大原美術館:『エトルタ—海の断崖』マティス

今にも嵐が来そうな空ですね。

大原美術館
アンリ・マティス (1869-1954)
『エトルタ—海の断崖』1920

【鑑賞の小ネタ】
・フランスの有名なエトルタの断崖
・空の雨雲に注目
・中央の5つの黒いものは何か?
・地面のオレンジの部分は何か?

画中の後景に見える断崖が、有名なエトルタの断崖です。断崖の先にある自然のアーチが特徴的で、ギュスターヴ・クールベやクロード・モネ等、多くの芸術家たちによって描かれています。

出典:France-Voyage.com エトルタ

エトルタの断崖には有名なアーチがいくつかあるようです。町から見えるのは2つで、アヴァル(Porte d’Aval)とアモン(Porte d’Amont)なんだそうです。その他、マンヌポルト(Manneporte)という大きなアーチがあるようですが、このアーチは町からは見えない位置にあるとのことです。

制作年が同じで、『エトルタ断崖』という作品がありました。

上原美術館
『エトルタ断崖』1920

断崖と象の鼻のようなアーチがしっかり描かれていますね。

ところで、画中の5つの黒い物体、何に見えますか? 少し大きめのボートの上に屋根があるように見えるのですが、どうでしょう? クロード・モネも描き込んでいます。

クロード・モネ
『エトルタの海岸の釣り船』1884
シカゴ美術館
クロード・モネ
『エトルタのビーチでのボート』1885

色々調べてみましたが、今一つはっきりしませんでした。ただ、現在のエトルタの屋外の飲食スペースに、黒い物体と形状がよく似た小屋があるのを発見しました。そしてその小屋には、ボートを再利用したものだと説明書きがありました! これはもしかしたら、黒い物体の進化系かもしれませんね。

  

ところで、大原美術館の『エトルタ—海の断崖』の天気はどうでしょう?絵画を隅々まで見て行くと、季節や天気、時間帯までも想像できることがよくあります。この作品だと、天気を予想するのがおもしろいかもしれません。
例えば、海岸は明るいので晴れていると考えられます。ところが、空の雲の様子が今にも雨が降り出しそうな感じになっています。そして、雲には流れがあるように見えます。総合的に考えて、この絵の中の今の状況は、嵐の前の静けさといったところでしょうか?
そういう目線で改めて岸辺のボートを見てみると、嵐を避けて岸にあがっているように見えますね。海の中にまだ1艘(そう)ボートが浮かんでいますが、これはきっと急いで帰って来ているのではないでしょうか? また、ボートの近くに棒のようなものが何本か描かれているのが分かるでしょうか? これを人影だとすると、海の中のボートが無事帰ってくるのを待つ家族と考えることもできるのです。
嵐の前のちょっとしたストーリーの出来上がりです。
もちろん、全てが逆と考えることもできます。つまり、嵐が去った後ということです。嵐がやっと去り、晴れ間も見え始め、さあ漁に出るぞというストーリーです。

話変わって、地面のオレンジの部分は何だと思いますか? 筆者には建物の影に見えます。手前のオレンジの部分はかなり大き目ですよね。大きな建物がこの場所に建っているということでしょうか? そして、こんな風に影が見えるということは、マティスはこの影を作っている建物の中で絵を描いているということになると思うのですが、どうでしょう? 想像が膨らみますね(^-^)

自分なりのストーリーを作りながらの絵画鑑賞はおもしろいですョ。

番外編:水槽の経過報告⑤

すっかり寒くなりました。冬は、実は熱帯魚たちにとっては良い季節なんです。熱帯魚なのになぜ?と思いがちですが。 一般の熱帯魚たちの飼育に適した水温は、25℃~28℃あたりです。夏の室温が30℃を超えてくると、同時に水温も上がってきてしまいます。小型水槽だともろに室温の影響を受けます。水温を下げるために、専用のファンを回したり、クーラーで室温を保ったり、ビニール袋に入れた氷を浮かばせてみたりと、 色んな方法で対処しますが、これがなかなか大変なんです。
水槽が大型になるほど室温の変化に影響されにくくなるので、熱帯魚飼育の初心者には60㎝水槽がお勧めです。水温の管理がしやすいという利点から、ショップでも60㎝水槽を勧められることが多いと思います。

   

コリドラスたちが仲良く集まっていました。

コリドラスたち(パンダ、ステルバイ、ジュリー)

平たい石(水草のリシアを巻き付けるための石)の上に、向かって左から、パンダ、ステルバイ、ジュリーが何やら集まって来ています。ジュリーの動きに注目してみてください。ステルバイの横顔を突いているのに、全くステルバイが反応しないので、目の前に移動して存在をアピール。その後もめげずにステルバイの周りをチョコチョコ動き回るジュリーがとても可愛かったです。

スーパーで島根県産の大和シジミを買ったので、また入れて見ることにしました。今度は2つだけです。砂抜き状態にして10分、硬く閉じたままのシジミと、中身の「足」(過去記事、番外編:自宅水槽のシジミ番外編:生き残っていたスーパーのシジミ)が出てきているシジミをそれぞれ1つずつ投入です。

スーパーの大和シジミ

向かって左が硬く閉じたシジミで、中身の「足」が出ていたシジミが右です。
なんだなんだとすぐにやって来たのはジュリーでした。

シジミとジュリー

砂抜きの際に、硬く閉じていたシジミの方は、どんどん潜って行きました!これは過去の経験上、生き残る可能性大です。

右側の「足」が出ていたシジミは、何時間経っても潜りませんでした。そのため、コリドラス大集合の中心にいるはめとなりました。

シジミとコリドラス大集合

向かって左からパンダ、ジュリー、ステルバイ、手前に赤コリです。ちなみにパンダが突いているのはコリドラス用の丸いエサです。
そして、砂抜きの段階で「足」が出ていたシジミは、3日後このようなことに。👇

こうなったらこのシジミはもうだめです。
今回の結果から、熱帯魚水槽に入れても生き残るタイプのスーパーのシジミの特徴をちょっと考えてみました。まず、砂抜きの段階で硬く閉じているシジミです。これはちょっと意外でした。すぐに中身の「足」が出てくるタイプの方が適応するような気がしていたからです。次に、水槽投入後、しばらくしてどんどん潜って行くタイプのシジミです。これは前回もそうでしたよね。結局生き残ったのはこのタイプのシジミでした。シジミ投入から現在10日経過しましたが、まだ元気にしています。
何度か繰り返し実験しないと、結論とは言えないので、気長に時々、砂抜きの段階で硬く閉じているタイプ「足」が出て来ているタイプの2パターンのシジミを水槽へ投入してみようと思っています。筆者の密かな自由研究です。

    

水質検査をしてみました。

水質検査

どの数値も問題なしでした。
※過去記事(番外編:再び水槽の水質検査

こっちをじっと見ていました(^-^)

大原美術館:『マティス嬢の肖像』マティス

何歳くらいの女性でしょうか。色々意見が分かれそうですね。

大原美術館
アンリ・マティス(1869-1954)
『マティス嬢の肖像』1918

【鑑賞の小ネタ】
・マティスはフォーヴィスムの巨匠
・20世紀最大の画家の1人とされる
・この女性はマティスの娘マルグリット
・手元に長らく置いてあった作品
・色と色の境目に注目

大原美術館には他にもいくつかマティスの作品が所蔵されていますが、この作品が一番有名かもしれません。マティスはフォーヴィスムの巨匠で、20世紀最大の画家の1人とされています。

フォーヴとは野獣のことです。原色を多用した強烈な色彩と激しい筆使いに対して、批評家のルイ・ヴォ―クセルが「野獣(フォーヴの檻の中にいるようようだ」と発したことが由来とされています。

「マティス嬢」とは、マティスの娘のマルグリット(1894-1982)のことです。

左からマティス、妻メアリ、娘マルグリット

マルグリットは、妻メアリとの間の子ではありませんが、メアリによって育てられました。上の写真の一番右の女性がマルグリットです。首に黒いリボンをしているのが分かるでしょうか? 6歳の頃、病気のため気管切開をしたようで、その傷跡を隠すためによく首に巻いていたそうです。

メトロポリタン美術館
『帽子をかぶったマルグリット』1918

『帽子をかぶったマルグリット』の首には、黒いリボンが巻かれています。大原美術館の『マティス嬢の肖像』の首は見えませんが、ダークブラウンのファーのようなもので覆われていますね。制作年は両方とも1918年で、マルグリットが24歳の頃。服の色や形もよく似ていると思います。『マティス嬢の肖像』を初めて見た時、首元が描かれていないので、顔が浮かび上がって見えて、少し不自然に思ったことを覚えています。もしかしたら、上記のような理由から、あえてのそように描かれたのかもしれませんね。

マティスの作品に何度も登場するマルグリットですが、どんな女性だったのでしょうか? マルグリットは第二次世界大戦中、レジスタンス活動に参加していたようです。ゲシュタポ(ナチス・ドイツの秘密国家警察)に逮捕され、強制収容所へ送還される途中、列車から逃亡することに成功したそうです。救出されるまで森の中に隠れて生き延びたという話もありました。第二次世界大戦は1939年から1945年で、マルグリットは1894年生まれなので、40代後半ということになります。ちなみに育ての母親であるマティスの妻メアリもレジスタンス活動に参加していたそうです。

マルグリットの目を見てみてください。すっと描かれていますが、どれも目力があると思いませんか? その人に歴史ありですね。

     

ところでマティスの画風、ちょっと切り絵っぽくないですか?色と色の境目がはっきりしているからかもしれませんが。(実際マティスは晩年、切り絵にたどり着きます。)そして、色と色の境目がはっきりする理由の1つに、重ね塗りがあるかもしれません。

エルミタージュ美術館
『赤の食卓』1908

『赤の食卓』は、最初は全体にが塗られていたそうです。その後、に塗り替えられ、最終的にが塗り重ねられたそうです。緑→青→赤、色の変化を想像してみてください。絵全体のイメージが随分変わりますよね。大原美術館の『マティス嬢の肖像』も、そもそもバックの色は、どうやら青色だったようですョ。マティス嬢の輪郭をじっくり見ていくと、写真では解りにくいのですが、確かに青色がチラチラ見えるんです。バックの黒色も、何となく、青っぽい黒に見えなくもないですよね。何度も塗り直しているだけ?と一瞬思ったりするのですが、そうではなく、それら全ての工程がマティスの意図するところであり、マティスの芸術だったのだろうと思います。

大原美術館の『マティス嬢の肖像』は、マティスが長く手元に置いていた大事な作品です。思い入れのある作品だったんですね。またじっくり鑑賞してみたいと思います。

阿智神社の石階段で見かけたもの

美観地区から阿智神社の石階段(東参道)を上って行き、手水舎にたどり着く手前辺りで見かけました。

矢穴

石階段に沿う溝の土留めの役目をしている石材に穴があいていました。お城の石垣でも時々見かけますよね。これは「矢穴(やあな)」です。石を割る時に大活躍する穴です。

石を割る時、職人は「石目(いしめ)を見る」そうです。石目とは、岩石の割れやすい方向のことです。その石目にクサビを打って石を割るんだそうです。

「ノミ」と「石頭(せっとう:頭部の片側が平面で、もう片側が凸面になっているハンマー)」を使用して長方形の穴を岩に彫ります。これが「矢穴」になります。そこに鉄製のクサビ形の「」を打ち込んで岩を割るんです。

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出典:山梨県HP 遺跡トピックスNo.189

写真の「矢穴」はなぜ残ったのでしょうか? 「石目」があまりよくなかった等の理由で、時々このような形で残ることがあるようです。でも、土留めとしてちゃんと利用しているあたりがいいですよね。

この4つの「矢穴」の近くに、こんなものを見つけました。

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木の根が石を突き破っているように見えます。そしてこちら。

溝に根が伸びています。すごい生命力ですね!溝には、少し上にある手水舎からの水が流れ込んで来ています。

阿智神社の手水舎

手水舎には季節の植物が入れられています。いつもとても綺麗です。

   

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2020年11月中旬  モミジ

矢穴」近くのモミジです。まだ若い木でしたが、見事な紅葉でした。

阿智神社の狛犬(こまいぬ)

美観地区に最も近い山、鶴形山(標高40メートル)に鎮座する阿智神社狛犬です。

阿智神社へ向かって右側
阿智神社へ向かって左側
狛犬の台座の裏側

文化十四年 丁丑八月 と彫られています。 文化14年は1817年なので江戸時代ですね。丁丑(ひのとうし)もこの場合、1817年のことで問題ないと思います。もう200年以上経っているんですね。

今回注目して頂きたいのは、これです。👇

狛犬の角

阿智神社へ向かって左側の狛犬にだけ、があるんです。一般的に狛犬の口が、阿吽(あうん、口を開けた阿と口を閉じた吽)になっていることが多いということは知っていたのですが、角についてはノーマークでした。何度も阿智神社にお参りしているのに、今まで気づきませんでした。

狛犬について調べてみました。一般的に「狛犬」は、右側が阿形(あぎょう)の獅子像で、左側が吽形(うんぎょう)の狛犬像なんだそうです。中国から持ち込まれた一対の獅子像が、日本独特の「獅子・狛犬」という形式に変わっていったようです(参考資料:狛犬ネット)。 なんと、右側の狛犬は獅子だったんですね! そして、 阿吽の形になっているのは日本特有の形式のようで、中国の獅子像はほとんど口が開いているそうです。

狛犬像は、古くは角を持っていて、鎌倉時代後期以降になると様式が簡略化されたものが出現し始め、昭和時代以降には、角が無いものが多くなっていったということです。

「狛犬」については諸説あって、現在様々な形式が混在している状態のようです。角があったりなかったり。角がなく、形としてはどちらも獅子のように見える像であっても、まとめて「狛犬」と呼ぶのが定着しています。
ちなみに狛犬とは、獅子や犬に似た日本の獣で、想像上の生物とされています。そして 角がある像は、まず狛犬と考えて問題ないと思います。

    

出典:ウォーカープラス HP  奈良・春日大社の獅子と狛犬

奈良の春日大社第一殿の獅子(右)と狛犬(左)です。鎌倉時代に制作されたものと判明しています。狛犬には角がありますね!

ところで、狛犬のモデルは何だったのでしょうか?  調べてみると、兕(ジ)という、めでたいとされる想像上の 動物が見つかりました。

兕(ジ)

兕(ジ)は、中国の奇書『山海経』に記載される水牛に似た一角獣です。狛犬に直接つながる霊獣ではないかと言われています。
その他、中国のカイチ

出典:Wikipedia  中国のカイチ

カイチは長い角を持つ一角獣で、正義や公正を象徴する霊獣です。なかなか勇ましい姿ですね。
そして、朝鮮半島のヘテ

出典:Wikipedia  朝鮮半島のヘテ

中国のカイチが朝鮮半島に伝わり、ヘテと呼ばれ、独自の進化を遂げたようです。でも角がありませんね。文献上では一角獣と認識されているようです。なぜ角が無くなったかは不明ということです。 雰囲気は、ヘテが一番狛犬に似ていると思いませんか?

何れにしても、狛犬のモデルは、中国由来の想像上の動物(中国の一角獣)だったようです。「犬」ではないということですね。

改めて阿智神社の狛犬を見てみてください。口角が上ったよう(吽形なんですが) に見えませんか? しかも頭にちょこっと角があって、なんだかとてもチャーミングです。また一つ観光スポットが増えたような気がしました。(^-^)