大原美術館:『広告“ヴェルダン”』佐伯祐三

たくさん文字が描かれていますね。

大原美術館
佐伯祐三(1898-1928)
『広告“ヴェルダン”』1927

【鑑賞の小ネタ】
・亡くなる前年の作品
・たくさんの文字に注目
・セザンヌ、ヴラマンク、ユトリロ等、
 多くの画家の影響あり
・二度渡仏し、その後日本に戻らず

佐伯祐三の作品は、ユトリロ過去記事、大原美術館:『パリ郊外-サン・ドニ』ユトリロ)の画風に似ているなとずっと思っていましたが、セザンヌや特にヴラマンク過去記事、大原美術館:『サン=ドニ風景』ヴラマンク)の影響を強く受けていたようです。

1回目の渡仏は1924年1月から1926年1月までで、約2年間滞在し、パリ郊外のクラマールに居を構えていたようです。 2回目の渡仏は1927年8月で、この時はモンパルナスに居を構えています。そしてその1年後、 1928年8月に30歳の若さで亡くなっています。

モンパルナスは、1920年代の狂乱の時代(社会、芸術、文化の力強さを強調するもので、アメリカ合衆国から始まり、第一次世界大戦後、ヨーロッパへ広がった。)、エコール・ド・パリ(パリに集まってきた芸術関係者たちのふわっとしたネットワークの総称。非フランス人の外国人芸術家たちに対して使われるのが一般的。)の時代の芸術家たちの中心地としても有名です。世界の芸術家たちが集まる場所としては、モンマルトルも有名ですが、モンマルトルが観光地や高級住宅街となってしまったことから、家賃の低いモンパルナスへ徐々に移動していったそうです。ピカソ、シャガール、モディリアーニ、ジャコメッティ、藤田嗣治、岡本太郎など、多くの芸術家たちがモンパルナスに住んでいます。

パリ 略地図

ところで画風ですが、筆者はずっとユトリロに似ていると思っていました。『広告“ヴェルダン”』 の制作年は1927年で、その数年前の作品がこちら。

ポーラ美術館
佐伯祐三
『パリ風景』1925
佐伯祐三
『リュ・ブランシオン』1925

そしてユトリロの作品がこちら。

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大原美術館
モーリス・ユトリロ(1883-1955)
『パリ郊外-サン・ドニ』1910

ユトリロの方が筆使いが細かいように思います。佐伯祐三が最も影響を受けたのは フォーヴィスム(20世紀初頭のフランスで発生した前衛運動の1つ。原色を多用した強烈な色彩と荒々しい筆使いが特徴。) の画家、ヴラマンクなので、少し荒々しい筆致はそのためかもしれませんね。ちなみに、佐伯祐三が自分の作品をヴラマンクに見せたところ、「このアカデミック!」と説教されたことは有名な話です。

  

『広告“ヴェルダン”』、何の広告でしょうか? 絵の中に描かれている文字に注目してみると、「VERDUN」の他に「 HôTEL」や「RESTAURANT」の文字が見えます。

《広告“ヴェルダン”》は、この時期の代表作。ヴェルダンとは、第一次世界大戦でドイツ軍の猛攻をフランス軍がくい止めた要塞都市の名で、同名の映画ポスターの文字が画面右手に大きく描かれている。

大原美術館HP

第一次世界大戦終結10周年記念として作られた映画、「ヴェルダン 歴史の幻想」の広告だったんですね。フランス映画で、1928年製作、原題は「 Verdun, Visions d’Histoire 」です。

   

『広告“ヴェルダン”』 をよく見ると、イスやテーブルが描かれているのが分かります。文字と同じく、踊るような線で表現されています。他の画家たちの影響が強いとされる佐伯祐三ですが、この踊るような線と文字は、佐伯祐三独自の作風と言えるものではないでしょうか? 

大阪中之島美術館
佐伯祐三
『レストラン(オテル・デュ・マルシェ)』1927
ブリヂストン美術館
佐伯祐三
『テラスの広告』1927

30歳と夭折のため、制作期間が短いのが残念です。
画風がどんどん変化する画家もいれば、ほとんど変化しない画家もいます。独自の絵画を描き始めた佐伯祐三は、この後、どんな絵を描いていたんでしょうね…。 筆者は佐伯祐三の作品も好きなので、その後の作品も見てみたかったです。

リビングの展示替え~クリスマス~

自宅リビングの壁には、普段から絵画ポスターが飾られています。好みの絵画ポスターを額に入れて楽しんでいて、季節ごとに額の中を取り替えます。ずっとそのままの絵画ポスター(ロートレックのリトグラフなど)もありますが、半分くらいは取り替えます。美術館の展示替え気分です。これがなかなか楽しい。本物ではなくプリントされている絵画ではありますが、ちゃんと額に入れて展示すると、なかなか良い感じではないかと自己満足しています。

ということで、クリスマスへ向けて展示替えです。まずはこちら。

壁の額1 『サイレントナイト』
      ヴィゴ・ヨハンセン
ヴィゴ・ヨハンセン(1851-1935)
『サイレントナイト』1891

クリスマスをテーマとした絵画をいくつか残したヴィゴ・ヨハンセンの最も有名な作品ではないでしょうか?  ヨハンセンはデンマークの画家で、王立美術院の教授となり、最終的には校長を務めた人物です。
数年前、師走の慌ただしさにツリーを飾ることが出来なかった時、この絵だけは展示したことを覚えています。
ヨハンセンはその他、次のような作品も描いています。

『Glade Jul(ハッピークリスマス)』1891
『A Christmas Story』1935

クリスマス絵画を探していて気が付いたのですが、名画と呼ばれるようになる時代に制作された、クリスマスをテーマとした作品が案外少ないんです。筆者が探しきれてないだけかもしれませんが…。その点、『サイレントナイト』は19世紀後期の作品なので、珍しい方ではないかとちょっと思っています。

次の展示はこちら。 

壁の額2  『Merry Christmas to All』
      ジョー・モールトン
壁の額3  『ヴィンテージクリスマスツリーポスター』            Cole Borders

壁の額2も3も、クリスマスのキラキラ感はあまりありませんが、アンティーク風で気に入っています。

絵画の他に飾っているものはこちら。

ANGEL CHIMES -SINCE 1948-
Original Swedish Design

お持ちの方も多いのではないでしょうか?定番ですよね。子どもの頃初めて見た時の感動が今も残っています。これは大人になって購入したものですが、デザインはそのままなのでホッとします。思い出の一品です。

次のようなものもあります。

ANGEL CHIMES の進化系といったところでしょうか? ロウソクが丸型なので手に入りやすいです。

そして今年新たに加わったのがこちら。

小さなランタンです。LEDの光(炎)がゆらゆら揺れます。もちろん本物の炎にはかないませんが、これはこれで楽しめますョ(^-^)

    

大原美術館:『ミランズ・パーク』シュヴィッタース

色んなものが貼り付けられていますね。

大原美術館
クルト・シュヴィッタ―ス(1887-1948)
『ミランズ・パーク』1947

【鑑賞の小ネタ】
・ドイツの芸術家
・廃品を利用したコラージュ作品多数
メルツ絵画で有名
・亡くなる前年の作品
・ミランズ パークとは?

シュヴィッタ―スはドイツの芸術家です。第一次世界大戦(1914年~1918年)、第二次世界大戦(1939年~1945年)の影響をもろに受けた世代と言えます。シュヴィッタ―スの作品は「退廃芸術」ということで、押収されたものも多いようです。次第に創作活動が難しくなる中、ドイツからノルウェー、そして1940年にイギリスへ亡命しています。イギリスにおいては敵国民だったシュヴィッタ―スは、収容所を転々とし、釈放されたのは1941年の11月だったそうです。大戦中はロンドンにとどまったようですが、1945年に湖水地方(イングランド北西部のカンブリア)へ向かいました。

ところで『ミランズ・パーク』をじっくり見ると、中央付近に細かい文字があるのが分かります。180度回転させてアップにしてみます。

『ミランズ・パーク』の一部

1行目に Kurt Sch が見えますね。これは Kurt Schwitters (クルト・シュヴィッタ―ス)のことでいいと思います。2行目には、Millans Par が見えます。そして3行目に、mbleside /  We が見えます。 イギリスの地図を見てみると、イギリスのAmblesideにMillans Parkという所がありました。そして、 / の後にチラッと見える We、これはWestmorland(ウェストモーランド)ではないかと思います。 イングランド北西部にかつて存在した郡です。1889年から1974年まで郡議会が機能していたようです。1974年に周辺地域と合併してカンブリアが誕生しています。
以上のことから、この文字列はきっと、シュヴィッタ―スの住所ではないかと思います。作品名の『ミランズ・パーク』は、地名のMillans Park(ミランズ・パーク)から採ったものと考えられます。

作品の中にある文字を採って作品名にしている作品は、他にも多く存在していて、次の作品もその中の1つです。

『Mai 191』1919

次の作品は、『ミランズ・パーク』と制作年が同じで、しかも作品の中の文字を採って作品名にしています。

『CIGAR(葉巻)』1947

CIGARの文字が見つかったでしょうか?

シュヴィッタ―スのこれら廃品を利用した作品は、「メルツ絵画」と呼ばれています。メルツは「MERZ」なんですが、作品制作中に紙の破片に書かれていたMERZ(「COMMERZ  Und Privatbank」という銀行名の「 MERZ 」の部分)が目に留まり、そこから採って「メルツ」になったそうです。 廃材を利用した立体的な作品にも取り組んでいて、それは「メルツバウ(メルツ建築)」と呼ばれています。

シュヴィッタ―スは、なぜ、廃物を利用した作品を作り続けたのでしょうか? 現在では、廃物を利用した作品は多く見られるようになりましたが、当時としてはとても珍しかったのではないか思います。
シュヴィッタ―スは後に、次のように語っています。

戦争で物事はひどい混乱に陥った。アカデミーで習ったことは役に立たなくなったように思え、役に立つ新たな考えはまだ準備されていなかった…すべては崩壊し、その破片の中から新しいものが生まれてこなければならなかった。この破片が「メルツ」だ。破片をもとあった姿でなく、そうであるべきだった姿へと変えることは、私の中の革命のようであった。

Wikipedia: The Collages of Kurt Schwitters, Dietrich, Cambridge University Press 1993, p6-7

ただ拾って来て貼っているわけではないということです。破片には深い意味があったんですね。そう思いながら改めて作品を見てみると、 なかなか見応えがあります。 どの破片をどのように貼るか等、考え抜かれて出来上がった作品たちなので。すぐには理解できない作品ほど、鑑賞はおもしろいのかもしれませんね。

大原美術館:『座る裸婦』ブラック

全体的に茶系で、裸婦像としては珍しいなと思いました。

大原美術館
ジョルジュ・ブラック(1882-1963)
『座る裸婦』1925

【鑑賞の小ネタ】
・キュビスムの画家
・セザンヌの影響あり
・ピカソと共同制作していた時期あり
・初期の頃はフォーヴィスム的
・ガッチリ体型の裸婦

ピカソと共にキュビスム(様々な視点から見た面を1つの画面に同時に描き出す)の中心的画家として有名なブラックですが、初期の頃はフォーヴィスム(強烈な色彩、大胆な筆使い、平面的な画面)の仲間に加わっていました。次の作品はフォーヴィスムの特徴がよく出ています。

シカゴ美術館
『レスタックの風景』1906

ブラックのキュヴィスムは、セザンヌの影響が大きいようです。また、1909年からピカソと共同制作を始めています。

サンフランシスコ近代美術館
『ヴァイオリンと燭台』1910

キュヴィスムっぽい作品ですね。第一次世界大戦(1914年~1918年)以降は、ブラックとピカソ、それぞれの道を歩んだようです。大原美術館の『座る裸婦』の制昨年は1925年なので、第一次世界大戦以降ということで、キュビスムがかなり緩和されているように思います。

ところで、『座る裸婦』なんですが、かなりガッチリ体型だと思いませんか? 似ている作品をいくつか見つけました。

国立美術館(USA)
『Nude Woman with Fruit』1925
フィラデルフィア美術館
『Seated Bather』1925
シカゴ美術館
『座る裸婦』1926

モデルは同じ女性のように見えます。シカゴ美術館の『座る裸婦』を見てみると、その腹筋はアスリートばりに割れています。よく裸婦として描かれる感じのモデルとは何か違うのかもしれないと思い調べていたら、作品名の「Bather」が気になりました。Batherの日本語訳は、水浴者、泳ぐ人、海水浴客、入浴者などでした。「泳ぐ人」という意味もあったので、スイマーと言いたいところですが、ちょっとそれは意訳し過ぎですよね。

また、裸婦の周りの白い雲のようなものは何かなとずっと思っていました。Batherということで、タオルのような白い布ではないかと今は思っています。ただ、雲や霧として見るのも案外いいかもしれません。タオルより幻想的な雰囲気になってきて、そうなると、裸婦が神様や仏様のようにも見えてきますよね。

似たような絵を探し、そこから何かのヒントを得て、改めて鑑賞するのはおもしろいですョ(^-^)

大原美術館:『エトルタ—海の断崖』マティス

今にも嵐が来そうな空ですね。

大原美術館
アンリ・マティス (1869-1954)
『エトルタ—海の断崖』1920

【鑑賞の小ネタ】
・フランスの有名なエトルタの断崖
・空の雨雲に注目
・中央の5つの黒いものは何か?
・地面のオレンジの部分は何か?

画中の後景に見える断崖が、有名なエトルタの断崖です。断崖の先にある自然のアーチが特徴的で、ギュスターヴ・クールベやクロード・モネ等、多くの芸術家たちによって描かれています。

出典:France-Voyage.com エトルタ

エトルタの断崖には有名なアーチがいくつかあるようです。町から見えるのは2つで、アヴァル(Porte d’Aval)とアモン(Porte d’Amont)なんだそうです。その他、マンヌポルト(Manneporte)という大きなアーチがあるようですが、このアーチは町からは見えない位置にあるとのことです。

制作年が同じで、『エトルタ断崖』という作品がありました。

上原美術館
『エトルタ断崖』1920

断崖と象の鼻のようなアーチがしっかり描かれていますね。

ところで、画中の5つの黒い物体、何に見えますか? 少し大きめのボートの上に屋根があるように見えるのですが、どうでしょう? クロード・モネも描き込んでいます。

クロード・モネ
『エトルタの海岸の釣り船』1884
シカゴ美術館
クロード・モネ
『エトルタのビーチでのボート』1885

色々調べてみましたが、今一つはっきりしませんでした。ただ、現在のエトルタの屋外の飲食スペースに、黒い物体と形状がよく似た小屋があるのを発見しました。そしてその小屋には、ボートを再利用したものだと説明書きがありました! これはもしかしたら、黒い物体の進化系かもしれませんね。

  

ところで、大原美術館の『エトルタ—海の断崖』の天気はどうでしょう?絵画を隅々まで見て行くと、季節や天気、時間帯までも想像できることがよくあります。この作品だと、天気を予想するのがおもしろいかもしれません。
例えば、海岸は明るいので晴れていると考えられます。ところが、空の雲の様子が今にも雨が降り出しそうな感じになっています。そして、雲には流れがあるように見えます。総合的に考えて、この絵の中の今の状況は、嵐の前の静けさといったところでしょうか?
そういう目線で改めて岸辺のボートを見てみると、嵐を避けて岸にあがっているように見えますね。海の中にまだ1艘(そう)ボートが浮かんでいますが、これはきっと急いで帰って来ているのではないでしょうか? また、ボートの近くに棒のようなものが何本か描かれているのが分かるでしょうか? これを人影だとすると、海の中のボートが無事帰ってくるのを待つ家族と考えることもできるのです。
嵐の前のちょっとしたストーリーの出来上がりです。
もちろん、全てが逆と考えることもできます。つまり、嵐が去った後ということです。嵐がやっと去り、晴れ間も見え始め、さあ漁に出るぞというストーリーです。

話変わって、地面のオレンジの部分は何だと思いますか? 筆者には建物の影に見えます。手前のオレンジの部分はかなり大き目ですよね。大きな建物がこの場所に建っているということでしょうか? そして、こんな風に影が見えるということは、マティスはこの影を作っている建物の中で絵を描いているということになると思うのですが、どうでしょう? 想像が膨らみますね(^-^)

自分なりのストーリーを作りながらの絵画鑑賞はおもしろいですョ。