大原美術館:『マドンナ』ムンク

いろいろ意味深な作品ですよね。

大原美術館
エドヴァルト・ムンク(1863-1944)
『マドンナ』1895-1902
石版(リトグラフ)

【鑑賞の小ネタ】
・これはマドンナなのか?
・マドンナの周りに注目
・同じ構図の作品が複数あり
・ムンクはノルウェーの世紀末画家

マドンナとは、そもそも聖母マリアのことで、憧れの対象となる女性のことも意味していますよね。それにしても聖母マリアをこんな感じに表現することはあまりないように思います。憧れの対象となる女性だとしても、なんかちょっとすごいですよね。ムンクは同じような構図の作品を複数制作しているので、相当な思い入れがあったことは確かです。

ムンク美術館
『マドンナ』1893-1894
オスロ 国立美術館
『マドンナ』1894-1895
ハンブルグ美術館
『マドンナ』1895

大原美術館の「マドンナ」は版画(リトグラフ)ですので、色違いの作品もあります。

ムンク美術館
『マドンナ』1895-1902
国立美術館
『マドンナ』

版画の作品の左下に小さな人がいますが、これは胎児を表しているそうです。そして円い頭を持った紐状のものは、精虫(精子)らしいです。なんとも謎めいています。そして、版画版では分かりにくいのですが、マドンナは妊娠しているようです。

このマドンナ、 ムンクの友人ダグニー・ユール ではないかといわれています。ユールは、1895年9月28日に第一子を出産していますので、妊娠の時期的にもぴったりです。きっとダグニー・ユールで間違いないのでしょうね。

出展:Wikipedia ダグニー・ユール

当時ムンクは、「黒豚亭」という居酒屋で芸術家たちと交流を深めていました。そこのマドンナ的存在だったのがダグニー・ユールなんです。ムンクの理想の女性像だったようです。ユールはムンクの友人と結婚するのですが、結婚の条件が「性の自由」だったとか。後に恋人の1人だった青年に拳銃で撃たれて亡くなりますが、34歳の誕生日の3日前だったそうです。ユールの死は、ムンクに相当なダメージを与えることとなります。

ところで、胎児と精虫にはどんな意味があるのでしょうか?マドンナの表現にしても、何か女性に対してコンプレックスがあるように思います。ムンクの父親は医者で、比較的裕福な家庭に育ったようなのですが、ムンクが5歳の時に最愛の母を亡くしています。そして14歳の時に母代わりだった姉も結核で亡くしているようです。愛する女性たちの相次ぐ死は、その後のムンクの人生に大きく影響しそうですよね。ムンク自身も病弱だったようですから、生と死を常に意識する生活だったことでしょう。胎児は、ムンク自身なのでしょうか?そしてそれは生の象徴なのか死の象徴なのか? そうではなく、全く違う感情の表れというのもありですね。色んな解釈が出てきそうで興味深いです。

ちなみにムンクは、街ゆく人が振り返るほどの美青年だったそうですョ。

若い頃のムンク

大原美術館:『荒地の老馬』コッテ

痩せてはいますが、骨格はしっかりしているように思います。

大原美術館
シャルル・コッテ(1863-1925)
『荒地の老馬』1898

【鑑賞の小ネタ】
・ブルターニュ地方の海岸沿いの荒地
・この馬はどんな馬?
・なぜ老馬がモチーフに?
・この頃の作品は全体的に暗い色調

コッテがフランスのブルターニュ地方を訪れた時に描いた絵のようです。ブルターニュ地方は大西洋に面した半島です。後景に海が見えますね。石垣と柵が描かれているので、野生馬ではなく飼われている馬だと思います。ブルターニュ地方原産の中量級の輓(ばん)用馬 、「ブルトン」馬でしょうか? 輓用馬 とは、車を引っ張る馬のことです。ブルトン馬の特徴は、頸が短く、胴が太くてたくましく、距毛(足元の毛)が少ないということのようです。この絵の老馬を見てみると、痩せてはいますが胴回りが大きいですよね。そして、顔が大きく感じるほど、頸が短いと思います。筆者の第一印象は、ロバ?でしたから。

出展:Wikipedia ブルトンウマ

海岸付近の荒地で、石垣と柵で区切られている様子が描かれている絵が他にもありました。

シャルル・コッテ
『茅舎(ぼうしゃ)』

コッテの絵の紹介は、これで3作品目です。『セゴヴィアの夕景』、『聖ジャンの祭火』、そして本作品『荒地の老馬』です。どの作品もかなり暗い色調ですよね。

コルドバ美術館
シャルル・コッテ
『Las veredas enBretana』1890-1900

コッテは、「バンド・ノワール(黒の一団)」と呼ばれる画家グループの一員だったようです。 ギュスターヴ・クールベ(1819-1877) の写実主義のスタイルを継承している画家たちのグループで、 エミール=ルネ・メナール(1862-1930) もその一員です。

クールベ美術館
ギュスターヴ・クールベ(1819-1877)
『シヨン城』1874
国立西洋美術館
エミール=ルネ・メナール(1862-1930)
『秋の森』

クールベの絵は、『秋の海』という作品が 大原美術館にもありましたね。

ところで、ブルターニュ地方は中世の間、ブルターニュ公国というほぼ独立国家でした。ケルト系民族のブルトン人(ブルターニュ人、ブレイス人ともいう)が暮らしていたようです。ブルターニュがフランス国家に組み込まれたのは、フランス革命後の1789年なんだそうです。ブルトン語も話されていましたが、フランス政府によって格下の言語の扱いを受けました。ブルトン語の保護を求める動きが出たのは近年になってです。2008年、地域言語を「フランスの文化遺産」とする憲法改正案がフランス国民会議で通過しています。

現代のブルトン・ナショナリズムは、19世紀後半から20世紀初めにかけて発展しています。コッテが活動した時期とあてはまります。素朴な自然、信仰と結びついた祝祭、伝統が残る自給自足の生活などが評判を得たようです。ますますこの絵の馬が「ブルトン」馬に見えてきました。ブルターニュ地方原産のしっかり働いてきた老馬に対して、敬意をもって描いたのかもしてませんね。絵のモチーフとしては普通駿馬を描きそうなところですが、痩せた老馬を選ぶあたりにコッテの様々な想いを感じるところです。

番外編:ナマズの仲間コリドラス

水槽の中に、カワムツとオイカワが1匹ずついて、縄張り争いばかりするので、どうしたものかと色々調べていたら、魚の数を増やしてみるというのがありました。1対1だと魚も煮詰まるということでしょうか? なんだか考えさせられます。

川魚を増やすつもりはなかったので、熱帯魚で、底の方で生活する(カワムツやオイカワが泳いでいる中間域を外す) 魚だったらうまくいくのではないかと考えました。そこでナマズの仲間コリドラスの登場です。

コリドラス・ジュリー
コリドラス・パレアトゥス(青コリ)
コリドラス・アエネウス(赤コリ)

比較的どのコリドラスも安価で、初心者向けです。筆者も飼育経験済みです。この3種の中では、ジュリーが一番繊細で、赤コリが一番よくエサを食べて丈夫だと思います。コリドラスは環境の変化に敏感という一面を持っているものの、他の魚たちには無関心なのではないかと筆者は思っています。

水槽にコリドラスが加わって、しばらく様子を見ていると、早々にカワムツとオイカワが近寄って行ってつついてました。どうなるかと思いましたが、コリドラスたちは特に慌てることなく、粛々と底砂の上に落ちているエサを探してチョコチョコ動き回っていました。今のところ大丈夫そうです。

カワムツとオイカワの縄張り争いの様子は、若干ですが、落ち着いたように思います。1匹に集中していたものが程よく分散されたということでしょうか?これまた奥深いです。

今後も水槽の魚たちの様子、経過報告したいと思います。

番外編:水槽の川魚とエビ

自宅水槽の魚たちは、大暴れです。

カワムツ、オイカワ、アルジイーター and アヌビアスナナ

それぞれが一回り大きくなりました。黒いスジの入ったカワムツが特に成長したように思います。もう一匹小ぶりのカワムツがいたのですが、ある日突然いなくなりました。多分、跳ねて飛び出たのだと思います。ガラスの蓋の隙間は、少ししかないのですが…。水槽の周辺を探しましたが、見つかりませんでした。干からびて煮干しのような状態でいつか見つかるんだと思います。

昨夜、銀色のオイカワが水槽の外に飛び出て、床でピチピチしていました。発見が早かったので、すぐに水槽に戻すことができ、今は元気に泳いでいます。野生の川魚をこんなに真剣に飼ったことがなかったので、色々驚かされます。筆者がこれまで飼っていた、性格がおとなしい混泳向きの小型養殖熱帯魚とは違いますね。とにかく激しい感じがします。

野生種なので、縄張り争いが凄いんです。大きなカワムツがオイカワを追いかけまわします。(昨夜オイカワが飛び出た理由は、筆者がエサをやる時の音に驚いたからなのですが。)調べてみると、カワムツもオイカワも縄張り意識が強い魚のようです。

ヤマトヌマエビが2匹いたのですが、1匹魚たちのエサになってしまいました。脱皮の直後に襲われたのです。残念ながら目撃してしまいました。どの生き物もそうなのですが、脱皮の直後は体がやわらかく、動きも鈍く、狙われやすい状態にあります。脱皮は命懸けなのです。目に付きやすい所で脱皮してしまった結果だと思います。残されたもう1匹は、殻が転がっていたので脱皮はしたようなのですが、現在も無事です。水草の陰に隠れていることが多いです。学習したのでしょうか?そして、水質改善のために一時的に投入している活性炭の袋にしがみついていることもあります。

活性炭袋とヤマトヌマエビ

活性炭袋は水槽内を浮遊しているので、魚たちも不気味に思うのか、近寄りません。良い隠れ場所を見つけたなと感心してしまいました。

隠れる場所を増やすために、水草(アヌビアスナナ)をもう一株投入することにしました。ほんとは、別の水草にしたかったのですが、葉が軟らかいと魚たちが食べてしまうので、今回もアヌビアスナナにしました。丈夫な水草ですからね。

大原美術館:『聖ジャンの祭火』コッテ

焚火のまわりに、何人いるんでしょうね。

大原美術館
シャルル・コッテ(1863-1925)
『聖ジャンの祭火』1900年頃

【鑑賞の小ネタ】
・聖ジャンとは誰なのか?
・絵の中に何人描かれている?
・絵の中の焚火は1つではない。
・この場所はどこなのか?

聖ジャンとは誰でしょうか? シャルル・コッテはフランスの画家なので、フランス語で考えてみたいと思います。 ジャン=バティストまたはジャン・バティストは、フランス語でよく見られる男性名なんだそうです。これは、洗礼者ヨハネにちなんだものです。洗礼者ヨハネの本名は、フランス語で「Jean le Baptiste」なので、聖ジャンとは、洗礼者ヨハネ(聖ヨハネ)のことでいいと思います。

6月24日はキリスト教のお祭り、聖ヨハネ(Saint Jean)の日です。前夜祭として各地で祭りが行われるそうです。夏のクリスマス・イブみたいですね。

出展:Wikipedia 聖ヨハネの前夜祭 フランス

夏至(南半球では冬至)近くのお祭りなので、キリスト教と関係のない各地の夏至祭と結びついて、「火祭り」として祝われることが多いそうです。

ノルウェーの夏至祭のたき火(1906年)

『聖ジャンの祭火』の中に描かれている人たちを見てください。子どもが多いですよね。暗くて何人いるか分からないのですが、結構な人数が集まっていることが予想されます。後方にポツポツと白っぽい点があるのが見えるでしょうか?そこでもきっと火が焚かれているんでしょうね。あちらこちらで「火祭り」が行われていると想像することができます。そうなると、ぐっと絵に奥行きが出てきて、広がった感じがしませんか?

  

ところで、「聖ジャン」と検索をかけて一番に出てくるのは、ジャン=バティスト・ド・ラ・サール でした。初めはこの聖人のお祭りなのかと思っていました。ジャンとヨハネが結びつかなかったもので。ジャン=バティスト、洗礼者ヨハネにちなんだ名前でしたよね。この聖ジャンは、フランスの宗教家(カトリックの司祭)で、教育者でもあったようです。「ラ・サール」と言えば、日本にもこの名が付く学校がいくつかありますよね。その「ラ・サール」なんです。

名前に「ド」があるので、貴族です。当時の西欧では、上流階級の子女だけが、家庭教師からラテン語による教育を受けるのが一般的だったのに対し、平民の子どもにフランス語(日常用語)で教育を行ったそうです。学年毎にカリキュラムも設定し、現代の義務教育の基礎を作ったとも言われています。当時の迫害はすさまじかったようで、1719年に亡くなるのですが、その頃には司祭職をはく奪されています。街の人々にとってジャンは、この頃から聖人としてみられていたようですが、教皇によって聖人に列せられるのは1900年になってからです。なかなか理解されなかったことが分かります。1950年にすべての教育者の守護聖人と宣言されています。

ここで注目です。この絵の制作年は1900年頃です。まさに、ラ・サールが聖人に列せられた時期なんです。偶然だとは思いますが…。 もしかしたらコッテは、ラ・サールが聖人に列せられたことに触発されて、描いたのかもしれません。そして、洗礼者ヨハネの誕生を祝うと同時に、ラ・サールについても祝っているのかもしれません。ちょっと想像し過ぎでしょうかね。 何れにしても聖ヨハネの前夜祭、クリスマス・イブのように盛り上がりそうですね。