大原美術館:『水浴』セザンヌ

森の中でしょうか? 何かを見ているようですね。

大原美術館
ポール・セザンヌ(1839-1906)
『水浴』1883-1887

【鑑賞の小ネタ】
・絵のサイズは小さめ
・画面の中に三角形の構図あり
・「水浴」がテーマの作品多数
・セザンヌの「水浴」シリーズには
 珍しく男性の姿あり

絵のサイズは20×22.1㎝です。美術館内で実際見てみると、かなり小さい印象です。セザンヌの作品なので、もちろん存在感はありますが。
セザンヌは、絵画の構成をとても熱心に研究した画家でした。「水浴」では三角形の構図を取り入れています。

見た通りをそのまま描くのではなく、画面を構成するモチーフ(この場合、木や人体)が三角形になるように再構成しているそうです。

なぜ三角形なのでしょうか? 古くから三角形は、見る人に「安定」感を与える形なんだそうです。そういえばエジプトのピラミッド、かなり安定感ありますよね。どっしりとしていて完璧です。そして物理的にも、物を作る際に「安定させるためには三角形を作ること」とよく言われますよね。

出展:iichi 小さい鉄の棚受け金具

セザンヌの三角形の構図がとてもよく分かる作品がこちら。

フィラデルフィア美術館
『大水浴図』1898-1905

ピカソやマティスもセザンヌの水浴図を所有していたそうです。
ピカソは何点か持っていて、その1点がこちら。

ピカソ美術館
ポール・セザンヌ
『5人の水浴の女たち』1877-1878

そしてマティスが所有していたのがこちら。

パリ市立プティ・パレ美術館
ポール・セザンヌ
『3人の水浴の女たち』1876-1877

セザンヌの大胆な試みは、画家たちを刺激しました。「水浴」に触発されて制作したピカソやマティスの作品も残っているようですョ。

大原美術館の『水浴』は、最終的に大原美術館に所蔵されたもので、そもそも日本画家の土田麦僊が所有していたものなんだそうです。土田麦僊がヨーロッパ旅行中、大変ほれこんで購入したそうです。1921年から1923年にかけて旅行しているので、この期間中に購入したということになりますね。(参考資料:大原美術館HPより) 『水浴』購入後の土田麦僊の作品がこちら。

京都国立近代美術館
土田麦僊(1887-1936)
『大原女』1927

土田麦僊 の1923年以降の作品の中から、三角形の構図が顕著に見られるものを選んでみました。女性3人が三角形の構図で描かれているように見えませんか? 安定感がありますね。そして、森の中の感じも『水浴』に似ているように思います。

勢いのある画家たちに影響を与えた「水浴」シリーズですね。

大原美術館:『燭台』パウル・クレー

黄色い絵だなと思いました。

大原美術館
パウル・クレー(1879-1940)
『燭台』1937

【鑑賞の小ネタ】
・燭台はどんな形?
・クレーはバウハウスの先生
・抽象画のカンディンスキーと友達
・晩年は病気で体が不自由

作品名は『燭台』なのですが、今一つピンときませんでした。燭台だと思って見てみると、中心にロウソクらしきものがありますね。そして藍色の炎がスッと描かれているのに気づくと思います。藍色がロウソクの炎だとすると、画面全体にちりばめられていることが分かります。ロウソクをいくつも設置できるとてもゴージャスな燭台なのでしょうか?または、中心のロウソクのみ燭台付で、シンプルな作りの燭台なのでしょうか?

燭台の全貌がはっきりしないので、視点を変えてみます。画面全体に幾何学模様が見えますね。丸、三角、四角も描かれています。

丸、三角、四角で思い浮かぶ絵といえば、日本人的には禅画かもしれませんが、ここはワシリー・カンディンスキーで行きたいと思います。

グッゲンハイム美術館
ワシリー・カンディンスキー(1866-1944)
『コンポジションⅧ』1923

カンディンスキーは、丸・三角・四角の基本形状をリズミカルに描く抽象画の先駆者です。そして、カンディンスキー (クレーより一回りちょっと年上 )とクレーは、「青騎士(主に表現主義の画家たちによる芸術家集団)」や「バウハウス(ドイツの美術と建築に関する総合的な教育を行った学校)」で、 1933年にナチスによりバウハウスが閉校されるまで、 共に活躍しています。長きにわたり活動を共にしているので、お互いに影響を受けていたかもしれませんね。

『燭台』と制昨年が同じ作品をいくつか紹介します。

『 Zeichen in gelb 』1937
ハンブルグ美術館
『無題(成長のしるし)』1937
東京国立美術館
『花のテラス』1937

クレーは、バウハウス閉校後1933年にスイスへ亡命しています。そして1935年に皮膚硬化症を発症しています。作品数は激減しましたが、1937年頃から復調し、手が不自由であるにも関わらず、精力的に多くの作品を残しました。

ベルン美術館
『パルナッソス山へ』1932

皮膚硬化症発症前、1932年の作品です。クレーの最高傑作の点描画(点や短いタッチで描いた絵)です。かなり細かいですね。この作品と比べたら、『燭台』などの1937年の作品は、線や形、色が単純化されているように思います。

クレーは1940年に亡くなりますが、大原美術館の『燭台』は、 皮膚硬化症発症後の 1937年の作品です。復調し多くの作品を制作し始めた年でもあり、なんとこの年、ピカソやブラックがクレーを訪問しているそうです。クレーも次世代に大きな刺激を与えた画家だったんですね。

美観地区のキジバト(ヤマバト)

美観地区を歩いていると、すぐ近くにいることがあります。

倉敷アイビースクエア キジバト

キジバト(ヤマバト)です。公園でよく見かけるドバトとは別のハトです。キジバトは在来種で、ドバトは外来種とされています。キジバトの名前の由来は、キジのメスに体色が似ているからなんだそうです。

キジバトは野鳥(人の飼育下にない野生の鳥)です。野鳥は、 鳥獣保護管理法(鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律)により許可なく捕ること、飼うことは禁止されています。 そして、キジバトは狩猟鳥(28種)でもあるようで、ちょっとびっくりしました。

阿智神社 キジバト

阿智神社散策中に見かけました。ゴソゴソと音がしたので発見できました。落ち葉の下に頭を突っ込んでエサ(果実、種子、昆虫、ミミズなど雑食)を探しているようでした。

キジバトは本来、山の中で生活する鳥でしたが、徐々に都市部でも見られるようになりました。野鳥なので ドバトのように近寄ってくることは基本的にはありませんが、美観地区のキジバトはかなり近い位置で見ることが出来たように思います。
つがいでいることが多く、庭木や人工建築物にも巣( 古巣を再利用することもある )を作るみたいです。夫婦で仲良く子育てをするためか、キジバトの巣があると「夫婦円満や家内安全などの幸運を招く」と古くから言われてきたそうですョ。

それにしてもドバトとの扱いの違いは、かなり大きいですよね。

美観地区の犬走りに見られる石

美観地区を歩いていると、町家の前に石が並んでいるのを目にします。

以前、境界を表す石だと聞いていました。境界標は、石杭・コンクリート杭・プラスティック杭・金属杭・プレート・ペイント等、色々あります。境界石として見た時、配置がちょっと大雑把で数が多いなと思っていました。色々調べていたら、京都に「いけず石」というものがあるのを知りました。道路際に置かれる置石(あまり加工されていない自然石が多い)です。それ以上内側を通れないようにするため石のようです。意地悪な石ということで、「いけず石」と呼ばれるとされていますが、はっきりとしたことは分かっていないそうです。

石を置くことで、車などの乗り物から、敷地内の建造物の破損を防ぐことができますね。次の写真は有隣荘の正面入り口角の石です。

景観だけでなく、重要な役目を今も果たしているんですね。

教科書で見たことがあるマネの絵

マネの絵は、どこかで見たことがあるような作品が多いと思います。いくつか紹介したいと思います。どの絵も色々と議論され続けているものばかりですョ。

コート―ルド・ギャラリー
『フォリー・ベルジュールのバー』1882

マネは印象派の画家たちと深く関わった人物ですが、8回開催された印象派展には一度も参加していません。サロン(官展)で評価され、入選することにこだわったようです。
フォリー・ベルジュールのバー』はマネの最後の大作です。 最も教科書に載る作品なのではないでしょうか。 中央の女性の後ろ姿が向かって右側に描かれていることから、後景はに映るバーの様子だということが分かります。鏡だと思って改めて見てみると、鏡に映ったテーブルやビンが描かれていることに気づくと思います。そして、この絵で最も議論の的となるのは、右端のシルクハットをかぶった男性の存在と中央の女性の表情だと思います。男性は何者で実際の立ち位置はどこなのか、女性はどこを見てどんな気持ちでいるのか、2人は何を話しているのか等々。また、作品全体が、物理的にも心情的にも色々な視点で描かれていることにも注目です。

  

オルセー美術館
『草上の昼食』1863

『草上の昼食』は1863年のサロンに出品されましたが落選しています。 現実の女性の裸体を描いたということで批判されたのです。 アカデミック絵画では、女性の裸体は、神話や歴史上の人物を題材として描くものでしたから。 マネの思いきった試みだったと思います。 でも、構図はアカデミックなんです。

マルカントニオ・ライモンディ(1480年頃-1534年)
『パリスの審判』1515年頃

ギリシャ神話の『パリスの審判』の一場面です。赤で囲まれた3人の構図が、マネの『草上の昼食』の前景の3人とそっくりですね。

    

オルセー美術館
『オランピア』1863

『オランピア』は1865年のサロンに出品されて入選しています。『草上の昼食』と同じく、現実の女性の裸体が描かれているので批判されました。でも、構図はやはりアカデミックなんです。

ウフィツィ美術館
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488-1576)
『ウルビーノのヴィーナス』1538

ティツィアーノ(盛期ルネサンスの巨匠)の描いたヴィーナスです。構図がとてもよく似ているのが分かります。どちらも女性の裸体を全面に描いたものですが、全く異なった評価を受けたということですね。パリの高級娼婦(オランピア)とヴィーナスを同じような構図で描いたということになるので、当時としたらざわついてもしかたなかったかもしれませんね。

  

オルセー美術館
『笛を吹く少年』1866

『笛を吹く少年』は1866年のサロンに出品されましたが落選しています。この作品は、なぜ評価されなかったのでしょうか? 当時のアカデミックな絵画の常識では、背景を描き、物語性を絵画にもたせることが重要でした。ところが、この絵は何もない所に少年がただ笛を吹いて立っているだけだったのです。画壇がざわついたことでしょう。
ところで、少年の左足の影に注目してみて下さい。斜め後方に影と平行してサインが書かれているのが分かりますよね。この位置にサインを書くのは珍しいと思いますが、この位置のおかげで、奥行きが出てきます。そして、何もない所に地面を感じることが出来るのです。凄いですね!

マネは画壇に挑戦した画家だと思います。「印象派の父」「近代絵画の父」と言われる理由がよく分かります。教科書にもよく採用されるわけですね。