番外編:スジエビとヌマチチブ

30㎝川魚水槽のカワムツ、なかなか立派になってきました。熱帯魚用の乾燥したエサを与えています。特に嫌がることもなく、バクバク食べて順調に大きくなっています。

2020年10月撮影 カワムツ

この度、スジエビヌマチチブ が加わりました。

2020年10月撮影 カワムツとスジエビ

スジエビは2㎝~3㎝ぐらいなので、カワムツの大きさが大体分かると思います。

2020年10月撮影 ヌマチチブ

スジエビもヌマチチブも、倉敷川(美観地区内の倉敷川管理区域外)からすくってきました。スジエビは、結構、攻撃的です。カワムツを怖がるのかと思いきや、オラオラと言わんばかりにカワムツへ向かって行きます。今まであまり意識して観察したことがなかったのですが、ヤマトヌマエビ (アクアリウムで混泳可能のエビとして定番) とは大違いだということがよく分かりました。
というのも、スジエビはテナガエビ科なんです。テナガエビは、ザリガニともやり合えるかなり強いエビ (大型のものは20㎝にもなる) です。ヤマトヌマエビはヌマエビ科で、おとなしくとても穏やかなエビです。科が異なるとこうも違うものなんですね。生き物について考える時、それが何科なのか調べることは、やはり大事だなと改めて思いました。
スジエビ的には、体は小さくても(成長してもせいぜい3㎝くらいまで)、気持ちはテナガエビ、なんでしょうね。オラオラとカワムツに近寄って行くのも分かる気がします。

そしてヌマチチブ、見たことがあるでしょうか?普通にいる魚ですが、ジロジロ観察しないと見逃す魚かもしてませんね。よく見ると、なかなか興味深い魚なんですョ。後ろ側の背ビレ(第二背ビレ)の黄色と水色が混ざったような色に注目です。結構カラフル!日本の川魚は地味な色が多いように思いますが、美しい色をもつ魚が案外いるんです。例えば、婚姻色が現れたオイカワのオス、ヤリタナゴ(在来種)、カワムツなどです。

ところで、ヌマチチブとよく似た魚にチチブがいます。最初、このすくってきた魚はチチブだと思っていたのですが、じっくり観察した結果、ヌマチチブではないかと今では思っています。ちなみにどちらもハゼ科の魚です。

チチブには、前側の背ビレ(第一背ビレ)、黄色の矢印のあたりに硬いヒゲのようなものが幼魚のことからあるようです。この魚の体長は現在2.5㎝くらいで、まだ幼魚なんですが、その硬いヒゲのようなものがありませんね。ちなみに、チチブもヌマチチブも10㎝くらいにはなります。ヌマチチブに硬いヒゲのようなものが現れるのは成熟期のみのようです。
また、胸ビレ (赤色の矢印)に、 黄土色の帯が見えますが、その中にオレンジ色の筋がヌマチチブにはあるということです。残念ながらこの判別はかなり難しいようです。
ちなみに、ヌマチチブとチチブは過去には同一種とされていたそうですョ。

ヌマチチブがエサを食べています。予想通り、底砂をゴソゴソしていますが、なんと、水中を浮遊するエサにも飛びついたりするんです。意外でした。そして流れがあるところも好きみたいです。

泡が見えますが、これは濾過フィルターから水が落ちているからです。水槽内で最も水の流れがある場所です。黄色の楕円の中にヌマチチブがいますね。鯉の滝登りのようです(^-^) カワムツも寄ってきています。

見た目のイメージと違うものって結構あるものですね。

番外編:水槽の経過報告④

水槽の経過報告、久しぶりです。この期間、大変革がありました。底砂をかなり減らしたんです。アクアリスト的には、あまりやりたくないことです。迷いに迷って、踏み切った形です。やりたくない理由は、水質が激変するからです。作業中に底砂の粒子が舞い上がり、当然水が濁ります。その中には、魚たちによくない物質も含まれて、我々の感覚で言えば、空気中に有害なものをばらまかれるという感じなってしまいます。

なぜ、底砂を減らそうと考えたかというと、コリドラス (ナマズの仲間) のヒゲ問題なんです。コリドラスにはヒゲがあります。筆者はこのヒゲが、コリドラス最大のチャームポイントだと思っています。その大事なヒゲが、どうも、短くなる傾向にあって、原因は底砂の厚さではないかと判断したからです。赤コリや黒コリのヒゲは問題ないのですが、コリドラスステルバイやコリドラスジュリーのヒゲは明らかに短くなりました。

コリドラス飼育者の中には、底砂を敷かないというタイプの方が結構いることは知っていました。もしかしたら、コリドラス的にはそれが良いのかもしれませんが、筆者の水槽には、水草もあるので、底砂(ソイル)はある程度敷いていたいんです。ただ、底砂にも濾過バクテリアは存在しますので、要は、バランスなんだと思います。

底砂撤去作業中、サブ水槽(30㎝水槽)に魚たちを移そうかとも思いましたが、そちらには大きく成長した川魚のカワムツがワイルドにギラギラ泳いでいるのでこれはなしだと思いました。コリドラスはきっと大丈夫だと思いますが、小さなメダカのような熱帯魚たちは、カワムツのエサになってしまうこと間違いなしです。想像すると恐ろしい光景ですが、野生とはそういうことなんですよね。

ということで、魚たちはそのままに、底砂を大幅に取り除く作業に取り掛かりました。

大変なことが起きていることを察知したコリドラスたちは、水槽のすみっこに大集合していました。普段は自由に生活しているコリドラスたちですが、何か異変を感じた時、ギュッと集まる傾向にあるのではないかと筆者は思っています。作業が行われている方にお尻を向けて、みんなで耐えている様子でした。

作業終了後、しばらく水は濁っていましたが、程なく透明になり落ち着いたように見えました。濾過バクテリア(水をきれいにしてくれる大事なバクテリア)の激減、大量の水換えによるpH(水の性質)の激変が心配でした。そして、もちろん環境の変化によるストレスも。水草や流木のレイアウトはあえてそのままにしました。

アルジイーター(ドジョウの仲間)はバタバタしていましたが、全く問題なしでした。相変わらず、赤コリと仲良しです。

作業から2週間ほど経過して、色んな事が起きました。まず、一番ヒゲが短くなっていたコリドラスステルバイと、一番体が小さかったコリドラスパンダが亡くなりました。ステルバイのために行った作業といっても過言ではなかったのですが、残念です。パンダは、体が小さく、環境の変化に耐えられなかったのだと思います。
そして、過去記事でも度々紹介してきましたあの生き残っていたシジミ

大ショックでした(-_-) まさかシジミがやられるとは思っていませんでした。シジミにはやはり底砂の厚さは重要だったのか⁈ 身を守るためにも?

以前より、アルジイーターにほじくり返されているのをよく見かけるようになっていました。底砂が薄くなった分、シジミを見つけやすかったのかもしれません。不思議なことに、貝が閉じている(生きている)時は、突いたり貝の上に貼り付いたりしていたのに、貝が開く(死んでいる)と、少し突いてはいましたが、中身を食べるようなことはなかったです。アルジイーター的には、思っていたのと違ったといったところでしょうか? やれやれです。

ついでに、水草の葉っぱの謎の穴です。

葉脈を残しつつ、きれいな丸い穴が開いています。あと1つ別の葉にもありました。アルジイーターの仕業ではないかと思っています。よく水草の上に乗ってフカフカしていますから。

水槽内では、日々、色んな事が起きています。

番外編:クワガタの幼虫と菌糸ビン

菌糸ビン。聞いたことがあるでしょうか?

菌糸ビン 550㏄

クワガタ飼育業界ではお馴染みです。菌?細菌⁈大丈夫なのか⁈と、初めて目にした時はそう思ったものです。もちろん、大丈夫です。菌糸ビンの菌には、普段からよく食べている「キノコ」の菌が使われています。安心してください。キノコの菌は、木の成分の1つである「リグニン」を分解して、幼虫が食べやすい状態にしてくれます。つまり菌糸ビンは、効率の良い幼虫のエサが入ったビンというわけです。

リグニンは、セルロースなどと結合して存在する高分子化合物です。細胞壁に堆積して木質化を起こし、植物を強固にするそうです。クワガタの幼虫たちは、リグニンがあると消化できないらしく、リグニンを分解してくれるキノコの菌は大事なんですね。確かに、クワガタの幼虫たちは、広葉樹の朽ち木をよくエサにしています。それは、木が朽ちて、キノコの菌が木にまわり、その結果リグニンが分解され、幼虫の消化できるエサ状態になっているからなんですね。

ところで、この菌糸ビン、そもそもオオクワガタ飼育のために開発されたものと言ってよいと思います。クワガタ飼育と言えば、今も昔も日本産オオクワガタが一番人気です。大きく育てるために、色々と試行錯誤した結果、菌糸ビンが登場したようです。オオクワ飼育のための菌糸ビンとなると、菌糸ビン不向きのクワガタも当然出てきます。なんでもかんでも菌糸ビンというわけにはいかないんです。ちなみにクワガタではありませんが、カブトムシの菌糸ビン飼育は不向きです。

では、コクワガタはどうなんでしょう? オオクワガタはドルクス属です。ヒラタクワガタも。そして、筆者が飼育中のコクワガタもドルクス属なんです。体は小さいですがドルクスです。菌糸ビンにも対応できるクワガタということになりますが、過去の飼育経験上、オオクワガタほどの効果が期待できる感じではありません。現在幼虫たちは、クヌギマットの中にいますが、菌糸ビンだけでなく、新しい朽ち木にも引っ越しさせようと思っています。

  

さて、お母さんコクワが、またプチ脱走しました。続けて2回も。これは居心地が悪いのかと思い、中に置いていた朽ち木を取り除いて環境を変えることにしました。朽ち木にまた卵を産んでいたらいけないので、念のため割ることにしました。

樹皮は簡単に剥がれました。あれ?産卵痕が有るような無いような…。今回もいい感じに朽ちています。割ってみます。

なんといました‼ 見えるでしょうか?写真中央です。また産卵していたんですね!前回の産み残しかもしれません。これはもしかしたらまだいるかもと思って、慎重に割って行きました。

結局、2匹、いました。お母さんコクワは、数は少ないですが、再度産卵していたということです。卵は無かったと思います。まあまあのサイズだったので、クヌギマットの幼虫たちよりお先に、菌糸ビンに入れてみることにしました。菌糸ビンの表面にちょっと穴を開けて、そこに幼虫をそっと置きます。

下側の幼虫はどんどん潜って行きましたが、上側の幼虫はなかなか潜りませんでした。朽ち木から取り出した時から、あまり元気がなかったので、この幼虫はダメかもしれませんね。

そして今回、細長い幼虫も朽ち木から出てきました。なんだこれは…です。コメツキムシの幼虫?よく分かりませんが、クワガタの幼虫ではないことは確かです。筆者は、クワガタの幼虫は大丈夫なのですが(手の上に乗せることもできます)、こういう幼虫はだめです。何がどう違うのかと言われそうですが、大違いなんです。見つけた時は、一瞬、思考停止状態になります。まあでも、朽ち木を割っていたら、よくあることではあるんですが、慣れる気がしません。この謎の幼虫には去ってもらいました。

コクワの幼虫たちが、上手く菌糸ビンに馴染んでくれることを願っています。クヌギマットの方の幼虫たちの引っ越しは、また近々報告します。

大原美術館:『ドーヴィルの競馬場』デュフィ

輪郭線が目立つ絵だなと思いました。

大原美術館
ラウル・デュフィ(1877-1953)
『ドーヴィルの競馬場』1931

【鑑賞の小ネタ】
・デュフィは色彩の魔術師
・輪郭線が目立つ
・フォーヴィスムの画家
・競馬場を描いた作品多数あり
・テキスタイルデザインも手掛ける

ドーヴィル競馬場は歴史のある競馬場のようです。現在でも、競馬、障害競技、馬のオークション、ポロ、馬術の国際大会などが行われていて、馬に関するイベントも数多く開催されているそうです。絵の中にオレンジ色の建物が見えますが、形状にしても実際の建物にかなり近いように思います。

出展:JBIS Searchホームページより  ドーヴィル競馬場

絵の中の人々の多くは紳士淑女の装いで、競馬場の様子というよりは、社交界の一場面を見ているような気持ちになります。 デュフィの作品は、音楽や社交界をテーマにしたものが多く、その作品は生きる喜びに溢れています。

「ドーヴィル競馬場」をテーマとした作品をいくつか紹介します。

パリ国立近代美術館・ポンピドゥー・センター蔵
『ドーヴィル競馬場のパドック』1930

パドック(レースに出走する馬の下見所)の様子ですね。奥に、ドーヴィル競馬場のオレンジの建物が見えます。次の作品は、競馬場の中ですね。

ポーラ美術館
『ドーヴィルの競馬場』1935-1940

ドーヴィル競馬場の様々な場面を描いていたことが分かります。『ドーヴィルの競馬場』1935-1940 が一番分かりやすと思うのですが、輪郭線がとても特徴的です。色が輪郭線からはみ出していたり、輪郭線の中は塗られずに輪郭線のみの馬や人が描かれていたりしています。これを「色彩の輪郭からの解放」と言うそうで、目の残像効果を絵画に取り入れたものなんだそうです。なかなか大胆な表現ですが、絵画(2次元)に3次元の動きが出ると言えば出ますよね。そして確かに、対象が動いていれば、その対象の色彩はそこに留まってはいません。何だかちょっと難しい話になってきましたが、「動きを感じる」ということでいいのだと思います。

デュフィの色と輪郭線については、他の見方もあるようです。デュフィは、1912年から1928年に、フランス・リヨンの絹織物製造業ビアンキー二=フェリエ社と契約して、多くのテキスタイル(織物、布地)のデザインをしています。

デュフィ・ビアンキーニ蔵
『ヴァラドン』1914-20年頃 テキスタイル制作
1989年 毛織物

そして、織物を染める行程で枠と色がずれることがありますが、これが「色彩の輪郭からの解放」 のヒントになったのではないかとも言われています。

   

また、デュフィの作品はファッション誌「VOGUE」の表紙にもなっています。

「VOGUE」1935年5月表紙

一見、競馬場がテーマの作品が、ファッション誌の表紙になぜ?と感じると思いますが、テキスタイルのデザイナーでもあったデュフィの作品ということで納得できると思います。「VOGUE」は1892年から刊行されている歴史のある雑誌です。デュフィには、画家に加えて、 「VOGUE」の表紙に採用される程のテキスタイルデザインのスペシャリストという顔があったということなんでしょうね。

様々な顔を持つ芸術家は多いと思います。それを踏まえた上で、目の前の作品を鑑賞すると、また深みが増しておもしろいかもしれませんョ。

大原美術館:分館の外壁

倉敷駅前の大通りをしばらく南下すると、左側に美観地区が広がります。美観地区の入り口っぽい広くなった空間を横目に、もう少し南下すると倉敷国際ホテル、そしてその先に、まるで日本のお城の城壁のような外壁をもった建造物が見えてきます。

これは大原美術館分館の外壁です。東側になります。
大原美術館分館は、1961年竣工で、設計は浦辺鎮太郎 (建築家。倉敷レイヨン営繕関連部門勤務、倉敷建築研究所設立。)によるものです。 浦辺鎮太郎は、 その他にも、倉敷国際ホテル、倉敷アイビースクエア、倉敷市庁舎を設計しています。

外壁の南側にまわってみます。

車一台が通れるくらいの路地に沿って、外壁が続いています。コンクリートに玉石が埋め込まれていますね。まるで石垣です。そして白壁。日本のお城の城壁に作られる櫓(やぐら)のようです。

出展:Wikipedia 多門櫓(彦根城佐和口多門櫓)

櫓にも色々種類があるようで、その中の多門櫓(たもんやぐら)に似ていると筆者は思っています。
城壁(櫓)で美観地区を守るという意味合いがあったという話を聞いたことがあるのですが、ネタ元がはっきりしません。多分、NHKの「ブラタモリ」だったような気がします。違っていたらすみません。

奥の波打った屋根が目を引きます。

城壁の先にモダンな建築、見事に融合していると思います。

ここが分館の東の端になります。

今回は分館の外壁に注目しました。分館は、分館内の展示物だけでなく、外壁まで楽しめる建築物だと思います。 路地を歩く際に、ぜひ、見て頂きたいものです。