大原美術館:『セゴヴィアの夕景』コッテ

なかなかお目にかかれないのですが、大好きな絵です。

大原美術館
シャルル・コッテ(1863-1925)
『セゴヴィアの夕景』1905-1909

【鑑賞の小ネタ】
・スペイン セゴヴィア旧市街は世界遺産
・中心の建物はきっとセゴヴィア大聖堂
・コッテはシャヴァンヌに師事
・版画も手掛ける画家

お城のような中心の建物は、まず、セゴヴィア大聖堂だと思います。16世紀から18世紀にかけて建てられたゴシック様式の大聖堂です。

出展:旅工房HP 「セゴビア 大聖堂」

セゴヴィアの旧市街図を見てみると、スペイン語でcatedral(カテドラル)となっていますが、これは大聖堂のことを意味しています。キリスト教で司教座のある聖堂がカテドラル(大聖堂)ということのようで、教区全体の母教会ということになりますね。

出展:segoviaturismo.es 「セゴヴィアの旧市街図」

お城のような大聖堂なのですが、セゴヴィアの旧市街の西端に本物のお城がちゃんとあります。アルカサルです。スペイン語で城を意味します。このお城はすごいですよ!ディズニーの「白雪姫」のお城のモデルになっています。

出展:Wikipedia  「アルカサル」

コッテは、過去記事でも紹介しましたピュヴィス・ド・シャヴァンヌのもとで学んでいます。シャヴァンヌは壁画等、装飾的な画風でしたが、コッテはそれにそまらず、現実の自然を描くことに取り組んだそうです。

大原美術館の西洋美術の収集に尽力したのは画家の児島虎次郎なのですが、大原コレクションの第1号はアマン=ジャンの『髪』という作品なんだそうです。そしてコッテは、アマン=ジャンの仲間だったようですョ。児島虎次郎はコッテの作品を積極的に購入しています。大原美術館には油彩作品5点、版画作品19点が所蔵されているそうです。(参考資料:大原美術館HP)

ところで、この『セゴヴィアの夕景』、どう観ますか?夕暮れ時ということはよく分かるのですが、夕日に照らされている大聖堂周辺と、手前の暗い部分との差が際立っているように思うのです。単に地形的なものなのかもしれませんが、何か意味があるとしたら、どうでしょう? 城壁のような壁に守られている所と守られていない所との差とでも言うような…。 ただ、写真でも手前が暗めなので、日当たりが悪いだけなのかもしれませんけど。

何れにしてもコッテは、目の前に広がる現実(自然)の中に何かを感じてこの絵を描いたのだと思います。それを色々想像するのは鑑賞側の自由なので、おもしろいですね。

番外編:ストロベリームーン

昨晩は満月でした。2020年6月5日の夜から6日の明け方にかけての天体ショーだったのですが、6月に見られる満月はストロベリームーンと呼ばれます。この呼ばれ方も随分一般に浸透したように思います。

2020年6月5日22時頃撮影 一眼レフカメラ感度低め
2020年6月5日22時頃撮影 一眼レフカメラ感度 高め

今回は、「半影月食(はんえいげっしょく)」も起こるということでした。グラデーションのように片側が少し暗く見える現象です。半影食の最大は、6日の4時半頃ということだったので、頑張って起きてみたのですが、雲がかかっていてよく分かりませんでした。

ストロベリームーンなのだから、イチゴのように月が赤く見えるのかなと思われがちなのですが、月の出、月の入り辺りで若干赤く見えるかな程度のようです。南の空に高く上がっている時は、普通の白っぽい満月の色です。

ところで、夏至の頃は日が長く、太陽の南中高度も高いですよね。冬至の頃はその逆ということはよく知られていますが、満月はどうなのでしょうか? どうやら、満月の南中高度は「夏低くて冬高い」みたいです。ということは、6月の満月(ストロベリームーン)は、低い位置をまわっているということになりますね。

月が赤くなる原理は、朝焼けや夕焼けと同じなんだそうです。月も地平線近くにあるほど赤く見えるということですね。ストロベリームーンに限らず、満月の月の出、月の入り辺りは赤みを帯びるということになるのですが、なぜ、ストロベリームーンは「赤い月」として注目されるのでしょうか? その理由は、この頃の満月が、空の低い位置を通る(地平線から近い位置を通る)ため、地平線近くに満月がいる時間が若干増えることとなり、その結果、赤い満月を観測しやすくなるということだったようです。

【余談】
月には双眼鏡でも見ることができるクレーターがあります。名前は『ティコ』です。月の下部中心辺りにあります。幼い頃から、なぜかこのクレーターのことを凄いと思っています。直径85キロだそうですョ。月の写真を見る時、いつもこの『ティコ』の存在確認をしてしまいます。

出展:Wikipedia
NASAによるティコの写真

番外編:自宅水槽の水草

自宅水槽の水草、アヌビアスナナが、この度花を咲かせました。そこまで珍しいことではないのですが、水の中で咲いた花ということでテンションが上がります。

自宅水槽のアヌビアスナナ

初めはこんな感じで葉っぱみたいにスーッと伸びてきます。2~3日間くらいこの状態だったと思います。

アヌビアスナナの開花

アヌビアスナナは熱帯地域に自生するサトイモ科の着生植物です。中心の棒状の花は、肉穂花序(にくすいかじょ)といいます。花を包んでいる黄緑色の部分は、仏炎苞(ぶつえんほう)といって、葉っぱが変形したものです。仏像の光背の炎形に似ているからこの名前がついたということなのですが、そうなると棒状の花は仏像ですよね。奥深いネーミングだなと思いました。

アヌビアスナナの花

開花して2~3時間でこの状態になっていました。なんだかミズバショウに似ていますね。 ミズバショウもサトイモ科です。

出展:Wikipedia ミズバショウ

  

アヌビアスナナの花、1日経過したら、こんな感じになってました。

アヌビアスナナの花のアップ

どんどん花の様子が変わって行くので、おもしろかったです。

大原美術館:『木を伐(き)る人』ホドラー

紙幣のデザインにもなった絵みたいですョ。

大原美術館
フェルディナント・ホドラー(1853-1918)
『木を伐る人』1910

【鑑賞の小ネタ】
・ホドラーはスイスの国民的画家
・紙幣のデザインに採用された絵
・似ている作品が多数あり
・水色の楕円が印象的
・ホドラーは壁画も手掛ける画家

ホドラーはスイスの国民的画家で、23歳の時にジュネーヴの美術協会のコンクールで第一席の賞をもらっています。そしてホドラーの活躍の場は、生涯スイスでした。

そんなホドラーは、スイスの紙幣のデザインを国から依頼されています。第2次銀行券の中の50フラン紙幣と100フラン紙幣の表裏を担当していて、50フラン紙幣の裏面に「木を伐る人」が描かれています。

出展:Wikipedia スイス紙幣50フラン

確かに力強く斧を振り上げる人の姿がデザインされていますね。色々と試行錯誤したのでしょうか、「木を伐る人」とほとんど同じ構図の作品が、複数残されています。その内の2枚がこちら。

ベルン、モビリア―ル美術コレクション
『木を伐る人』1910
オルセー美術館
『The Woodcutter』1910

ほとんど同じですね。ちなみに、100フラン紙幣はこちらです。

出展:Wikipedia スイス紙幣100フラン
ベルン美術館
『草を刈る人』1910

これらの紙幣は、1911年から14年にかけて発行されて、1978年に失効されるまで長く使われていたようです。

ホドラーの作風は、一見写実的に見えるのですが、象徴主義(目に見えない人間の心理や観念を表現)的な一面もあるようです。「木を伐る人」という題目は、見た通りそのままなのですが、ホドラー自身は内面をより表現した「力」という題目にしたかった(大原美術館HPより)ようですョ。木こりの姿を通して、人間の力強さを表現したかったのかもしれませんね。

ところで、水色の楕円、気になりませんか? 雲の色と空の色が逆転したような…。水溜まりでしょうか? 特定のものはなく、何かの象徴なのかもしれませんが。次の絵の雲は、「木を伐る人」の水色の楕円の表現に似ていると思います。

『シェブルから見たジュネーブ湖』1904

この絵だと、白い部分が雲だと分かるのですが、不思議な描き方ですよね。象徴主義の画家は、自己の内面を追求し表現することが多いのですが、ホドラーの内面とはどういったものだったのでしょうか?調べたところによると、ホドラーの生涯はなかなか大変なものだったようです。幼少期に父親と兄弟を結核で失い、母親は装飾美術を手掛ける職人と再婚しますが、やはり結核で亡くなってしまいます。義理の父親から絵画の最初の手ほどきを受けて、看板職人をしたり観光客相手に絵を売ったりして生計を立てたという苦労人でした。

苦労したにしては、今回採り上げた絵たちは、暗さを感じないように思うのですが、どうでしょう? どうやら途中から画風が変わって行ったようです。ホドラーの関心は、世界の中にある「リズム」になりました。それを表現しようと、画面上に人や対象物を反復連鎖させることによって視覚的に「リズム」を感じ取らせる等、色々と試みています。『 シェブルから見たジュネーブ湖 』を見てみると、抽象的に描かれた雲が湖面に映って反復され、確かにある種の「リズム」を作っているようにも感じられます。

『木を伐る人』 ではどうでしょうか? 斧を振る人は、力強いと同時に、リズムよく木を伐っているように見えなくもないです。そして、謎の水色の楕円、これにもリズムがあるのでしょうか?抽象的で丸いということだけで、リズムを感じなくもないのですが、これは画面にリズムを与える象徴的な何かということで良いのではないかと思います。この楕円がないと、バック画面がとても平面的になってしまいますしね。「リズム」、なかなか奥深いですね。

倉紡製品原綿積み降ろし場跡とセンダンの木

美観地区の倉敷川沿いには柳だけでなく、センダンの木もたくさん植えられています。5月には淡い紫色の花を咲かせます。倉敷川はかつて運河だったので、江戸、明治期に船着場付近に植えられたんだそうです。

「倉紡製品原綿積み降ろし場跡」とセンダンの木

積み降ろされた荷物は、矢印の方向へ運ばれて行きます。倉敷アイビースクエア(旧倉紡)へ続く路地は、石畳の雰囲気の良い路地です。アスファルトに舗装された頃があったらしいのですが、かつてを偲んで、再び石畳の通りへと復元されたそうです。

センダンの木の木陰では、荷揚げをしていた作業員が休憩していたそうです。また、幹に船の「ともづな」を巻きつけたりと、センダンの木は大活躍していたようです。「ともづな」によってセンダンの木の根元がくびれているのが分かる写真がこちら。

 

ところで、「倉紡製品原綿積み降ろし場跡」 敷地内にセンダンがかつてあったようです。

出展:倉敷観光WEB 2011年

現在はないセンダンの木が、積み降ろし場の中央付近に確かにあります。「ともづな」を巻きつけるのにも最適そうですね。良い木陰も作っていたことでしょう。

どうやら根が張り過ぎて、石垣が崩れてきたため、近くに移されたらしいのです。どこに移されたのかは分かりませんでした。

出展:倉敷考古館HP
移植準備中のセンダンの木
石垣改修の痕跡

移植されたセンダンは、人々にとても親しまれていたことと思います。現在、どうなっているのかちょっと気になります。美観地区へ行った際には、センダンの木の枝ぶりを気にしながら歩こうと思っています。移植されたセンダンの木と同じような枝ぶりのものが見つかるかもしれません。