大原美術館:『薄布のある帽子をかぶる女』マネ

デッサンのようなパステル画ですね。

大原美術館
エドゥアール・マネ(1832-1883)
『薄布のある帽子をかぶる女』1881

【鑑賞の小ネタ】
・パステル画
・この女性は誰なのか?
・最晩年の作品

ドガは肖像画(人物画)をたくさん描いた画家でした。教科書に載るような有名な作品を多く残しているのですが、筆者は次の絵を部屋に飾っています。

オルセー美術館
『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』1872

絵のモデルはベルト・モリゾです。モデルであり、 画家であり、 ドガの弟子だった女性です。では、大原美術館の『薄布のある帽子をかぶる女』のモデルは誰なのでしょうか? 色々調べましたが、はっきりとは分かりませんでした。

最晩年のマネは、病気で心身ともに苦しみました。大作を描くことができなくなり、パステルで人物画を描くようになりました。親しい女性たちがモデルだったようですが、最も気に入っていたのはメリー・ローランでした。

アーティゾン美術館
『メリー・ローラン』1882
ディジョン美術館
『メリー・ローラン』1882

2作品とも1882年制作の『メリー・ローラン』です。どちらもパステル画です。大原美術館の作品と顔が似ていると思うのですが、どうでしょう?この時期の他の女性を描いた作品も見てみます。

J・ポール・ゲティ美術館
『春(ジャンヌ)』1881

目が違いますね。この絵のジャンヌは、二重の大きめの目だと思います。この作品は、四季の寓意画を制作するという企画の最初の1枚でした。 マネの死去により、残念ながら連作は2作品で終わってしまいます。 2作目はこちらです。

ナンシー美術館
『秋(メリー・ローラン)』1881

モデルはメリー・ローランですね。こちらも比較的目が小さめに描かれているのが分かります。面長で小さめの目が共通していて、『薄布のある帽子をかぶる女』のモデルは、メリー・ローランでいいのではないかと思うのですが、他に似たような顔の女性を見つけてしまいました。

ダラス美術館
『イザベル・ルモニエの肖像』1879
エルミタージュ美術館
『イザベル・ルモニエの肖像』1879

モデルは、イザベル・ルモニエです。面長で小さめの目、こちらも似てますよね。ただ、制作年が1879年なので、 大原美術館の『薄布のある帽子をかぶる女』 より少し前の作品になります。マネの最晩年は病気で苦しんでいたわけですから、数年の時間差は大きな違いになるのではないかと思います。それと、眉の形が イザベル・ルモニエ よりメリー・ローランの方が直線的で、『薄布のある帽子をかぶる女』 により似ていると思います。

というわけで、今のところモデルはメリー・ローラン推しです。

大原美術館:『波』ドニ

岩のピンク色が印象的ですね。

大原美術館
モーリス・ドニ(1870-1943)
『波』1916

【鑑賞の小ネタ】
・波の表現に注目
・この女性たちは誰なのか?
・ドニはナビ派の画家
・装飾芸術や宗教芸術に関心あり
・浮世絵の影響あり

ドニは、1893年にマルタ・ムリエと結婚して7人の子に恵まれています。1919年にマルタが亡くなり、2年後にエリザベス・グラトロールと再婚して更に2人の子をもちました。子ども9人の大家族ですね。一番手前の岩の上の女性は最初の妻マルタでしょうか?生前はドニの絵のモデルをよく務めていたそうです。

ドニは1908年にフランスのブルターニュ地方のぺロス=ギレックという土地に別荘を購入しています。すぐ近くが海岸だったようです。

国立西洋美術館
『水浴』1920

『水浴』は別荘近くの海岸を描いたとものと思われる(参考資料:国立西洋美術館HP)とされています。そうなると、『水浴』で描かれている人々はきっとドニの家族でしょうね。

次の作品は、別荘のすぐ近くのTrestrignel beachです。

埼玉県立近代美術館
『トレストリニェルの岩場』1920

トリストリ二ェ ル海岸の東の端で、後景に見える階段はドニの別荘に通じていて、画中の人々はドニの子どもとその友人達なんだそうです。(参考資料:埼玉県立近代美術館HP)

ドニにとって海がとても身近だったことがよく分かります。大原美術館の『波』も、別荘近くの海岸をイメージして描いたのではないかと思います。

ところで、画中の波に注目してみてください。波の形がくっきり描かれています。波の先端は白い点々になっていますね。そして、波と言えばこれでしょう。

葛飾北斎
『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』

ドニも浮世絵の影響を受けたということですから、きっとこの作品も目にしていたはず。ちょっと似てますよね。葛飾北斎のこの大波の表現に衝撃を受けたという芸術家はほんとにたくさんいます。

ドニはナビ派の画家です。ナビ派とは、1890年代のフランスにおける後期印象派の1グループで、「ナビ」はヘブライ語で「預言者」を意味するそうです。ドニもそうなのですが、メンバーの多くが熱心なカトリック信者だったようです。写実主義を否定し、芸術の神秘性を主張しています。ポスターや舞台芸術、グラフィック・アート等、幅広く活動しました。そうしてみるとドニの画風は、平面的で装飾的ですね。ドニは壁画やステンドグラスの作品も残しています。

第1次世界大戦(1914年~1918年)後、ドニは、教会の装飾芸術や宗教芸術の復活を唱えています。宗教芸術と言えば、キリスト教やギリシャ神話の世界が思い出されます。ドニのギリシャ神話を題材とした作品をいくつか紹介します。

『オデュッセウスの目覚め』1914

オデュッセウスはギリシャ神話の英雄です。

国立近代美術館
『Le taureau de Marathon』1918

日本語で『マラトンの牡牛』です。マラトンは地名で、マラソンの起源となる「マラトンの戦い」があった場所です。この絵は、この地で大暴れしていた牡牛をギリシャ神話の英雄テーセウスが退治している場面を描いたものだと思います。ちなみにこの牡牛、あの有名なヘラクレスに一度捕まえられて、その後この地に放たれた牡牛のようですョ。

ここで、色使いに注目してみてください。ギリシャ神話をテーマとした作品と大原美術館の『波』、ピンク色と青色(水色)が基調で、似ていると思いませんか? そうだとすると、もしかしたら『波』のテーマも神話の世界なのかもしれません。改めて見てみると、手前の女性は人に見えますが、後方の海の中を泳ぐ3人の女性は、どうも人っぽくないように思うのです。人というよりは、なんだかスイスイ泳ぐ人魚のような…。

真相は分かりませんが、おもしろいですね。

番外編:水槽の経過報告②

昨日オイカワが跳ねて水槽から飛び出ました。川魚はほんとに跳ねますね。床の上でピチピチしてるのをすぐに水槽へ戻しました。

水槽に戻されたオイカワ

急激な変化にびっくりしたのか、水草の下に入って、じっとしていました。 驚いたのは、飛び出たガラス蓋の隙間の幅です。

水槽のガラス蓋の隙間

オイカワの体長は7~8㎝にはなっています。1㎝あるかないかの隙間を、スッと飛び出たということです。魚は想像以上に見えているのだなと改めて思いました。しかも運動能力が高い。これは野生種だからかもしれません。

次に生き残っていたスーパーのシジミ、今も元気にしています。潜っている位置は、ほぼ変わらないように思います。

シジミの水管

シジミの水管はいつも出ているわけではありません。貝の中に入っている時もあって、その時はどこにシジミがいるのか全く分かりません。

そして水草にまた花が咲きそうです。

アヌビアスナナの花

水草のアヌビアスナナですが、以前花を咲かせた株とは別の株です。今度は2つ同時に花の茎が伸びてきました。この株は葉の成長具合もかなり良かったです。

最期に、丸い葉っぱが可愛いウオーターマッシュルームです。

ウオーターマッシュルーム

水槽に入って1カ月以上になりますが、順調に成長しています。ここ最近、新芽がどんどん生えてきました。生える時には一気に生えます。期待通り、丈夫な水草ですね。

大原美術館:『赤い衣装をつけた三人の踊り子』ドガ

今にも動き出しそうですね。

大原美術館
エドガー・ドガ(1834-1917)
『赤い衣装をつけた三人の踊り子』1896

【鑑賞の小ネタ】
・ドガはパステル画も多く手掛ける
・踊り子をテーマとした作品多数
・晩年視力がかなり衰える
・室内制作の印象派の画家

ドガは「踊り子」をテーマとした作品を数多く残しています。オルセー美術館の『エトワール』は有名ですね。油絵のように見えますがパステル画です。

オルセー美術館
『エトワール』1878年頃

大原美術館の『赤い衣装をつけた三人の踊り子』も、『エトワール』よりあらいタッチではありますがパステル画です。

1870年に普仏戦争が起きます。ドガも軍隊に入隊しています。射撃訓練の際に視力に欠陥があることが判明したそうです。その後、徐々に視力が失われていくことになるのですが、60歳の頃からは、ほとんど見えてなかったのではないかと言われています。大原美術館の作品は1896年に制作されているので、ドガは62歳ですね。視力に問題がある中描かれた作品ということになりますね。

この頃の「踊り子」をテーマとした作品をいくつか紹介します。

メトロポリタン美術館
『薔薇色と緑の衣装の踊り子たち』1890
オルセー美術館
『青い踊り子たち』1893年頃
ポーラ美術館
『二人の踊り子』1900年頃

印象派の画家たちは、印象派展を1874年から8回開催しています。そしてドガは7回出品しています。印象派といえば、戸外に出て光の中で制作するというイメージがあると思いますが、ドガは伝統通り(チューブ入り絵の具の発明前は、絵画は室内で描くもの)室内制作にこだわりました。戸外で観察してきた情景を、卓越したデッサン力で組み合わせ作品にしたのです。またドガは、オペラ座の定期会員だったようで、楽屋や稽古場に自由に立ち入る特権がありました。「踊り子」をしっかり観察(目に焼き付ける)することが出来たでしょうね。

ドガは、油彩画やパステル画の他に、蜜蝋や粘土によって小さな塑像(そぞう: 粘土や石膏を材料として作った像。青銅像などの原型としても作られる)を数多く制作しています。これらの塑像は、完成作品として発表するというものではなく、絵画制作のためのデッサン人形(モデル人形)であったと考えられています。ドガの死後、アトリエから塑像が150点ほど発見されています。その多くが劣化していましたが、保存状態の良いもの(完全なものと修復されたもの)は鋳造師によって鋳造されました。
大原美術館の「踊り子」に似たポーズの鋳造作品をいくつか紹介します。

塑像(立体)だと、色んな角度がら見ることが出来ますね。デッサンする時、役に立ったことでしょう。 
完全に視力を失ってからも、ドガは触覚を頼りに造り続けたそうです。最晩年は、モデル人形としてではなく、作品として制作していたのではないかと筆者は思っています。発表するしないは関係なく、最期までアーティストとして。

鶴形山で見かけた植物(夏)

鶴形山がかつて島だった名残りを探して歩いた時に見つけた植物です。主に海岸沿いに生息する種類の植物の他にも、いろいろ生息していました。

2020年7月撮影 ヤブラン

常緑性の多年草ヤブランです。耐寒性と耐暑性が強く、日なたから日陰まで場所を選ばす、ほんとに丈夫な植物のようです。日本には、ヤブラン、ヒメヤブラン、コヤブランの3種が自生しているそうです。

2020年7月撮影 ヤブミョウガ

ツユクサ科に分類される多年草ヤブミョウガです。里山に自然に生える野草で、葉の形がミョウガに似ていたのでこの名が付けられたそうです。ミョウガはショウガ科で、ヤブミョウガとは関係ない植物です。
このヤブミョウガは、過去記事でも紹介しました「阿知の藤」の下に群生していました。

2020年7月撮影 マメヅタ

シダ植物のマメヅタです。丸い葉がとても印象的です。樹木や岩に着生しますが、山の道路沿いにも出現するようで、車道ののり面のコンクリートや石垣にも見られることがあるそうです。異名も、マメシダ、マメゴケ、イワマメ、マメヅル、イシマメと色々あります。全ての名前にマメが付いてますね。実際に見ると、ほんとにマメが連なっているみたいで可愛いですョ。
このマメヅタは、鶴形山を下っている時、道路沿いの石垣で見つけました。

2020年7月撮影 カラスとオオシロカラカサタケ

きのこの判別はとても難しいのですが、多分、オオシロカラカサタケだと思います。カラスと比べて見ても、かなり大きな白いきのこだということが分かります。オオシロカラカサタケだとすると、毒キノコです。よく似たきのこにカラカサタケというきのこがあるようなのですが、カラカサタケは加熱すれば食べられるそうです。何れにしてもきのこを食べる時は要注意です。
後景に、美観地区が広がっています。向かって右後ろに洋風木造建築の倉敷館(観光案内所)が見えますね。 そして、余談なんですが、鶴形山を歩いている時、上から木の実か何か3回落とされました。薄暗い林の下を歩いている時でした。その時カラスの鳴き声がしたので、もしかしたらこのカラスの仕業かもしれないと後で思いました。カラスはほんとに頭のいい鳥ですからね。

2020年7月16日撮影 阿智神社の手水舎

阿智神社の手水舎には、季節に合った植物が浮かんでいます。花手水ですね。この日の主役はキキョウでした。境内にもキキョウが植えられていたので、そのキキョウかもしれませんね。