多くの巨匠が描いた『受胎告知』

過去記事(大原美術館:『受胎告知』エル・グレコ)でも紹介しましたが、大原美術館のエル・グレコによる『受胎告知』はほんとに有名ですね。この作品が日本にあることが奇跡とさえ言われています。

大原美術館
エル・グレコ (1541-1614)
『受胎告知』1590年頃―1603年 

筆者がまだ名画についてそこまで深めていない頃、『受胎告知』と言えばエル・グレコ、エル・グレコと言えば『受胎告知』という感じでした。ご存じの方も多いかと思いますが、『受胎告知』は多くの巨匠たちが手掛けたテーマなんですよね。あのレオナルド・ダ・ヴィンチも制作しています。

ウフィツィ美術館
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)
『受胎告知』1472年―1475年頃

筆者的には、後景の樹木の描き方が好きです。
絵画で描かれる「受胎告知」の場面は、マリアの前に大天使ガブリエルが降りてきて、聖霊によってマリアがキリストを妊娠したことを告げ、マリアは戸惑いながらも受け入れるというものです。この聖霊、精霊(自然に宿るとされる霊的な存在)とは違います。「三位一体」の三位⇒《父(神)と子(イエス)と聖霊》の聖霊です。  ちなみに聖霊の象徴として鳩がよく描かれています。

その他、巨匠たちが描いた『受胎告知』をいくつか紹介します。

サン・サルヴァドール聖堂
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488/1490年頃―1576)
『受胎告知』1559-1564
ウフィツィ美術館
サンドロ・ボッティチェッリ(1445-1510)
『受胎告知』1489年頃
アルテ・ピナコテーク収蔵
フィリッポ・リッピ(1406-1469)
『受胎告知』1443

ところで、聖母マリアの表情や手の動きに注目してみてください。同じ『受胎告知』というテーマでも、聖母マリアの様子で、どの段階を描いたものか、何となく想像できるんです。前出の5作品について、筆者なりに時系列でちょっと想像してみたいと思います。

ティツィアーノ : マリア様は手に本(旧約聖書)を持ったまま、「え?」という感じでとても驚いているように見えます。たった今、大天使ガブリエルが現れたといったところではないでしょうか? 5作品の中では、この作品が最も初めの段階のような気がします。

ボッティチェッリ :マリア様は驚きのあまり引き気味のように見えます。大天使ガブリエルは腰をかがめて懸命に受胎を伝えている様子です。受胎告知の初期段階のようではありますが、ティツィアーノよりは後かなと。どうでしょう?

エル・グレコ:振り向いて手をあげていますが、驚いた時の手の動きではないように思います。そして、マリア様の表情も比較的落ち着いていますよね。大天使ガブリエルのお告げを受け入れましたという場面なのではないでしょうか?

レオナルド・ダ・ヴィンチ:このマリア様はかなり落ち着いた表情をしています。大天使ガブリエルに受胎告知されても、あまり動揺しなかったのではないかと思うくらいです。大天使ガブリエルも冷静に告知中、または告知の終盤という感じに筆者には見えます。受胎告知の最終段階に入ったところでどうでしょうか?

フィリッポ・リッピ:マリア様も大天使ガブリエルもとても落ち着いています。受胎告知も無事終わり、全てを受け入れた雰囲気が漂います。レオナルド・ダ・ヴィンチの受胎告知よりも、さらに後の段階ではないかと思います。

以上、筆者がピックアップした5作品だけでも、色々想像できるんです。まだまだ多くの巨匠たちが『受胎告知』を描いていますので、どの段階を描いたものなのか想像しながら鑑賞するとおもしろいかもしれませんね(^-^)

もう1作品、ルーベンスの『受胎告知』です。

ウィーン美術史美術館
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)
『受胎告知』1609

ルーベンスと言えば「フランダースの犬」ですよね。ネロ少年がどうしても見たかった絵画の作者です。(※ネロが見たかった絵は『受胎告知』ではありません。)
何か気づきませんか?エル・グレコの『受胎告知』と共通しています。大天使ガブリエルとマリア様の位置に注目してみてください。そうなんです、大天使ガブリエルが向かって右側、マリア様が向かって左側に描かれているんです。こちらの方がイレギュラーのようですョ。『受胎告知』の多くは、向かって右側にマリア様、向かって左側に大天使ガブリエルが描かれるそうです。

右側と左側で、何か意図するものが違うのでしょうか?
「右」は英語で「right」です。ところがこの「right」、「正しい」という意味もありますよね。なぜ 「right」 に 「右」 「正しい」の意味があるのか調べてみました。すると、古代ローマ人は体の右側を善とし、体の左側には悪霊が宿ると信じていたというものがありました。その他にもたくさんの説がありましたが、古来より、右の方が何かしら正しいとされてきたことは分かりました。

そうなると、「正しい」とされる右側にどちらを描くかは大問題ですよね。大天使と神の子イエスを身ごもるマリア様をどう捉えるかということになります。
少し気になったのが、エル・グレコとルーベンスが活躍した時代は1600年前後で、その他の巨匠たちより後の時代になっています。16世紀のヨーロッパでは「宗教改革(カトリック教会の内部に起こり、プロテスタント諸教会を生み出した宗教的、政治的、社会的な変革運動)」が起こっているので、何か関係がありそうですね。
宗教上の難しい話になってきそうなので、筆者の考察はここまでにしたいと思います。

【豆知識】
プロテスタント(新教)よりカトリック(旧教)の方が、マリア様を特別視していることが多いようです。

番外編:落ち着いた川魚水槽

川魚水槽にヌマチチブとスジエビが新しく入り、しばらく様子を見ていました。困ったことに、エサをやってもほとんどスジエビが食べてしまいます。

正面を向くスジエビ

写真撮影をする時、大抵の魚たちは動く(泳ぐ)ので、なかなか決定的瞬間を撮るのは難しいのですが、スジエビは正面を向いてカメラを見るんです。カメラの影が見えても怖がりません。さすがテナガエビ科(過去記事、番外編:スジエビとヌマチチブ参照)です。

スジエビは新しく置いた石の周りを陣取っていました。ヌマチチブも石の周りが好きなので、ちょっと困っている様子でした。投入した数が多過ぎたのかもしれません。

徐々に、スジエビを倉敷川に戻すことを考え始めました。

そして、ついに決定的瞬間が訪れました。横に置いてある熱帯魚水槽の中に少し投入していたスジエビが、なんと、大事なコリドラスを後ろからちょこちょこ突いていたんです!その時コリドラスはもしゃもしゃ食事中でした。突かれているのに特に反撃もせず、ぼーっとしていましたが。

すぐにスジエビを水槽から取り出しました。

朝日の中の川魚水槽

カワムツが下の方を泳いでいます。スジエビがいた時は、上の方ばかり泳いでいました。ヌマチチブは左側後方に貼り付いています。

石の上に乗るヌマチチブ

ヌマチチブは縄張り意識が強い魚です。この石の周りを縄張りとしているのではないかと筆者は思っています。石を置いて良かったです。

オレンジの楕円の中にヌマチチブがいます。

その瞬間は撮れなかったのですが、この後、ヌマチチブがカワムツに飛び付きます。なかなか素早い動きなのですが、カワムツは上手に逃げます。

スジエビを投入後、カワムツはしばらく食欲不振でした。スジエビを取り出して3日目くらいから、エサを食べ始めました。野生種の混泳はなかなか難しいですね。とりあえず、スジエビパニックの終了です。

美観地区:倉敷館(観光案内所)

美観地区にある観光案内施設の「倉敷館(観光案内所)」が、約2年間の改修工事を終えて、2020年2月16日にリニューアルオープンしています。

2020年10月撮影  倉敷館(観光案内所)

夜景がとても美しく、インスタグラム等にもよく投稿されていますね。

手前に見える石橋は、過去記事(美観地区の『中橋』)でも紹介しました、「中橋」です。筆者はこの角度からの撮影が好きです。

水面に映る倉敷館を見てみてください。まるで印象派の画家が描いたような景色だと思いませんか? 日が暮れてほんの少し経った頃がお勧めです。

倉敷館は、大正6年(1917年)に倉敷町役場として建てられました。昭和3年(1928年)の市制施行により、市役所機能が移転しました。その後、倉敷市公益質屋、倉敷市農業共済組合事務所、倉庫などに転用されました。そして、次第に老朽化が進んでいったようです。

昭和43年に市民の中から保存の声があがり、昭和46年に保存修理が行われ、昭和60年~62年の解体修理、平成29年~令和2年の半解体修理を経て、現在に至ります。大事にされてきたんですね

倉敷館の設計者が気になります。色々調べていると、2020年5月25日の山陽新聞digitalに興味深い記事がありました。

倉敷市美観地区にある市重要文化財の観光案内所「倉敷館」(同市中央)の設計者が、県建築技師の小林篤二(1887~没年不明)であることを示す史料が見つかった。これまでは小林の上司で多くの洋風木造建築を手掛けた江川三郎八(60~1939年)が有力視されていたが、岡山ヘリテージマネージャー(地域文化財建造物専門家)の山崎真由美さん(50)=真庭市=の調査で“生みの親”が判明した。

山陽新聞digital

設計者は、 小林篤二 という県建築技師のようです。凄い発見ですね!

倉敷館周辺の夜景はとても美しいですョ。おすすめです(^-^)

 【倉敷館(観光案内所)】
電話番号:086-422-0542
開館時間:9時~18時
定 休 日:年中無休
※「くらしき川舟流し」のチケットもこちらで販売しています。

大原美術館:『カット・アウト』ポロック

人のような形の切り抜きがありますね。

大原美術館
ジャクソン・ポロック(1912-1956)
『カット・アウト』1948-1958
油彩・エナメル塗料・アルミニウム塗料その他、
厚紙・ファイバーボード

【鑑賞の小ネタ】
・人型の切り抜きがある
・ポロックの死後、作品が完成
・切り抜きのある作品が他にもあり
・ポロックはアクション ペインティング 
 の代表的画家

切り抜かれた部分は、何に見えるでしょうか?人型と書いてしまいましたが、人ではなく違うものに見えるようだったら、それで良いと思います。抽象絵画は、特に、自由に解釈して問題なしの世界だと思いますから。

切り抜きのある作品は他にも何点かあるようです。

『Untitled (Cut-Out Figure)』1948
『リズミカル ダンス』

『Untitled (Cut-Out Figure)』1948 の切り抜きは、大原美術館の『カット・アウト』の切り抜きの形とほぼ同じだと思います。これは何か基になるデッサンか絵があるのかなと思って探してみたら、ありました。

『Figure』1948

輪郭をたどると、ほぼ切り抜きの形になるのではないでしょうか? 制作年も1948年なので、時期的にも大丈夫そうです。
そして、作品名のFigureの意味ですが、基本的には「形・図形」です。Figureにはその他にもたくさんの意味があって、その中には、人物や人形の意味もありますよね。この作品名の意味は、人物か人形で良いのではないかと思っています。

そうして見ると、『リズミカル ダンス』の切り抜きは、人が踊っているように見えますね。筆者には2人踊っているように見えます。もしかしたら、大原美術館の『カット・アウト』の切り抜きも踊っているのかもしれませんョ。

ところで、大原美術館の『カット・アウト』の制作年に注目してみてください。1948年から1958年になっていますね。ポロックが自動車事故で不慮の死を遂げたのは1956年ですので、死後に完成された作品ということになります。これは、同じく画家だった妻のリー・クラスナーが完成させたようです。切り抜きの背後をふさぐものを、ポロックの別の作品から選んできてはり付けたそうです。夫婦で完成させた作品だったんですね。

  

最後に、話題を呼んだ作品を紹介します。こちらです。

個人蔵
『Number 17A』1948
ファイバーボードカンヴァスに油彩

『Number 17A』は、 2016年、美術コレクターのケネス・グリフィンによって、2億ドル(約224億円)で購入された作品です。驚異的な値段の取引だったので当時話題になりました。 抽象絵画、色んな意味で凄いですね。

大原美術館:『ブルー―白鯨』ポロック

作品名から想像すると、海の絵でしょうか?空にも見えますね。

大原美術館
ジャクソン・ポロック(1912-1956)
『ブルー―白鯨』1943年頃
グワッシュ・インク、ファイバーボード

【鑑賞の小ネタ】
・小説「白鯨」がテーマ
・ポロックは抽象表現主義の代表的画家
・不透明水彩絵具で描かれている
・ミロの影響あり

ジャクソン・ポロックというと、次のような絵をイメージする人が多いのではないでしょうか?

シアトル美術館
『海のような変化』1947

『海のような変化』はドリッピング(絵の具を垂らして描く)という技法で描かれています。ポロックは1947年頃から本格的にドリッピング作品の制作を開始しているようです。ただ、1943年頃からドリッピングやポーリング(絵の具を流し込んで描く)を試み始めているので、『ブルー-白鯨』1943は、ドリッピングの手法に本格的に移る前の興味深い作品ということになりますね。

『ブルー-白鯨』 は、アメリカの小説家ハーマン・メルヴィル「白鯨」がテーマとなっているそうです。そして小説「白鯨」は、ポロックの愛読書だったようで、小説に出てくる捕鯨船ピークォド号の船長ハイエブの名を、飼い犬につけていたそうですョ。

『ブルー-白鯨』 は、全体的にかなり抽象化されているものの、よく見ると、なんとなく形が分かるものが数多く描かれているように思います。白鯨、波(大波)、海の生物(怪物?)など。どの部分がどのように見えるかは、例によって人によって違うと思います。オレンジ色と黄色が印象的ですが、黄色の部分は、月が海面に映っているように筆者には見えます。そして、最も気になったのは、絵の中央に格子模様の線があって、その線の中にや■や✖が描かれていることです。何か意味があるのでしょうか?結構きっちり描かれているので、余計気になります。 捕鯨船の乗組員が、休憩中に楽しんだ ボードゲームだったりするとおもしろいですよね。

1943年頃の作品をいくつか紹介します。

フィラデルフィア美術館
『男女』1943
サンフランシスコ近代美術館
『秘密の守護者たち』1943

比較的、形が保たれているように思います。

ポロックは、1938年頃~1942年頃、精神科に通院しています。アルコール依存症の治療としてユング派の精神分析、そして絵画療法を受けています。深層心理に潜む無意識の芸術について、既に注目していたかもしれませんね。

「精神分析用ドローイング」と呼ばれているもの

また、ドリッピング作品へ向かう前のポロックは、ピカソやミロの影響を多分に受けています。 『ブルー-白鯨』は、特にジョアン・ミロ(1893-1993)の影響が強いように思います。大原美術館にはミロの作品も所蔵されていますので、ぜひ見比べてみてほしいものです。