鶴形山:かつて島だった名残り

阿智神社が鎮座する鶴形山は、かつて瀬戸内海に浮かぶでした。倉敷美観地区や鶴形山の辺りは、「吉備の穴海」の西部にあたる「阿知の海」と呼ばれる海域だったようです。鶴形山(鶴形島)が陸続きになるのは、平安時代のことで、「阿智潟」と呼ばれる干潟が広がっていたそうです。

美観地区の本町通りを東へ向かって歩いていると、左手に石の階段と岩が突然現れます。町家が続く通りの中に、ここだけ異空間です。

2020年7月撮影 倉敷美観地区本町「岩」
2020年7月撮影 倉敷美観地区本町「石の階段」
出展:倉敷物語館前の立て看板
岡本直樹「倉敷川畔美観地区鳥瞰絵図」の一部

赤い楕円のところです。 鶴形山の南東の端になります。根香寺倉敷八十八ヶ所第八十二番札所にもなっているようです。石の階段は、後になって札所巡礼のために整備されたのだと思いますが、岩肌は、かつての海岸線を思わせます。

島の名残りは、鶴形山に自生する植物にも見られます。まずはクスドイゲです。

2020年7月撮影 クスドイゲ

クスドイゲは、海岸沿いの山地に生える常緑樹です。枝にトゲがあります。筆者が見つけたクスドイゲ(大事に管理されているようでした)は、南側の方の葉は茂っていたのですが、北側の方の葉はあまり生えてなく、トゲが目立っていたのですぐ判りました。

次にオニヤブソテツです。なかなかの存在感です。

2020年7月撮影 オニヤブソテツ

常緑のシダ植物で、海岸近くの岩場やその周辺に多く見られます。鶴形山にはワラビもたくさん生息しています。シダ植物の形状は、よく似ているものが多いので、見分けが付くかなと思っていましたが、その違いは明らかでした。

2020年7月撮影 ワラビ

次にネムノキです。丁度、花が咲いていました。

2020年7月撮影 ネムノキ

各地の山野、野原、河岸に自生しますが、塩害に強い特性から、日本では古くから海岸線の防風林として利用されていたそうです。このネムノキは阿智神社の境内から撮影したもので、境内の外のクスノキやクヌギの林の中に生息しています。かなり大きく成長したネムノキです。日当たりの良い場所を好むメージが強かったので、日当たりの悪そうな林の中になぜネムノキが生えているのかなと以前から疑問に思っていました。島の名残りかもしれないと思うと、なんかいいですね。

最後にツワブキです。

2020年7月撮影 
美観地区本町通りの植え込みのツワブキ

ツワブキは海岸の岩の上などに多く生息します。今日では、園芸用として用いられることも多く、よく見かける植物ですね。このツワブキは、斑入りのものが混ざっています。 鶴形山にも自生するという調査記録があったので、歩いて探してみましたが、見つけることができませんでした。またゆっくり探してみたいと思います。

大原美術館:『積みわら』モネ

風が吹いているようですね。

大原美術館
クロード・モネ(1840-1926)
『積みわら』1885

【鑑賞の小ネタ】
・「積みわら」の作品は複数あり
・積みわらにもたれる2人は誰か?
・元々は松方コレクションの1つ
・光と風の表現に注目

積みわらにもたれて座っている2人は、モネの後妻のアリス・オシュデと息子のミシェルと言われています。モネには、前妻のカミーユとの間に2人の息子がいて、長男がジャン、次男がミシェルです。カミーユは1879年に病死しています。

積みわらの後ろに見える並木は、ポプラ並木のようです。モネの家があるジヴェルニーには、立派なポプラ並木があったようですね。

MOA美術館
クロード・モネ
『ジヴェルニーのポプラ並木』1891

1885年前後には、大原美術館の『積みわら』と似たような構図で描かれた作品が複数あります。

個人収蔵
『ジヴェルニーの積みわら』1885
ポーラ美術館
『ジヴェルニーの積みわら』1884
個人所蔵
『積みわら、曇天』1884
プ-シンキ美術館
『ジヴェルニーの積みわら』1884-1889

ところで、藁(わら)とは、稲や麦の茎を干したものを言いますが、この絵の「積みわら」は、「積みわら」というよりは「干し草」かなと思いました。かなり大きな塊になってますしね。 印象派の画家ピサロの作品『干し草、朝、エラニー』に描かれている干し草にもよく似ています。

メトロポリタン美術館
カミーユ・ピサロ(1830-1903)
干し草、朝、エラニー』1899

「干し草」とは、草を刈り取って乾燥させたもので、ライムギやクローバー、アルファルファ等が用いられるそうです。家畜の飼料になります。今日、規模の大きな牧草地では、干し草はトラクターによって「干し草ロール」となって転がっています。

干し草の俵

これはこれで絵になる「干し草」ですね。

大原美術館:睡蓮の池のメダカ

大原美術館の中庭には四角い池があります。モネの睡蓮の記事でも紹介しましたが、池には鉢に植えられた睡蓮が沈められていて、毎年きれいな花を咲かしています。睡蓮を見ていると、たくさんのメダカが泳いでいることに気づきます。春先から夏にかけてどんどん増えていく印象です。

日本のメダカは、ミナミメダカとキタノメダカの2種類に分けられるそうです。2種の見た目の大きな違いはあまりないのですが、キタノメダカは本州の日本海側、東北・北陸地方に生息するようなので、この池のメダカは、ミナミメダカでいいと思います。そして、ミナミメダカとキタノメダカの2種類を総称して、二ホンメダカと呼んだり、黒メダカと呼んだりしています。

出展:Wikipedia
ミナミメダカ 上オス 下メス
二ホンメダカ 略図

【メダカのオスとメスの違い】
背びれ(黄だ円)→オスは切れ込がある。
尻びれ(赤だ円)→オスの方が大きく、
        ほぼ平行四辺形。
尾びれ(青だ円)→メスは若干直線的。

  

池のたくさんのメダカを見ていると、明らかに色の違うメダカが泳いでいることに気づくと思います。

出展:Wikipedia  ヒメダカ

ヒメダカです。野生の黒メダカが突然変異した品種です。筆者が見た時は、結構泳いでいたように思うので、黒メダカからの出現確率はまあまあ高いのかもしれません。

ところで、日本のメダカは、環境省レッドリストで絶滅危惧Ⅱ類とされています。水田や用水路で普通に泳いでいるように思うのですが…。 知っている人も多いと思いますが、メダカのように見える小さな魚は、大抵、カダヤシという特定外来生物なんです。1916年に、蚊の幼虫ボウフラ駆除のために、台湾島経由で導入されたそうです。 蚊絶やし (カダヤシ)です。

出展:Wikipedia
カダヤシ 上オス 下メス
カダヤシ 略図

【カダヤシのオスとメスの違い】
・背びれ(黄だ円)→ほとんど違いなし。
・尻びれ(赤だ円)→オスは交尾器に変形。
         メスは幅が狭い。
・尾びれ(青だ円)→どとらも丸い

カダヤシはカダヤシ目に分類され、メダカとは全く別の種です。そしてカダヤシ目の仲間にはグッピーがいます。よく見るとグッピーに似ていますね。

メダカとカダヤシは、尻びれと尾びれに注目することで、見分けることができます。メダカの尻びれの幅は広くカダヤシの尾びれは丸いのです! 筆者が見た時の大原美術館の池の小さな魚は、尻びれの幅がしっかりあって、尾びれが丸くなかったので、メダカで大丈夫だと思います。

倉敷アイビースクエアの睡蓮の池の錦鯉ほどの華やかさはありませんが、睡蓮の側をチョロチョロ泳ぐメダカもなかなか可愛いですよ。

大原美術館:『睡蓮』モネ

モネの『睡蓮』シリーズ、大原美術館にもあります。

大原美術館
クロード・モネ(1840-1926)
『睡蓮』1906年頃

【鑑賞の小ネタ】
・モネの自宅ジヴェルニーの庭の睡蓮
・大原美術館には株分けされた睡蓮あり
・「睡蓮」がテーマの作品は複数あり
・モネは親日家
・水面の映りこみに注目
・『印象・日の出』は印象派の名前の由来

モネは「睡蓮」をテーマとした作品を数多く残しています。大原美術館のこの『睡蓮』は、児島虎次郎(画家であり、大原美術館の美術作品の収集活動をした人物)がモネの住むジヴェルニーを直接訪れて譲ってもらった作品のようです。モネが作品を譲るにあたり、候補の作品がいくつかあったようなのですが、児島虎次郎はモネが15年もの間、手元に大切においていたこの作品を選んだそうです。(参考資料:大原美術館HPより)

制作時期が同じ頃で、構図が似ている作品がありました。こちらです。

シカゴ美術館
『睡蓮』1906
アサヒビール大山埼山荘美術館
『睡蓮』1907

構図はよく似ているのですが、筆使いが随分違いますね。大原美術館の『睡蓮』は、全体的にふわっとした柔らかさを感じます。霧か靄(もや)がかかったようにも見えます。ジヴェルニーの庭の池は、かなり大きいので、その時実際そうだったのかもしれませんね。

出展:Wikipedia  
ジヴェルニーの「水の庭」。中央に「日本の橋」。

ほんとに大きな池です。ちょっと分かりにくいのですが、中央に日本の太鼓橋が見えます。立派な枝垂れ柳も植えられていますね。『睡蓮』の絵の水面に注目してください。柳が映り込んでいるのが分かるでしょうか?空や雲も。モネは水面も大事に描いたようですョ。

フィラデルフィア美術館
『ジヴェルニーの日本の橋と睡蓮の池』1899

モネは葛飾北斎や歌川広重を愛好していて、浮世絵から発想を得ていたのではないかと考えられているそうです。 モネは親日家でした。  こうしてみると、日本の浮世絵に影響を受けたという印象派の画家は結構多いですね。

ボストン美術館
『ラ・ジャポネーズ』1876
第2回印象派展出品

ところで、印象派の「印象」という名前は、モネの代表作『印象・日の出』が由来です。モネは仲間たちと、サロンとは独立した展覧会(第1回印象派展)を1874年に開催していて、その時にモネが出展した作品が『印象・日の出』でした。この作品の社会からの評価は酷いものだったようです。元々、揶揄する意味で使われた「印象」という言葉ですが、印象派の画家たちによって、逆に使われるようになっていきます。

マルモッタン・モネ美術館
『印象・日の出』1872

晩年の同じような構図の『睡蓮』です。筆使いがさらに違ってきているのが分かります。

国立西洋美術館
『睡蓮』1916

モネは晩年、白内障を患いました。1908年頃に目の異常を感じ始めて、1912年の夏頃、白内障と診断されています。この『睡蓮』は1916年なので、白内障の影響が何かあったかもしれません。ちなみに、モネの最晩年の作品は抽象画っぽいです。

個人所蔵
『日本の橋』1920-1922

橋は判別できますね。なんとなく柳も。きっと睡蓮も描かれているんだと思います。モネの中にある「印象」をぶつけた抽象画って感じだなと思いました。

大原美術館の中庭には池があり、毎年、黄色やピンク色の睡蓮が見事に咲きます。2000年にジヴェルニーの庭の池から株分けされた睡蓮です。「モネの睡蓮」の実物というわけです。現在の睡蓮の様子を撮影して投稿したいところですが、大原美術館は長期休館中なので、またの機会にします。

美観地区の犬矢来(いぬやらい)

美観地区を歩いていると、路地と建物の外壁の境界あたりに、趣のある工作物を見かけます。

「吉井旅館」の犬矢来

昔ながらの町家でよく見られる「犬矢来(いぬやらい)」というものです。犬?と思ったので、由来を調べてみました。

細長い通路や平地部分を、建築用語で「犬走り」と言います。建物の軒下の空間は、「犬走り」に相当します。確かに散歩中に犬がよく通りそうな空間ですよね。そして犬は、大抵、壁にオシッコをひっかけます。外壁がオシッコで汚れるのを防ぐために作られたのが「犬矢来」ということだったようです。

「矢来」とは竹や丸太で作った仮の囲いのことです。また「やらい」という言葉には「遣(や)らい」という漢字もあって、これは「追い払うこと」という意味になります。何れにしても犬のオシッコ除けですね。

犬のオシッコ除けから始まったであろう「犬矢来」は、その他の実用性も高かったようです。道路から泥がはねて外壁が汚れるのを防いだり、道路との境界線や泥棒除けの役目も果たしていたそうですョ。劣化したらその部分だけ取り替えたら良いわけですから、とても効率的ですね。

「犬矢来」に注目して美観地区を歩いていると、違うタイプのものが目に入りました。 場所的には、「犬矢来」の設置場所と同じだと思うのですが、形状がかなり異なっています。

「犬走り」の空間を、柵でしっかり囲んでいますね。
これは、「駒寄せ(こまよせ)」と言うそうです。馬に乗って来た客が、手綱をくくり付けたものの名残りと言われますが、人馬の侵入を防ぐために設けられたという説もあるようです。そうなると、犬除けじゃなくて、馬除けですね。

「犬矢来」と「駒寄せ」、 現在の基本的な役割は、ほぼ同じとみて良いと思います。通りの景観的にもなかなか良いですよね。

    

【追伸】
前出の「犬矢来」が見事な「吉井旅館」、坂本龍馬が立ち寄ったという話があるようですよ。
2022年1月現在の吉井旅館の犬矢来はこちら👇

木製でなく、竹製のものになっています。
竹製のものを木製の犬矢来の上に被せたんでしょうか?

近くに寄って見てみました。
本物の竹で丁寧に作られた犬矢来でした(^-^)