適した水草は色々あるのですが、水質によっては溶けるように枯れたり、魚たちに食べられたり、光が足りなくて枯れてしまったりと、その育成はなかなか難しいのです。流木はホームセンターで購入したものです。時々、水に沈まなかったり、水質が悪化したりするので、沸騰したお湯に入れる等、あく抜きをお勧めします。

普段は熱帯魚(小型の淡水魚)を飼っているのですが、数年前から、近くの川からすくってきた川魚も少し入れています。

2020年4月撮影 水槽内の川魚

どちらも在来種です。稚魚の時にすくってきました。カワムツの体には黒いスジがあって、だんだんはっきりしてきています。そしてヒレは赤みを帯びてきて、なかなか綺麗です。オイカワは初め、(ちょっと様子が違っていたので)カワムツのメスかなと思っていました。白っぽい銀色で、鼻の先(口の先)が赤いのです。詳しく調べてみたら、オイカワの稚魚の特徴にぴったりでした。オイカワは「カワムツより光沢のある銀白色で、徐々に口先の部分に赤い点が現れる」のだそうです

2020年4月撮影 川魚の混泳

オイカワが離れて泳いでいる時もありますが、比較的仲良く泳いでいます。

水草の上の黄色い魚に気づきましたか?熱帯魚です。ゴールデン・アルジイーターと言います。ドジョウの仲間で、吸盤のような口を使って水槽のコケを食べてくれます。稚魚の頃の性格は比較的おとなしいので混泳向きなのですが、成魚になると、かなり暴れん坊です。しかも10㎝くらいにはなるので、ちょっとドキドキです。仲良くやってくれるといいのですが…

2020年4月撮影 ゴールデン・アルジイーター

そして、シジミもいます。消費期限が切れてしまったスーパーのシジミです。宍道湖(汽水湖:淡水に海水が混ざっている湖)のシジミだったので、淡水では無理かなと思いつつ7個体投入してみました。1個体のみ適応したようです。

2020年4月撮影 シジミ

ところで、オイカワはとてもよく跳ねます。水槽の掃除の時、ガラスの蓋をとっていて、コンッと音がしたなと思ったら、上部に設置してある水槽用のライトにオイカワがぶつかって水中に落ちて行くところでした。オイカワの生態を調べてみると、よく跳ねると書いてありました。水槽には必ず蓋ですね。オイカワに限らず、魚が飛び出てしまいますから。

大原美術館:『オーヴェルシーの運河』シニャック

塗り方がとてもおもしろい絵だなと思いました。

大原美術館
ポール・シニャック(1863-1935)
『オーヴェルシーの運河』1906

【鑑賞の小ネタ】
・この絵はオランダのOverschie
・シニャックの趣味はセーリング
・海岸風景画が多い
・スーラと共に新印象派の巨匠

点々、凄いですよね。根気がいりそうな塗り方です。時間もかかりそうです。点描(テンビョウ)という点やとても短いタッチで表現する技法で描かれています。印象派の画家たちは、視覚混合(遠くから見ると混じり合ってひとつの色に見える光学現象)を絵画に応用し、筆触分割(パレットの上で絵の具を混ぜずに、原色に近い絵の具の小さなタッチをキャンパスの上に並べる)の方法を生み出しました。点描画法では、筆触分割の小さなタッチがもっと細かいタッチ、点に近いものになっていますね。シニャックが大きな影響を受けたジョルジュ・スーラの作品を見ると、さらに細かいタッチの点描になっているのが分かります。

シカゴ美術館
ジョルジュ・スーラ(1859-1891)
『グランド・ジャット島の日曜日の午後』1884-1886

『オーヴェルシーの運河』には大きな風車が描かれています。オランダなんだろうなと思い、地図を見てみると、オランダにはオーヴェルシーはなくて、フランスにオーベルシーがありました。え?と思いましたが、よくある読み方の問題でした。筆者の見た地図では、オランダのオーフェルスヒー(Overschie)となっていました。そしてフランスのオーベルシー(Aubercy)でした。ちなみに、オランダのオーフェルスヒーには立派な運河がありますが、フランスのオーベルシーには運河はありません。

シニャックは1884年にスーラに出会っています。スーラの描写方法や色彩理論に心打たれ、忠実な支持者となり、スーラ(1891年31歳で死去)亡き後、新印象派の発展と体系化に努めました。スーラに出会う前の作品はこちら。

オルセー美術館
ポール・シニャック
『パリ郊外、ジュヌヴィリエ街道』1883

オーヴェルシー(オーフェルスヒー)はどんなところだったのでしょうか?同時代の画家の作品がこちら。

ボイマンス・ヴァン・べーニンゲン美術館
ポール・ハブリエル
『オーフェルスヒー近くの風車のある干拓地』1898

風車が描かれていますね。オーフェルスヒーは、オランダのロッテルダムの中の都市なので、ロッテルダムを描いた作品も紹介します。

ボイマンス・ヴァン・べーニンゲン美術館
ヨハン・ヨンキント(1819-1891)
『ロッテルダム』1867

中央に特徴的な建物が描かれていますが、この建物、大原美術館の『オーヴェルシーの運河』の中にも描かれているような…

特徴的な建物

黄色で囲った部分です。ちょっと似てると思いませんか?塔の上部辺りが、ポコポコと丸みを帯びて特徴的だったので、前から気になってました。この建物に似たロッテルダム(オーフェルスヒー)の建築物がないか、色々画像を調べてみました。

アムステルダム国立美術館
ヨハン・ヨンキント(1819-1891)
『月明かりの下でのオーフェルスヒー』1871
ヨハン・ヨンキント(1819-1891)
『オランダ、オーフェルスヒーの眺め』

作品名にはっきりとオーフェルスヒー(オーヴェルシー)とあります。大原美術館の『オーヴェルシーの運河』のあの建物と同じと考えて良いのではないかと思います。そして、やっと見つけました!

出展:Wikipedia 
「Nederlands Hervormde Kerk van Overschie」

「オランダ改革派オーバーシー教会」ではないかと思います。Kerkとはオランダ語で教会で、Overschieをここではオーバーシーとしていますね。

 

次は風車に注目です。『オーヴェルシーの運河』の風車もこの系列の風車だと思います。この絵はヨハン・ヨンキントによるものですが、詳細に描かれているので風車の構造がよく分かります。

ティッセン=ボルミネッサ美術館
ヨハン・ヨンキント
『デルフト近くの風車小屋』1857

鐘楼に鐘楼守がいたように、かつて風車にも風車守がいました。その技術は親方から弟子へ受け継がれていたそうです。2017年にオランダの「風車守の技術」が ユネスコ世界無形文化遺産 に登録されています。

シニャックは、水彩画も多く残しています。

国立西洋美術館
ポール・シニャック
『燈台』19世紀
ポール・シニャック
『ラ・ロシェルの釣り船』1920
ポール・シニャック
『バルフルール』1931

シニャックはセーリングが趣味だったので、海岸風景をたくさん描いてます。水彩画もなかなか良いですよね。

大原美術館:『漁夫』シャヴァンヌ

大原美術館の他の2作品と比べて、かなり描き方が違うなと思いました。

大原美術館
ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824-1898)
『漁夫』1856

【鑑賞の小ネタ】
・シャヴァンヌ初期の作品
・かなり写実的
・作品名に「漁夫」が入る他作品あり
・この作品の少し前から壁画装飾を始める

大原美術館にはこの作品の他に、『幻想』と『愛国(習作)』があります。『幻想』は壁画装飾のフレスコ画っぽい仕上がりになっていて、『愛国(習作)』は光を感じる印象派っぽいタッチで塗られています。そしてこの『漁夫』は、とても写実的でアカデミックな感じがします。3点同時に展示されているのを見たことがありますが、比べて見てみるとほんとに違いますョ。筆者は最初、3点それぞれ別の作家が描いたと思っていましたから。

様々な画風(塗り方)を見せてくれるシャヴァンヌですが、どの派とも一線を画していて、象徴主義の先駆者の1人とされています。

『漁夫』1856はシャヴァンヌの初期の作品と言えます。もっと初期の1848年の作品がこちら。

クライスラー美術館
『アレゴリー』1848

シャヴァンヌは1850年にサロン・ド・パリ(官展)にデビューしていますが、8年連続で落選しています。『漁夫』1856は落選中の作品というわけです。ただこの期間、1854ー55年に私邸の食堂のために、初めての壁画装飾も制作しています。1859年にその壁画の1つを再制作した『狩猟からの帰り』が入選してからは、壁画装飾の腕が注目され始めることとなります。

ところで、シャヴァンヌは「漁夫」をテーマとした作品をいくつか残しています。

国立西洋美術館
『貧しき漁夫』1877-1892
プ-シンキ美術館
『貧しき漁夫』1879
オルセー美術館
『貧しき漁夫』1881

作品名は3点とも『貧しき漁夫』となっています。男性は、前で手を組んで祈っているように見えます。細身で疲れているような印象です。大原美術館の『漁夫』は、ドカッと横になってはいますが、筋肉質で健康的な細マッチョに描かれていると思います。「漁夫」がテーマの作品なのですが、「貧しき」がつくと随分違うものですね。

シャヴァンヌは神話や聖書の世界を題材とすることが多く、「漁夫」も何か関係しているのでしょうか?聖書に詳しい方はピンとくると思いますが、キリスト教12使徒の中に、前職が漁師という使徒がかなりいるんです。ペテロ、アンデレ(ペテロの弟)、大ヤコブ、ヨハネ(大ヤコブの弟)が漁師で、フィリポ、トマスも漁師ではないかと言われています。何か関係ありそうですね。

『貧しき漁夫』の女性と子どもはどうでしょう?女性は漁夫の妻で子どもは漁夫の子どもという解釈と、2人とも漁夫の子どもという解釈があるようです。シャヴァンヌ自身は、「妻を亡くした貧しい漁夫を描いた」と説明しているそうです。妻が亡くなっていることは間違いなさそうですが、女性は妻の幻影でも良いわけで、どちらの解釈もありのように思います。ちなみに、オルセー美術館の公式ホームページの解説では、妻を亡くした漁夫と2人の子どもたちとされています。

大原美術館の『漁夫』は、まだ独身って感じがします。妻と子どもがいるようには見えないのですが、いかがでしょう? 解釈は自由だと思いますョ。