番外編:コクワガタのプチ脱走!

昨晩、筆者の家の生き物コーナーから、カチカチと妙な音がしていました。またアルジイーター(ドジョウの仲間の熱帯魚)が水温計をツンツンしているのかなと思って、水槽に目をやると、アルジイーターは流木の下でジッとしています。何度かそんなことを繰り返した後、これは、お母さんコクワガタがまた木を掘っているのかもしれないという思いに至りました。

早速、飼育ケースの観察です。

新聞紙に穴が開いています。緊張が走ります。

黒い影が見えます。

飼育ケースの蓋にお母さんコクワがしがみついていました!蓋の内側にちゃんといましたが、これはプチ脱走です。そして筆者的には、懐かしい見慣れた光景でした。

飼育ケースの中のクヌギマットを厚く敷いていると、その上に置いている木と蓋の間のスペースがあまりない状態になります。そうなると、クワガタは蓋に手(足)が届き、蓋にしがみついて脱走を試みることができる状況になるんです。コクワガタのパワーでは、さずがに蓋に穴を開けることはなかなかできませんが、外国産の大型のクワガタになると、角(大アゴ)で穴を開けることは可能となります。

過去に飼育していたアチェ産スマトラオオヒラタクワガタは、何度も脱走を試みました。クワガタ業界では「アチェ」と呼ばれる人気のクワガタです。このクワガタは飼育ケースの蓋に穴を開けようとして角が挟まり、動けなくなってもがいているところを見つけられるということがよくありました。

スマトラオオヒラタクワガタ・アチェ

このアチェの体長は85ミリ あって(※クワガタ飼育業界では、単位はセンチではなくミリで表記します。こだわりのミリ表記です。) ほんとに力の強いクワガタでした。力ずくで蓋を壊して出て行くというタイプですね。

そして、実際脱走に成功していたのはパラワンオオヒラタクワガタです。なかなかの頭脳派で、木の上に乗り、角を中心に体全体で蓋を押し上げる手法で脱走していたと思います。蓋の上に念のため重石を乗せていたことを覚えています。

出展:Amazon画像より
パラワンオオヒラタクワガタ

外国産の大型クワガタが脱走した時は、過去記事でも書きましたが、色んな意味で本気で探したものです。ゴキブリ捜索の時の本気度とはまた一味違います。ゴキブリは精神的ダメージが大きいと思うのですが、クワガタ脱走の場合、挟まれるという身体的ダメージの不安も加わるのでかなりの緊張感です。昼寝も含め就寝時は特に要注意で、寝具まわりの黒い物体チェックは、決して怠ってはいけない最重要事項でした。

脱走の原因はエサ不足が多いと思います。(力の強いクワガタからの逃避もあったかもしれません。)今回のコクワガタのエサ(昆虫ゼリー)は、減ってはいたものの、まだ大丈夫そうでしたが、新しいものに取り替えました。
もしかしたら、前棲んでいた飼育ケースより今の飼育ケースの方が小さいので、窮屈だったのかもしれませんね。前の飼育ケースには、現在子どもたちが棲んでいるので、お母さんコクワにはこのままちょっと我慢してもらおうと思います。

お母さんコクワ、元気そうです。霧吹きをして蓋を閉じました。
ちなみに、子どもたち(幼虫)の飼育ケースの方は特に変わりないです。クヌギマット(幼虫のエサ)を食べながら、こちらも元気にしてくれていると思います。

美観地区:旧中国銀行倉敷本町出張所

久しぶりに美観地区を歩きました。改装工事が着々と進んでいるようです。

2020年9月撮影  旧中国銀行倉敷本町出張所

工事用の囲いも洒落てますね。奥に見えるオレンジの建造物は「有隣荘」です。 旧中国銀行倉敷本町出張所 は 国の有形文化財、市の指定重要文化財に登録されています。 薬師寺主計の設計 で、外壁の大きな円柱やステンドクラスがはめ込まれた窓など、見応えのある外観です。

2020年9月撮影 ステンドグラスがはめ込まれた窓

正面ではなく裏側(南西側)を主に改装工事しているようです。

2020年9月撮影 旧中国銀行倉敷本町出張所の南側

工事で壁が崩されています。よく見ると、煉瓦がたくさんはめ込まれているのが分かります。建設当時の様子がちょっと垣間見れた感じで、筆者的にはとても興味深いです。工事で壁を崩さなかったら、こうして壁の内部を見ることもなかったでしょうね。

パッと見は石造りの西洋建築なのですが、その構造は、鉄筋コンクリート、石造、煉瓦造、木造が組み合わさった混構造と呼ばれる形式なんだそうです。 美観地区の分かりやすい煉瓦造といえば倉敷アイビースクエアですが、 旧中国銀行倉敷本町出張所 にも煉瓦が使われていたんですね。外観からは全く分かりませんでした。筆者的にはツボです。改装工事が終われば、多分また見えなくなると思うので、 旧中国銀行倉敷本町出張所の煉瓦を見るなら今です。

旧中国銀行倉敷本町出張所 は、大原美術館の新たな展示施設「新児島館(仮称)」として2022年度に開館予定のようです。内装はどんな感じになるのでしょうね。作品の展示と共に楽しみです。

ちょっと足を延ばし、過去記事(美観地区の常夜燈近くの一本の柳)で紹介しました、がんばる柳を見に行きました。

2020年9月撮影  がんばる柳

枝が太くなっていました!そして、丁寧に剪定もされていました。根元あたりは崩れていますが、しっかり大事にされていることがよく分かります。柳は今も力強くがんばっています(^-^)

大原美術館:『呪われた王』ルオー

優しそうな顔の王様だなと思いました。

大原美術館
ジョルジュ・ルオー (1871-1958)
『呪われた王』1949-1956

【鑑賞の小ネタ】
・額縁と絵が一体化
・どんな王様なのか?
・似たような顔の肖像画あり
・ルオー晩年の作品

作品名が『呪われた王』となっています。呪われたというからには、もっと辛そうな表情に描かれるのかなと思ったのですが、この王様の表情は、どこか優しそうで穏やかに見えます。頭の上に王冠が見えるので、王様だということが分かりますね。

ルオーの作品によく見られる手法ですが、絵画と額縁が一体化しています。額縁にも色彩が施されていて、とても立体感があります。

次の作品は、イエス・キリストを正面から描いた『聖顔』です。

バチカン美術館
『聖顔』1946年頃

『呪われた王』とキリストの『聖顔』、雰囲気が似ていると思いませんか? ルオーは宗教画を数多く残していて、「聖顔」というテーマでは、60点以上も制作したそうです。

イエス・キリストは、人間の持つ罪を背負って十字架にかけられたわけですが、キリストの雰囲気に似た『呪われた王』も、人間(民)の何かを背負って呪われたのでしょうか?しかもそれは王として納得済みのことだったとしたら、あの穏やかな表情も頷けますね。そして、王様は王冠、キリストはいばらの冠をかぶっていることにも注目です。

次の作品は、カトリック教会における聖人ジャンヌ・ダルクがモチーフです。

個人蔵
『我らがジャンヌ』1948-1949
『聖女ジャンヌ・ダルク』1951

ルオーの宗教画の1つですが、これらの作品には注目すべき点があります。次のルオーの師匠ギュスターヴ・モローの作品を見てみてください。

ギュスターヴ・モロー美術館
ギュスターヴ・モロー(1826-1898)
『パルクと死の天使』1890年頃

構図がとてもよく似ていると思います。そして何よりも、モローのこの絵の具の厚塗りは驚きです。というのも、モローの作品と言えば、もっと細密なんです。モローはパリ国立高等美術学校の教授なので、その画風は、滑らかに仕上げられたアカデミック絵画となります。このように次世代的な荒いタッチで厚塗りするようなことを基本的にはあまりしないと考えられます。『パルクと死の天使』の制昨年は1890年頃で、ルオーが学校に入学したのが1891年です。ルオーがまだアカデミック絵画を勉強していた頃、既に、モローは厚塗りを試みていたということですね。

レンブラント(レンブラント・ファン・レイン、17世紀オランダ絵画の巨匠)の再来と言われたルオーの画風が、厚塗りに変わって行く要因の1つに、モローのこの厚塗りの影響もあったのではないかと言われています。亡き師匠の後押しもあって、個性的な画風を追求できたのかもしれませんね。実際モローは、生徒の個性を否定しない、立派な先生だったようですから。

モローとルオーの師弟関係は有名で、ルオーはギュスターヴ・モロー美術館の初代館長に就任しています。大原美術館にはモローの作品『雅歌』(過去記事、大原美術館:『雅歌』モロー)が所蔵されています。展示状況にもよると思いますが、併せて鑑賞すると良いかもしれませんね。

大原美術館:『道化師(横顔)』ルオー

あまり道化師に見えないような…。

大原美術館
ジョルジュ・ルオー(1871-1958)
『道化師(横顔)』1926-1929

【鑑賞の小ネタ】
・道化師をモチーフとした作品多数あり
・顔を斜めに横切る線は何か?
・ステンドグラス職人の経験あり
・初期作品の画風の違いに注目

目がギロッと印象的です。道化師というとピエロですが、あまりピエロっぽくないように思うのですが、どうでしょう?顔を斜めに横切る線はしわでしょうか。傷かもしれませんね。または、ショー用のメイクかも。

同じ頃に制作された『赤鼻の道化師』にも、顔に黒く太い線が描かれています。

アーティゾン(ブリヂストン)美術館
『赤鼻の道化師』1925-1928

同じ道化師を描いたのでしようか?視線もよく似ていますね。 何れにしても、顔の黒い線は何か意味がありそうです。

黒い線と言えば、モチーフのパーツが、黒くて太い輪郭線で描かれているのが分かります。西洋絵画ではあまり輪郭線を描かないので、ここまで太い輪郭線はかなり独特です。 ルオーは10代の頃、ステンドグラス職人や修復作家として修業しています。ステンドグラスにも黒い枠(輪郭)がありますよね。ルオーの作品にはステンドグラスの影響が見られると言われますが、なるほどなと思いました。

ルオーは道化師をテーマとして多くの作品を残しています。

出光美術館
『小さな家族』1932

道化師の家族だと思います。 赤い服がお父さん、青い服がお母さん、黄色い服が子どもといったところでしょうか。静かな雰囲気ですね。
同じ1932年に、次の作品もあります。

個人蔵
『傷ついた道化師』1932

『小さな家族』と同じ道化師の家族だと思います。青い服のお母さんが真ん中でうなだれています。ケガをしたのでしょうか?子どもが心配そうにお母さんを見ています。

ルオーの描く道化師は、道化師(ピエロ)なのにあまり楽しそうに見えません。むしろ、生きることの厳しさを感じるような仕上がりになっていると思います。

ルオーは、場末のサーカスや旅回りのサーカスに特に心を寄せたといいます。そして、「われわれは皆、道化師なのです」と語ったそうです。深いですね。考えさせられます。

ところで、ルオーが本格的に画家を志したのは1890年頃からで、1891年にエコール・デ・ボザール( パリ国立高等美術学校 )に入学しています。ここで、マティスモロー(教師で画家)に出会っています。

次の作品はルオーの初期の作品です。

パリ国立高等美術学校
トュリウスの家におけるコリオラヌス』1894

エコール・デ・ボザール 所蔵の作品ですが、全く画風が違いますね。太い輪郭線はなく、アカデミックなザ・西洋画という感じです。ピカソが分かりやすいかもしれませんが、芸術家の作風が時代とともに変化することはよくあることです。ピカソも最初からあの感じの絵を描いていたわけではありません。ルオーも、画家の内面の変化と呼応して、作風がどんどん変化して行くパターンの作家の1人だと思います。

パッと見、初期の作品の方が、普通に上手な絵という感じだと思うのですが、どうでしょう? ところが『道化師』のような作品と比べた時、訴えるものがあるかないかと言われれば、ちょっと疑問です。仮に、『道化師』を初期の頃のような作風で描いたと想像してみてください。普通に上手な肖像画になるとは思いますが、やはり、今の画風の方が訴えるものがあるような気がします。

ちなみに、とてもインパクトの強い作品『道化師』は、過去記事(大原美術館:ふさがれた窓)でも紹介しましたが、盗難の経験があります。『道化師』の鋭い目は、色んなものを見ているのでしょうね。

大原美術館:『作品または絵画』ヴォルス

小さなサイズの絵ですが、細かくしっかり描き込まれています。

大原美術館
ヴォルス(アルフレッド・オットー・ヴォルフガング・シュルツェ=バットマン)(1913-1951)
『作品または絵画』1946
グワッシュ、紙

【鑑賞の小ネタ】
・とても小さなサイズの作品
・ヴォルスはアンフォルメルの画家
・グワッシュで描かれた作品
・細かく様々なものが描かれている

ヴォルスの本名は、アルフレッド・オットー・ヴォルフガング・シュルツェ=バットマンと言います。アンフォルメル( 第二次世界大戦後 、1940年代半ばから1950年代にかけてフランスを中心としたヨーロッパ各地に現れた、激しい抽象絵画を中心とした美術の動向をあらわした言葉) の中心的画家の1人と見なされています。アンフォルメルのその他の画家に、ジャン・フォートリエやジャン・デュビュッフェがいます。大原美術館にはそれらの画家の作品も所蔵されているようで、アンフォルメルの画家の作品がかなり充実しているのが分かります。

『作品または絵画』は、縦20.5㎝×横31.5㎝とかなり小さめな作品です。横幅が30㎝ものさしより少し長いということで、イメージしやすいのではないでしょうか。その小さなスペースの中に、線や色が細かく描き込まれています。じっくり観てみると、木や建物、幾何学模様、文字のようなもの等、色々見えてきます。

この作品は、紙の上にグワッシュで描かれています。グワッシュとは、不透明水彩絵の具の1つです。不透明水彩?と思うかもしれませんが、中学校の美術の授業を思い出してみてください。ポスターカラーを使ったことがありませんか?下の色が乾いていれば重ね塗りができるあの絵の具です。下の色が透けることなく完全に隠れたはずです。不透明水彩絵の具にも種類があるので、『作品または絵の具』のグワッシュがポスターカラーだと断言はしませんが、不透明水彩絵の具のイメージはわくのではないでしょうか。ちなみに、小学校の図画工作の時間で主に使っていた絵の具は、私たちが普通にイメージする水彩絵の具で、これは透明水彩絵の具になります。

不透明水彩絵の具(グワッシュ)ということで、水彩画特有のにじみぼかしがどうなるのかなと思いましたが、『作品または絵画』 には、にじみやぼかしらしき表現がしっかり見られますよね。絵の具と混ぜる水の分量を多めにしたり、絵の具が乾く前に塗り重ねたりすることで、不透明水彩絵の具でもこれらの表現は出来るようですね。 

ところで、透明水彩では白色を使うことはめったにありません。白色を使うとどんどん画面が濁ってしまうからです。たとえ色を消したくなっても白色を使ってはいけません。その点、不透明水彩では、はみ出した部分を白色を使って消すことが出来ます。変な感じに濁ることはまずありません。そうしてみると、この不透明水彩絵の具(グワッシュ)、透明水彩絵の具ほど馴染みはないように思いますが、うまく使えばなかなか魅力的な絵の具なのかもしれませんね。

次の作品は、グワッシュとインクで仕上げられています。

DIC川村記念美術館
『無題』1942-43年
グワッシュ、インク、紙

インクの黒の線が効いてますね。黒の色味がはっきりしているためか、全体的に締まって見えて、バランスが良いように思います。

ヴォルスの作品は、抽象画ということからも、今一つ何を描いているか不明なものが多いと思うのですが、画面内の納まりはとても安定していると筆者は感じます。シンメトリーとは言いませんが、絶妙なバランスで描かれていると思うのです。ヴォルスは写真家(1937年のパリ万博では公式フォトグラファーに任命されています)でもあったので、納まりの良い構図にはこだわっていたかもしれませんね。

ヴォルスが美術家として評価されるようになるのは1945年くらいからのようです。本の挿絵も手掛けていました。

ジャン・ポーラン「スコットランドの羊飼い」の挿画
『太陽』1948
ドライポイント、紙

この挿絵『太陽』は、ドライポイントという版画技法で制作されています。このドライポイントの作品、大原美術館にも所蔵されているようです。その他にも、『木』『荒涼とした風景』『条痕』『草と螺旋』があるようですョ。

ヴォルスの抽象画は、目をつぶった時に見えるあのもやもやしたものを表現したとも言われています。細かくち密に表現された作品は、そう言われてみれば、それっぽいですね。作品名が、『無題』とか『作品』とか『絵画』等になっている場合、それこそ鑑賞者が自由に感じ取り解釈したら良いわけなのですが、作家がどんな思いで何を描いたのか、筆者的にはちょっと知りたくもなります。
貧困とアルコール中毒に苦しんだ揚げ句、 38歳の若さで食中毒で亡くなったヴォルスですが、その閉じた目には、いつも何が見えていたのでしょうね…。