番外編:クワガタの幼虫と菌糸ビン

菌糸ビン。聞いたことがあるでしょうか?

菌糸ビン 550㏄

クワガタ飼育業界ではお馴染みです。菌?細菌⁈大丈夫なのか⁈と、初めて目にした時はそう思ったものです。もちろん、大丈夫です。菌糸ビンの菌には、普段からよく食べている「キノコ」の菌が使われています。安心してください。キノコの菌は、木の成分の1つである「リグニン」を分解して、幼虫が食べやすい状態にしてくれます。つまり菌糸ビンは、効率の良い幼虫のエサが入ったビンというわけです。

リグニンは、セルロースなどと結合して存在する高分子化合物です。細胞壁に堆積して木質化を起こし、植物を強固にするそうです。クワガタの幼虫たちは、リグニンがあると消化できないらしく、リグニンを分解してくれるキノコの菌は大事なんですね。確かに、クワガタの幼虫たちは、広葉樹の朽ち木をよくエサにしています。それは、木が朽ちて、キノコの菌が木にまわり、その結果リグニンが分解され、幼虫の消化できるエサ状態になっているからなんですね。

ところで、この菌糸ビン、そもそもオオクワガタ飼育のために開発されたものと言ってよいと思います。クワガタ飼育と言えば、今も昔も日本産オオクワガタが一番人気です。大きく育てるために、色々と試行錯誤した結果、菌糸ビンが登場したようです。オオクワ飼育のための菌糸ビンとなると、菌糸ビン不向きのクワガタも当然出てきます。なんでもかんでも菌糸ビンというわけにはいかないんです。ちなみにクワガタではありませんが、カブトムシの菌糸ビン飼育は不向きです。

では、コクワガタはどうなんでしょう? オオクワガタはドルクス属です。ヒラタクワガタも。そして、筆者が飼育中のコクワガタもドルクス属なんです。体は小さいですがドルクスです。菌糸ビンにも対応できるクワガタということになりますが、過去の飼育経験上、オオクワガタほどの効果が期待できる感じではありません。現在幼虫たちは、クヌギマットの中にいますが、菌糸ビンだけでなく、新しい朽ち木にも引っ越しさせようと思っています。

  

さて、お母さんコクワが、またプチ脱走しました。続けて2回も。これは居心地が悪いのかと思い、中に置いていた朽ち木を取り除いて環境を変えることにしました。朽ち木にまた卵を産んでいたらいけないので、念のため割ることにしました。

樹皮は簡単に剥がれました。あれ?産卵痕が有るような無いような…。今回もいい感じに朽ちています。割ってみます。

なんといました‼ 見えるでしょうか?写真中央です。また産卵していたんですね!前回の産み残しかもしれません。これはもしかしたらまだいるかもと思って、慎重に割って行きました。

結局、2匹、いました。お母さんコクワは、数は少ないですが、再度産卵していたということです。卵は無かったと思います。まあまあのサイズだったので、クヌギマットの幼虫たちよりお先に、菌糸ビンに入れてみることにしました。菌糸ビンの表面にちょっと穴を開けて、そこに幼虫をそっと置きます。

下側の幼虫はどんどん潜って行きましたが、上側の幼虫はなかなか潜りませんでした。朽ち木から取り出した時から、あまり元気がなかったので、この幼虫はダメかもしれませんね。

そして今回、細長い幼虫も朽ち木から出てきました。なんだこれは…です。コメツキムシの幼虫?よく分かりませんが、クワガタの幼虫ではないことは確かです。筆者は、クワガタの幼虫は大丈夫なのですが(手の上に乗せることもできます)、こういう幼虫はだめです。何がどう違うのかと言われそうですが、大違いなんです。見つけた時は、一瞬、思考停止状態になります。まあでも、朽ち木を割っていたら、よくあることではあるんですが、慣れる気がしません。この謎の幼虫には去ってもらいました。

コクワの幼虫たちが、上手く菌糸ビンに馴染んでくれることを願っています。クヌギマットの方の幼虫たちの引っ越しは、また近々報告します。

大原美術館:『ドーヴィルの競馬場』デュフィ

輪郭線が目立つ絵だなと思いました。

大原美術館
ラウル・デュフィ(1877-1953)
『ドーヴィルの競馬場』1931

【鑑賞の小ネタ】
・デュフィは色彩の魔術師
・輪郭線が目立つ
・フォーヴィスムの画家
・競馬場を描いた作品多数あり
・テキスタイルデザインも手掛ける

ドーヴィル競馬場は歴史のある競馬場のようです。現在でも、競馬、障害競技、馬のオークション、ポロ、馬術の国際大会などが行われていて、馬に関するイベントも数多く開催されているそうです。絵の中にオレンジ色の建物が見えますが、形状にしても実際の建物にかなり近いように思います。

出展:JBIS Searchホームページより  ドーヴィル競馬場

絵の中の人々の多くは紳士淑女の装いで、競馬場の様子というよりは、社交界の一場面を見ているような気持ちになります。 デュフィの作品は、音楽や社交界をテーマにしたものが多く、その作品は生きる喜びに溢れています。

「ドーヴィル競馬場」をテーマとした作品をいくつか紹介します。

パリ国立近代美術館・ポンピドゥー・センター蔵
『ドーヴィル競馬場のパドック』1930

パドック(レースに出走する馬の下見所)の様子ですね。奥に、ドーヴィル競馬場のオレンジの建物が見えます。次の作品は、競馬場の中ですね。

ポーラ美術館
『ドーヴィルの競馬場』1935-1940

ドーヴィル競馬場の様々な場面を描いていたことが分かります。『ドーヴィルの競馬場』1935-1940 が一番分かりやすと思うのですが、輪郭線がとても特徴的です。色が輪郭線からはみ出していたり、輪郭線の中は塗られずに輪郭線のみの馬や人が描かれていたりしています。これを「色彩の輪郭からの解放」と言うそうで、目の残像効果を絵画に取り入れたものなんだそうです。なかなか大胆な表現ですが、絵画(2次元)に3次元の動きが出ると言えば出ますよね。そして確かに、対象が動いていれば、その対象の色彩はそこに留まってはいません。何だかちょっと難しい話になってきましたが、「動きを感じる」ということでいいのだと思います。

デュフィの色と輪郭線については、他の見方もあるようです。デュフィは、1912年から1928年に、フランス・リヨンの絹織物製造業ビアンキー二=フェリエ社と契約して、多くのテキスタイル(織物、布地)のデザインをしています。

デュフィ・ビアンキーニ蔵
『ヴァラドン』1914-20年頃 テキスタイル制作
1989年 毛織物

そして、織物を染める行程で枠と色がずれることがありますが、これが「色彩の輪郭からの解放」 のヒントになったのではないかとも言われています。

   

また、デュフィの作品はファッション誌「VOGUE」の表紙にもなっています。

「VOGUE」1935年5月表紙

一見、競馬場がテーマの作品が、ファッション誌の表紙になぜ?と感じると思いますが、テキスタイルのデザイナーでもあったデュフィの作品ということで納得できると思います。「VOGUE」は1892年から刊行されている歴史のある雑誌です。デュフィには、画家に加えて、 「VOGUE」の表紙に採用される程のテキスタイルデザインのスペシャリストという顔があったということなんでしょうね。

様々な顔を持つ芸術家は多いと思います。それを踏まえた上で、目の前の作品を鑑賞すると、また深みが増しておもしろいかもしれませんョ。

大原美術館:分館の外壁

倉敷駅前の大通りをしばらく南下すると、左側に美観地区が広がります。美観地区の入り口っぽい広くなった空間を横目に、もう少し南下すると倉敷国際ホテル、そしてその先に、まるで日本のお城の城壁のような外壁をもった建造物が見えてきます。

これは大原美術館分館の外壁です。東側になります。
大原美術館分館は、1961年竣工で、設計は浦辺鎮太郎 (建築家。倉敷レイヨン営繕関連部門勤務、倉敷建築研究所設立。)によるものです。 浦辺鎮太郎は、 その他にも、倉敷国際ホテル、倉敷アイビースクエア、倉敷市庁舎を設計しています。

外壁の南側にまわってみます。

車一台が通れるくらいの路地に沿って、外壁が続いています。コンクリートに玉石が埋め込まれていますね。まるで石垣です。そして白壁。日本のお城の城壁に作られる櫓(やぐら)のようです。

出展:Wikipedia 多門櫓(彦根城佐和口多門櫓)

櫓にも色々種類があるようで、その中の多門櫓(たもんやぐら)に似ていると筆者は思っています。
城壁(櫓)で美観地区を守るという意味合いがあったという話を聞いたことがあるのですが、ネタ元がはっきりしません。多分、NHKの「ブラタモリ」だったような気がします。違っていたらすみません。

奥の波打った屋根が目を引きます。

城壁の先にモダンな建築、見事に融合していると思います。

ここが分館の東の端になります。

今回は分館の外壁に注目しました。分館は、分館内の展示物だけでなく、外壁まで楽しめる建築物だと思います。 路地を歩く際に、ぜひ、見て頂きたいものです。

倉敷国際ホテル近くのガス灯

過去記事(美観地区:レトロな街路灯)で、倉敷アイビースクエア西門前のガス灯を紹介しました。今回紹介するのは、美観地区最寄りのホテル、倉敷国際ホテル近くのガス灯です。美観地区界隈のガス灯は、倉敷アイビースクエアと倉敷国際ホテルのこれら2つのみとなります。

倉敷国際ホテル近くのガス灯 昼間
倉敷国際ホテル近くのガス灯  夕暮れ時
倉敷国際ホテル近くのガス灯  夜間

写真左端上に見切れている建物は、倉敷国際ホテルの一部になります。
このガス灯は、倉敷駅から南北に通る道路からもバッチリ見えます。向かって左側の方が明るめですね。そういえば、倉敷アイビースクエアのガス灯も、どちらかが明るかったような…。

次のガス灯のアップは、倉敷アイビースクエアの方です。デザインはほぼ同じだと思います。

倉敷アイビースクエア西門前のガス灯

バックが白い雲なので分りやすいと思いますが、ガス灯のガラス部分が水色になっています。きれいですね。そして、中をよく見てみると、網状の布のようなものが見えます。これはマントル(ガスマントル)というもののようです。マントルは電球で例えると、フィラメントの役割をするものです。マントル自体は合成繊維から出来ていて、金属硝酸塩が染み込ませてあります。

ガス灯の光の色は、オレンジ色かなと思っていたのですが、レモン色だという記述がありました。確かに、もっとオレンジ色の照明、他にもありますよね。何れにしても、筆者はガス灯の光が好きです。特に、秋から冬にかけてのガス灯はいいですョ。

美観地区:白い彼岸花と白い萩

彼岸花の季節ですね。美観地区南端の一角に、白い彼岸花が毎年咲きます。
今年の白い彼岸花がこちら。

2020年10月5日撮影 シロバナマンジュシャゲ

初めて見つけた時、テンションが上がったのを覚えています。2014年の秋でした。6年前になりますが、ちゃんと撮影してました!こちらです。

2014年9月20日撮影 シロバナマンジュシャゲ

次の写真は現在の様子です。
中央に白い彼岸花、奥に美観地区が見えます。

2020年10月5日撮影 美観地区の南端

彼岸花は別名、曼珠沙華(マンジュシャゲ)ですね。その他にも、天蓋花(テンガイバナ)や狐花(キツネバナ)など、多くの別名をもっている花です。特徴は、花が咲いてから葉が伸びることで、多年草の球根植物です。リコリンなどの有毒なアルカロイド(天然由来の有機化合物の総称)が含まれる有毒植物で、特に球根部分に多いといわれています。毒は全体にあると考えた方がいいのですが、口に入らなければまず問題ないようなので、彼岸花を触った後はしっかり手を洗うことが重要です。

この白い彼岸花の生息位置は、過去記事(美観地区の『前神橋』)で紹介しました美観地区の南端に架かる橋、前神橋のたもと近くです。

2020年10月5日撮影 シロバナマンジュシャゲと前神橋

黄色の楕円の中に白い彼岸花が咲いています。オレンジの線の中に前神橋の欄干(龍の形)が一部見えます。

美観地区内の倉敷川沿いにも咲いていました。

2020年10月5日撮影 倉敷川沿いのシロバナマンジュシャゲ
2020年10月5日撮影 倉敷川沿いのシロバナマンジュシャゲ

白い彼岸花は、赤色の彼岸花と黄色の鍾馗水仙の自然交雑種といわれています。九州などの暖かい地域に自生するようで、その他の地域で見られる場合は、人工的に植えられたものが多いそうです。今回紹介した白い彼岸花は、かなりまとまって群生しているので、きっと人工的に植えられたものだと思います。
ところで、なぜ白い彼岸花だったのでしょう?ここからは筆者の想像ですが、花言葉ではないかと思います。白い彼岸花の花言葉は、「また会う日を楽しみに」「思うはあなた一人」です。白い彼岸花が珍しいということもちろんあると思いますが、「美観地区にまた来てね!」みたいな意図があったのではないでしょうか?どうなんでしょうね(^-^)

    

白色の萩も咲いていました。

2020年10月5日撮影 シラハギ
2020年10月5日撮影 シラハギ

萩といえば、ピンクや紅紫色の花を咲かせるイメージで、筆者的には 白色の花は 珍しいと思ったのですが、植物通の方によれば、よく見かけるとのことです。※今回は白萩に注目しましたが、ピンクの萩もちゃんと咲いていましたョ。

白い彼岸花、白い萩、そして白壁。美観地区の秋ですね。