番外編:生き残っていたスーパーのシジミ

2020年4月下旬に、スーパーの宍道湖産のシジミを、自宅の川魚水槽に7匹投入していました。残念ながら、数日でほとんどのシジミの殻が開いてしまいました。 過去記事で紹介した通りです。

昨日、水槽の底砂を掃除しようと少し掘っていたら、なんと、シジミが出てきたのです!全滅したと思っていたスーパーのシジミが、1匹しぶとく生き残っていました!妙に感動しました。

スーパーの宍道湖のシジミ

一回り大きくなっていました。元気そうです。しばらく見ていたら、中身の白いものが出てきました。貝の「足」です。

シジミの足

どうやって砂の中に潜るのかなと思って見続けていたら、結構な勢いで縦に体勢を変えました。

体勢を変えたシジミ

ここからは早かったです。少し休んではグッ、グッ、と潜って行きました。

砂に潜るシジミ

15分くらいで潜りは完了したと思います。
シジミ、アサリのような二枚貝は、水質浄化作用があります。汚れた水を吸ってきれいな水を吐いてくれるわけですが、今回、それも観察することができました。

シジミの出水管と入水管

底砂の掃除中だったので、この時水が全体的に濁っていたんです。そのため、吸った水が浄化しきれなくて、濁ったまましばらく吐き出されていました。まるで茶色の煙のようでした。おかげで、どちらが出水管なのか、はっきり分かりました。決定的瞬間を撮影しようと頑張りましたが、撮れませんでした。

シジミの水管と赤コリ

好奇心旺盛なコリドラスたちが寄って来ていましたが、水管だけ出した状態で、シジミはじっとしていました。

翌日、底砂から水管が出ているか観てみましたが、よく分かりませんでした。さらに潜ったのでしょうか?必要な時に、底砂の表面ギリギリまで出て来るのでしょうか?なんだか夏休み自由研究のようになってきましたが、今後も生き残ったシジミが潜ったあたりを、ジロジロ観察して行きたいと思います。

【追伸】
思い出したんですが、7匹投入した時に、速攻で潜ったシジミが1匹いたんです。もしかしたら、生き残ったシジミはそのシジミかもしれません。状況の変化を素早く察知し、安全な場所に身を隠し、じわじわと環境に適応していく。なんか凄いですね。

倉敷アイビースクエアの睡蓮

倉敷アイビースクエアの敷地内には池があります。そこには睡蓮が植えられています。錦鯉も泳いでいて、とても風情があります。 そしてこの睡蓮、ただの睡蓮ではありません。モネの睡蓮です!

倉敷アイビースクエアの説明書き

印象派の巨匠クロード・モネは、フランスの小さな町ジヴェルニーに家をもっていて、そこに見事な庭園を造りました。庭園には睡蓮の池があるのですが、 大原美術館は そこの睡蓮を株分けしてもらいました。そして、その株分けされた大原美術館の睡蓮を、さらに倉敷アイビースクエアが株分けしてもらったということです。

大原美術館
クロード・モネ(1840-1926)
『睡蓮』1906

大原美術館の池の睡蓮の現在の様子も紹介したかったのですが、長期休館中なので見ることができませんでした。記憶によると、倉敷アイビースクエアの睡蓮と同じく、黄色とピンク色の花が咲いていたと思います。白色もあったかもしれません。

2020年7月1日撮影 倉敷アイビースクエアの池
2020年7月1日撮影 
倉敷アイビースクエア の黄色の睡蓮
2020年7月1日撮影 
倉敷アイビースクエア のピンク色の睡蓮
2020年7月1日撮影 
倉敷アイビースクエア の睡蓮と錦鯉と真鯉

以前はカメ(アカミミガメ)がたくさんいたように思うのですが、この時はいませんでした。池の上に張られた糸は、鳥よけでしょうか?均等にきっちり張られていました。間隔が結構あるので、大きめの鳥用? ターゲットは美観地区によく飛んで来るアオサギかカラスかもしれませんね。

睡蓮は、大きく分けて、温帯スイレンと熱帯スイレンに分けられるそうです。熱帯スイレンは、色もエキゾチックで、花茎を水面より上に伸ばして花を咲かせる特徴があるようなので、 今回紹介した大原美術館や倉敷アイビースクエアの睡蓮は、温帯スイレンだと思います。

出展:Wikipedia 熱帯スイレン

それにしても、温帯スイレンと錦鯉、よく合いますネ。

美観地区:倉敷川の生き物

美観地区内の倉敷川は、定期的に清掃が行われる等、とても管理されているようです。清掃の際に、どんな魚がすんでいるか、生き物調査も行われています。オオクチバス(ブラックバス)やブルーギル等の外来種がほとんど見られないらしく、主に在来種がすんでいるとのことで、ほんとに素晴らしいと思います。

2020年3月撮影 倉敷川の魚たち

ニゴイ、カワムツ、カマツカ、オイカワ、ギンブナ、ヤリタナゴ、アブラボテ、メダカ、ヨシノボリ、コウライモロコ、メナダ、アユなどです。メナダはボラの仲間で河川汽水域に生息します。汽水というと、海水と淡水が混ざり合っている水のことなので、あれ?と思いました。倉敷川はそもそも海と繋がる運河だったので、その名残りなのか?と期待してしまいましたが、これは多分、倉敷川の水源が地下で高梁川(岡山の三大河川の1つ)の下流と繋がっているからだと思います。アユについては、高梁川では毎年、稚魚の放流が行われているので、倉敷川にいてもおかしくないということなんだと思います。外来種の魚がほとんどいないおかげで、稚魚が捕食されることもなく生き残れていることに感動します。

久しぶりに美観地区に行ってみました。倉敷川を見ていたら、いました!

2020年7月1日撮影 スッポン

まあまあのサイズのスッポンです。多分キョクトウスッポンだと思います。現在のスッポンの生息状況は、大昔から日本にいるスッポンと近年改めて中国他から来た外来種のスッポンが混在している状態なんだそうです。

スッポンはすぐに川の中へ消えて行きました。ちなみによく見かけるアカミミガメ(ミドリガメ)は外来種ですね。

この鳥もよく倉敷川を訪れています。

2020年7月1日撮影 アオサギ

アオサギです。よく飛んで来ています。美観地区のアオサギは、かなり近くまで寄っても逃げません。この時は川魚を狙っているようでした。

2020年7月1日撮影 アオサギ

そしてそして、倉敷川の水源近くには白鳥がいます。

2019年5月撮影 白鳥の親子

普段はオスとメスの2羽なのですが、ヒナがいる時もあって、とてもかわいいです。ちょっと分かりにくいかもしれませんが、この写真のヒナは親鳥と同じポーズを取っているんですョ。上手に毛づくろいです。 
白鳥にも色々種類があって、この白鳥は、くちばしがオレンジ色でくちばしの上部の付け根あたりに黒いコブがあるので、コブハクチョウだと思います。本来は日本にいない外来種の白鳥なんだそうです。

倉敷川(美観地区)の白鳥は大事に飼育されているようです。エサを鳩(土鳩)に横取りされているのをよく見かけます。鳩が調子に乗り過ぎると、威嚇していますが、基本的には見て見ぬふりをして平和に過ごしているように見えます。ほのぼのとした美観地区の癒しスポットだと筆者は思っています。

大原美術館:『尖端』カンディンスキー

何かが飛んで来て弾けたような絵だなと思いました。

大原美術館
ワシリー・カンディンスキー(1866-1944)
『尖端』1920

【鑑賞の小ネタ】
・カンディンスキーはロシア出身の画家
・美術,建築の学校「バウハウス」の先生
・抽象絵画の先駆者
・絵画理論家でもある

抽象画というと、何を描いているのか今一つよく理解できないというイメージがあるかもしれません。例えば、次の作品。

ピエト・モンドリアン(1872-1944)
『コンポジション2 赤、青、黄』1930

どこかで見たことがあるような絵ではないでしょうか? 抽象画家の巨匠モンドリアンの作品ですが、何を感じるかはほんとに人それぞれです。そもそも絵画鑑賞というものはそれで良いのだと思いますが、抽象画は特にその傾向が強い画風だと思います。

そうしてみると、カンディンスキーの『尖端』は、抽象画にしては、比較的特定の何かを感じ取りやすいように描かれているのではないかと思うのですがどうでしょう? 例えば、右上の線の集合から、動き(流れ)が感じ取られます。そして、いくつか球状のものが描かれているのですが、これは何なのでしょうか?その他にも、様々な形のものが描かれていますね。筆者の想像では、右上から飛んで来たいくつかの球が中心の何かにぶつかった結果、尖った破片がそこら中に飛び散った、という感じです。前出のモンドリアンの作品よりは、具体的にイメージしやすいのではないかと思うのです。

カンディンスキーはロシアの画家です。ドイツ、ミュンヘンで絵の勉強を始めていて、1917年のロシア革命後、ロシアに戻っています。1918年から1921年まで、ソヴィエト連邦の文化的政治の仕事に携わっていて、美術教育と協同したり美術館の改装を行ったりしています。芸術教育に時間を費やしていたため、制作はほとんどしていなかったそうです。『尖端』は1920年に制作されていますので、その頃の貴重な作品と言えそうですね。この頃のその他の作品を探してみました。

ワシリー・カンディンスキー
『Composition Nr.224(On White 1 )』 1920
カンディンスキー美術館
ワシリー・カンディンスキー
『赤い楕円』1920
トレチャコフ美術館
ワシリー・カンディンスキー
『白の楕円(黒い線)』1919

全体的な印象が『尖端』と似ているように思うのですが、どうでしょう?丸いものと尖ったもの、動きを感じる線。

ところで『尖端』は、戦いをイメージしたものだと聞いたことがあります。この頃のロシアは内戦中(1917年~1922年)なので、そうなのかもしれませんね。そうだとすると、球状のものは砲弾なんでしょうか?戦争がテーマとなると一気にメッセージ性が強くなりますよね。(ちなみに、レーニンは抽象画のような前衛芸術を認めていましたが、スターリンが台頭するにつれて、前衛芸樹は軽視されるようになって行きます。)

カンディンスキーは1921年にドイツに亡命します。ロシアを去るまでの間、モスクワ大学の教授を務めたり、教育人民委員部造形芸術局のメンバーになったりと、美術理論家としてロシアの新しい芸樹の可能性を模索していたようです。そしてドイツでは、「バウハウス( 絵画,彫刻,建築,工芸教育に革新的な方法を用いたドイツの総合的造形学校 )」の教官を務めることとなります。

『尖端』は、ロシア内戦中の、ドイツへ亡命する前の、とても大事な時期の作品だと思います。どんな気持ちで描いたのでしょうね。内面を表現することを重視したカンディンスキーです。描いた時の画家の気持ちを想像しながら鑑賞するのもいいですね。

大原美術館:『かぐわしき大地』ゴーギャン

インパクトの強い作品です。色使いも凄いですね。

大原美術館
ポール・ゴーギャン(1848-1903)
『かぐわしき大地』1892

【鑑賞の小ネタ】
・ゴーギャンはゴッホの友人
・南国のタヒチで描いている
・エデンの園やイヴとの関係性
・浮世絵や七宝焼きの影響

ゴーギャンはフランスを代表する画家です。南フランスのアルルでゴッホと共同生活したことは有名ですね。結局2か月でけんか別れしましたが、その後、南太平洋の島、フランス領ポリネシアのタヒチへ渡っています。この女性は、タヒチでゴーギャンと過ごした現地の14歳の少女、テハアマナ(通称テフラ)です。ゴーギャンはタヒチで何人かの少女と過ごすのですが、その中の1人です。

『かぐわしき大地』は、テレビ東京の番組「美の巨人たち」で、「原始のイヴ」とも呼ばれると解説されていました。アダムとイヴのあのイヴですね。

『異国のエヴァ』という女性のポーズがよく似ている作品があります。『かぐわしき大地』と関係が深そうですョ。こちらです。

ポーラ美術館
ポール・ゴーギャン
『異国のエヴァ』1890-1894

左手の手のひらの向きが違いますが、全体的によく似たポーズをとっていますね。『異国のエヴァ』は、タヒチへ渡る以前に描かれたもので、これから向かう南国の島を想像して、「エデンの園」として表現しているようです。この作品のエヴァの顔は、母アリーヌの写真に基づいて描かれているそうです。

『かぐわしき大地』では、エデンの園の禁断の果実は南国風の花になっています。禁断の果実はリンゴというイメージが強いように思うのですが、裸であることを恥じてイチジクの葉で局部を覆ったことから、果実はイチジクだという説もあるようです。ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の天井画で、イチジクを描いています。

システィーナ礼拝堂 天井画  1508年 – 1512年
ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)
『アダムとイヴの原罪とエデンからの追放』
出展:Wikipedia イチジク

葉っぱの形状でイチジクだと分かりますね。ゴーギャンの『異国のエヴァ』の木の方も、果実の大きさ、葉っぱの形から、イチジクに見えるのですがどうでしょうか?

そして、エヴァ(イヴ)をそそのかすヘビは、小さなドラゴンのような赤い翼をもったトカゲになっていますね。ヘビがエヴァに囁いたように、トカゲが少女テフラに何か囁いているようにも見えます。このトカゲ、赤い翼はさすがにないようなのですが、タヒチに生息するトカゲなんだそうですョ。

ところで、大地の色、かなり独特だと思いませんか?境目がはっきりしていて、まるで切って張ったようです。この頃ゴーギャンは、クロワゾニスム(平坦な色面と輪郭線を特徴とする描き方)に向かっていました。中世の七宝焼きから来ている装飾技法のようです。(※クロワゾネとは有線七宝のことです。)また、ゴーギャンは 日本の浮世絵の影響も強く受けているようですョ。

   

1892年、『かぐわしき大地』と同じ頃に、少女テフラをモデルとして描かれた作品が他にもあります。

オルブライト=ノックス美術館
ポール・ゴーギャン
『死霊が見ている』1892

死霊とは穏やかではありませんが、ゴーギャンは「生命」というものについて深く考えた人生だったように思います。タヒチ滞在期に、『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』という集大成的な作品を残しています。

ボストン美術館
ポール・ゴーギャン
『 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか 』1897-1898