大原美術館:『吊るされた鴨』スーティン②

過去記事(大原美術館:『吊るされた鴨』スーティン①)で紹介していますが、なぜこのような絵を描いたのか、筆者はずっと理解できないままでした。

大原美術館
シャイム・スーティン(1893-1943)
『吊るされた鴨』1925

スーティンは本作だけでなく、死骸をテーマとした作品を数多く残しています。その中の1つがこちら👇

ミネアポリス美術館
シャイム・スーティン
『牛の屍』1925

牛の死骸が吊るされているのが分かります。制作年が『吊るされた鴨』と同じですね。背景の色味や雰囲気もとてもよく似ています。このタイプの絵をなぜ数多く描くのかずっと気になっていたので、地味にアンテナを張っていました。そしてやっと興味深い説に辿り着きました👍

まずこちらをご覧ください👇

ルーブル美術館
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)
『屠殺された牛』1655

あの有名な巨匠レンブラントの『屠殺された牛』1655です。よく似てますよね。レンブラントといえば、300年ほど前の画家です。死をテーマにしたこんな感じの類似作品が昔からあったということになんだか驚きです。この作品はしばしば、「ヴァニタス(人生の空しさの寓意)」、「メメント・モリ(自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな)」を表現したものと解釈されています。

レンブラントの『屠殺された牛』は、スーティンも含め多くの画家たちを啓発してきたとありました。そしてこの作品の肉塊は、「十字架上のイエス・キリストを想起させるほどの崇高さを持っている」とする見解があったんです。数ある解釈の1つだとは思いますが、このタイプの作品は宗教画に近いものだったということなんでしょうか? もしそうなら、スーティンがこのタイプの絵を数多く描いたのが理解できるような気がしました。

それにしても、レンブラントの方は牛が光っているように見えるためか、なんだか神々しく思いますが、スーティンの方はどうなんでしょう? 筆者にはもう少し身近な感じがします。「生き物に感謝してありがたくいただきましょう」という見方でも良いのかもしれませんね。

阿智神社の手水舎と拝殿前の花

阿智神社の手水舎には、季節の花がいつもきれいに活けられています。過去記事でも何度か紹介しています。今は6月なのでアジサイです。

2024年6月25日撮影 阿智神社の手水舎

今日もきれいでした。ここは参拝の皆さんの撮影スポットでもあります。

そして、今回はこちら👇

2024年6月22日撮影 阿智神社拝殿前

水ヨーヨーが入っていたので、もしかして造花?と一瞬思いましたが、水も張られていてばっちり生花のアジサイでした。

手水舎だけでなく、ここにも生花が今まであったかな?と振り返ったところ、ちょっと思い出せませんでした。今回は水ヨーヨーとアジサイでかなり華やかだったので印象に残りましたが、もしかしたらこれまでも季節の花が活けられていたのかもしれません。

3日後の本日の様子はこちら👇

水ヨーヨーがほぼ無くなりました。その代わり、白のカラーとオレンジの花が活けられていました。

外国の方が一眼レフカメラでかなり熱心に撮影されていました(^-^) 筆者も、手水舎だけでなくこちらも楽しみに参拝したいと思います。

倉敷アイビースクエアのカメ🐢

倉敷アイビースクエアの中庭広場にはカメがいます。ほとんどが特定外来生物のアカミミガメです。数匹クサガメがいるような…。

今日行ってみると、板が設置してありました。
その板の文言が、なんともかわいい👇

「カメ  カメが逃げ出して散歩に行かないよう 木の板を設置しています。」筆者なら「脱走しないよう」と書いてしまいそうです。

実際カメたちはアグレッシブで、何度かコンクリートの岸の上までたどり着いているのを見たことがあります。

水色の管に2匹カメがさばっている(「さばる」は山陽地方の方言のようです。標準語だと思っていました。意味は「しがみつく」が一番近いかな?)のが分かるでしょうか? ここから、管に上がり、コンクリートの岸をカメたちは目指 します。そこまで到達したカメを何度か見たことがありますが、そこからさらに上を目指すカメがいたんですね! ちなみに、コンクリートの岸に上がれたカメの中には、仰向けにひっくり返ってしまうカメもいます。亀的には一難去ってまた一難です。正常な状態に戻ろうともがいているところを筆者は助けたことがあります。その日はなんだかとても良い気分でした。

カメたちが散歩に行くためには、最後の段を越えなくてはなりません。板が設置されたということは、成功したカメがいたということでしょうか?もしそうなら、結構な段差(しかも垂直)なので、ちょっと驚きです。

そんなことを考えながら引き続き散歩(筆者の散歩です)をしていると、

高砂橋(過去記事、美観地区の『高砂橋』)付近で見かけました。倉敷川の野生のカメです。いつもこの辺りで見かけるのはスッポン(過去記事、8月の中庭(大原美術館)の睡蓮)なのですが、このカメは先ほど倉敷アイビースクエアで見たカメと同じ種類のアカミミガメでした。この段差もなかなかのもので、水位も高くなかったので、よく上がれたものだなぁ感心しました。

しっかり段に上がり、首を伸ばし、辺りの様子をうかがうアカミミガメ。なんだか今日は、アカミミガメの底力をしみじみと感じる日となしました。

            

《続報》コンクリートの岸に!🐢

2024年6月27日撮影 倉敷アイビースクエアのアカミミガメ

木の板はやはり必要のようです。

大原美術館:『神その像の如くに人を創造し給えり』ビューラー

デューラー(アルブレヒト・デューラー、ドイツのルネサンス期の画家、1471-1528)ではなく、ビューラーです。

大原美術館
ハンス・アドルフ・ビューラー(1877-1951)
『神その像の如くに人を創造し給えり』制作年不詳

【鑑賞の小ネタ】
・ドイツの画家
・アダムの誕生を描く
・両腕をひろげた特徴的なポーズ
・ナチス政権に協力

少年?青年?が両腕をひろげて立ち、こちらを見ていますね。これは多分、オランスのポーズをとっているのだと思います。「オランス」とはラテン語で「祈る人」の意味で、初期キリスト教美術でよく見られる図像です。古くは、死者のために死後の救済を祈る代願(ダイガン、本人に代わって神仏などに祈願すること)者を意味するものでした。

ちなみに聖母マリアのオランスのポーズはこちら👇

オランスの聖母(13世紀)

『神その像の如くに人を創造し給えり』 は、アダムの誕生を描いたものと説明に書いてありましたので、身体はともかく顔が少年のようなこの人物はアダムで間違いなしです。ただ、アダムの誕生といえば、キリスト教の時代よりも遥か昔のことになるで、このポーズでのアダムは時代が合わないというか独特ですよね。

もっとも有名なアダムの絵といえば、こちらでしょうか?👇

システィーナ礼拝堂
ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)
『アダムの創造』1508~1512

神がアダム(画面左)に生命を吹き込む場面を表現しているとされています。アダムはイブと共に描かれることがほとんどです。エデンの園で禁断の果実を食べてしまうシーンやエデンの園から追放されるシーンをよく見かけるのではないでしょうか。そうしてみると 『神その像の如くに人を創造し給えり』 のように、アダム単体で描かれるのは珍しいかもしれませんね。

キリスト教に関する作品がないか探していたらこちらの作品を見つけました👇

『夕陽を眺める羊飼い』1945

キリスト教の聖書には、「羊飼い」が多く登場します。アダムとイブの子アベルも羊飼いだったようです。なかでも「善き羊飼い」は、イエス・キリストの象徴的な呼称なんだそうです。

『夕陽を眺める羊飼い』の制作年は1945年です。第二次世界大戦(1939年-1945年)が終わった年です。ビューラーは、国家社会主義(この場合ナチズム)の文化政策家でした。作品が「退廃的」とみなされた大学教授を解雇したりしています。そして戦争が終わった1945年、以前購入していたシュポネック城に隠居しています。後に彼は、非ナチ化(ナチス体勢の除去)で責任を問われ、「ナチスの同調者」と宣言されています。

『夕陽を眺める羊飼い』はどんな思いで描いたのでしょうね。そして、『神その像の如くに人を創造し給えり』 は制作年不詳ではありますが、なんとなく戦後に描いたのではないかと筆者は勝手に思っています。

    

『神その像の如くに人を創造し給えり』を よく見ると、画面上部に星や細ーい月、雲のようなものが描かれています。画面下部のもやもやしたものは何でしょうね。アダムは土から創造されたということなので、大地かな? 現在この作品は、エル・グレコの『受胎告知』と同じ部屋で展示されています。 だから余計にそう感じるのかもしれませんが、全体的になんだかとても神秘的な雰囲気の作品に見えますョ。

大原美術館:『花』フレデリック

作品のタイトルは『花』。これはアジサイですよね?

大原美術館
レオン・フレデリック(1856-1940)
『花』1920

【鑑賞の小ネタ】
・ベルギー出身の画家
・1929年に男爵の称号を受ける
・「大きな絵」を描いた画家の作品

大原美術館のあの大きな絵大原美術館:『万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん』フレデリック)の作者と同じ、レオン・フレデリックの作品です。大きな絵のインパクトがあまりにも強いので、こんな感じの絵も描くんだとちょっと意外でした。 まずはサイズですね。『花』は74.8×62.5㎝で、特に小さな絵というわけではありませんが、なんせあの大きな絵は全長11mなので、サイズの違いにちょっと驚きです。そして、絵が醸し出す雰囲気の違いでしょうか。大きな絵は宗教色の強い迫力のある絵です。それに比べて『花』はなんとも穏やか。筆者はそう感じました。

雰囲気の似た花の絵の作品はないかなと思って探していたら、ありました👇

アントワープ王立美術館
『満開のシャクナゲ』1907

作品名は『満開のシャクナゲ』となっています。この可愛らしい女の子、何才くらいに見えますか?3~5才といったところでしょうか?なんとなく作者フレデリックの娘かなと思って調べていたら、別名で『芸術家の娘、ガブリエル・フレデリック』というものがありました!やはり、娘のガブリエルだったようです。

過去記事(大原美術館:『万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん』フレデリック)で書きましたが、ガブリエルは第一次世界大戦(1914年―1918年)中に亡くなっています。そして大きな絵の中にはガブリエルが描き込まれています。『満開のシャクナゲ』の中の女の子はそのガブリエルの幼児期ということになりますね。なんだかテンションが上がりました。

ガブリエルは、大きな絵の中に描かれているその年頃に亡くなったと筆者は聞いたことがあります。大きな絵の中のガブリエルは14~16才くらいに筆者には見えていました。『満開のシャクナゲ』のガブリエルが3~5才だとすると、絵の制作年と第一次世界大戦期間から考えて、それぞれの絵の中のガブリエルの年格好は確かにそのくらいになると思いました。

『花』1920は、娘ガブリエルが亡くなった後の作品ということになります。紫または青色のアジサイに何か意味があるのでしょうか? 紫・青のアジサイの花言葉は「冷淡」「無情」「浮気」「知的」「神秘的」「辛抱強い愛」でした。亡くなった後なので「無情」かなと思いましたが、絵の雰囲気からそれはちょっと違うかなと。筆者はやはり、窓辺の穏やかな時間と空気を感じてしまいます。ちなみにシャクナゲの花言葉は、「威厳」「荘厳」「危険」です。なんだか物々しいです。花言葉はあまり関係ないのかもしれませんね。

『花』と『満開のシャクナゲ』の共通点がいくつかあります。まず、アジサイとシャクナゲはどちらも植木鉢に植えられています。そして、花の側には窓が描かれていて、どちらも室内ということが分かりますね。大きく違うのが、やはり、ガブリエルの存在です。ただ、『満開のシャクナゲ』のことを知ってからは、なんとなく『花』の中にガブリエルの気配を感じなくもない。『満開のシャクナゲ』の制作年は1907年で『花』は1920年です。構図や雰囲気の似た絵ということから、もしかしたらフレデリックは『花』を描く時、『満開のシャクナゲ』のことを思い出していたかもしれませんね。

ところで、なぜ花瓶に切り花ではなく、どちらも植木鉢だったのでしょうか?何か意味があるかもと調べていたら、すごい論文を見つけました!引用します👇

植木鉢が窓辺に描かれるとき、多くの場合、それらは「室内の女性」と結びつけられている

植木鉢の意味するもの―西洋絵画に表わされた「nature」と「culture」―
                   学習院大学 有川治男

素晴らしい✨ 人の姿が描かれていない『花』でしたが、植木鉢が窓辺に描かれていることから、「室内の女性」と結びつけられました。これはもう、ガブリエルの気配を強く感じて良いのではないでしょうか。

     

『満開のシャクナゲ』つまり『芸術家の娘、ガブリエル・フレデリック』を介して、『花』と『万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん』が繋がったような気がしました。絵のサイズの差こそあれ、絵に込めるフレデリックの想いは同じだったのかもしれませんね。