大原美術館:『年をとったバッカント』ブールデル

覗き込まないと顔が見えません。

大原美術館
エミール=アントワーヌ・ブールデル(1861-1929)
『年をとったバッカント』1903

【鑑賞の小ネタ】
・「バッカント」とは?
・若いバッカント彫刻あり
・ゴツゴツとした作風

ギリシア神話に登場する酒神ディオニソスとう神様がいます。ローマ神話では「バッカス」と呼ばれ、同一とされています。この酒神バッカスの女性の信者が「バッカント」です。

ブールデルの師匠ロダンも、バッカントをテーマに彫刻を制作しています。二人のバッカントの抱擁が表現されているそうです。

静岡県立美術館
オーギュスト・ロダン(1840-1917)
『バッカス祭』

大原美術館の『年をとったバッカント』の顔を下から覗き込んで見たことがあるのですが、穏やかな表情ではなかったと思います。口が開いていて、しかも歪んでいたような気がします。身体の方もかなり年を重ねた感じに仕上げられていますよね。女性(女神)をテーマとした彫刻といえば、一般的に、見た目が美しい作品が多いように思うのですが、この彫刻はちょっと違いますね。

色々と調べていたら、シンプルに『バッカント』という作品を見つけました。

国立西洋美術館
エミール=アントワーヌ・ブールデル(1861-1929)
『バッカント』1907

このバッカントはスリムですね。「年をとっていないバッカント」といったところでしょうか? ただ、この『バッカント』も 大原美術館の『年をとったバッカント』と同じく、下を向いて何かを担いでいます。何か関係があるのではないかと思ってしまいます。

『年をとったバッカント』は、見た目の美しさよりも、内面を表現しようとした意欲作だったのかもしてませんね。この作品でブールデルは何を表現したかったのでしょうか。見た目があの感じなので、かえって気になります。人は分かりやすい美しさにどうしても目が行きがちですが、そうでもない方に気持ちが動くことって時々ありますよね。そしてその内面を色々と深読みすることによって、結果、印象深い作品になったりするものだと筆者は思っています。

ところで、ブールデルは、ルネサンス以前の中世のロマネスク彫刻を連想させる表現を確立したとされているようです。
ルネサンスの彫刻家と言えば、ミケランジェロを思い浮かべる方も多いと思います。

サン・ピエトロ大聖堂
ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)
『サン・ピエトロのピエタ』1498-1500

ミケランジェロの『サン・ピエトロのピエタ』ですが、ピエタとは、聖母子像のうち、十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリアの彫刻や絵画のことを指します。 ルネサンスとは「再生・復活」を意味し、ギリシアやローマ文化を復活させようという動きでしたよね。古典を真似するだけでなく、より写実的で、人間らしい彫刻が数多く生まれました。

また、ロマネスクとは「古代ローマ風の」という意味で、 ロマネスク美術は、11世紀後半から12世紀後半にかけてヨーロッパ全域において展開しました。なかでもロマネスク彫刻は、ちょっと不格好でコミカルな作品が多いということなのですが、『年をとったバッカント』はなんとなくそんな感じがしないでもないです。ロマネスク様式が展開した時代とは違いますが、ブールデルの彫刻は確かにロマネスク彫刻っぽいですね。そしてルネサンスの巨匠ミケランジェロの彫刻とは印象が随分異なると思います。

  

ブールデルの彫刻は、師匠ロダンの彫刻とも雰囲気が違うように見えますが、内面の追求等、根の部分ではやはり似ているのではないかと思います。ロダンの真の継承者はブールデルだとする見解もありました。

ブールデルがロダンの工房を去る頃、ロダンはブールデルに「もう君に教えることはなにもない」と語った言われています。年の差が20歳ほどある芸術家二人のグッとくるエピソードだと思います。

大原美術館:『ベートーヴェン像』ブールデル

しぶい顔をしたベートーヴェンだと思いました。

大原美術館
エミール=アントワーヌ・ブールデル(1861-1929)
『ベートーヴェン像』制昨年不明
大理石

【鑑賞の小ネタ】
・フランスの彫刻家
・ブールデルはロダンの弟子
・ベートーヴェンの彫刻を複数制作
・左右の横顔に注目

ブールデルはオーギュスト・ロダン(1840-1917)の助手をほぼ15年間つとめました。そして、ロダンから教えを受けるだけでなく、ロダンの作品にも影響を与えたといわれています。(大原美術館HPより) ロダンの工房に入ったのは1893年、32歳の時からで、ロダンはブールデルを高く評価していたそうです。

ブールデルは自分の顔がベートーヴェンに似ていると思っていたようですョ。ベートーヴェンをテーマに、習作を含め45点もの彫刻を残しています。

出典:Wikipedia
   アントワーヌ・ブールデル  1925
ジョセフ・カール・スティーラー(1781-1858)
『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン』1820

どうでしょう? ブールデルの写真とベートーヴェンの肖像画を見比べてみてくだい。鋭い眼光が確かに似ているような気がします。

別のベートーヴェンの彫刻がこちら。

マルロー美術館
『ベートーヴェン』1902
ブロンズ
ストラスブール近現代美術館
『ベートーヴェンの胸像』1903

ブールデルは1888年(27歳)から1929年(68歳)に亡くなるまで、ベートーヴェンの彫刻に取り組み続けました。 耳が聴こえなくなっても作曲を続けたベートーヴェンの内面に共感し、そして追求したのでしょうね。

ところで、大原美術館の『ベートーヴェン像』の顔、右半分と左半分でかなり印象が違うと思うのですが、どうでしょう? ジャコメッティの彫刻の記事(過去記事、大原美術館:『ヴェニスの女Ⅰ』ジャコメッティ)の【おまけ】で少しふれましたが、彫刻は立体なので、平面の絵画とは違い、色んな角度から楽しむことができる芸術作品です。ぜひ、あっちからもこっちからも見てみて下さい。新しい発見があるかもしれませんョ。ちなみに筆者は、向かって右半分の顔の方が、シワも深くなんだか年を取っているように見えるのですがどうでしょう?口角も若干左よりは下がっているような…。

【おまけ】
大原美術館のベートーヴェンの目、閉じているということのようですが、開いているようにも見えませんか? 開いているとしたら、全く別の印象になりますね。

黄道十二宮と黄道十二星座について

星占い(星座占い)でお馴染みの十二星座。 西洋占星術を簡略化した占いの一種ですね。過去記事(黄道十二宮:ミュシャ)でミュシャの『黄道十二宮』を取り上げましたが、この「黄道十二宮」と星座占いは深く関係しています。

※誕生日の期間は若干前後します。

黄道(こうどう)とは、天球(地球上の観測者を中心として空を描いた球面)上での太陽の見かけの通り道のことです。昼間は明るくて星は見えませんが、太陽の方向にもしっかり星(星座)は存在しています。

出典:国立教育政策研究所HP  (国立研究開発法人)科学技術振興機構 製作
   『太陽の方向にある星座の変化』

『太陽の方向にある星座の変化』 の図を見ると、「4月-うお、5月―おひつじ、6月―おうし、7月―ふたご、8月―かに、9月-しし、10月―おとめ、11月―てんびん、12月―さそり、1月―いて、2月―やぎ、3月―みずがめ」となっています。これが「黄道十二星座」です。

「黄道十二宮」とは、黄道に沿って天域を12分割したもので、「黄道十二星座」とは別物です。前出の表の2000年前と現在の十二星座に注目してみてください。1つずつずれていますよね。(※現在の十二星座と上記の『太陽の方向にある星座の変化』の十二星座は一致しています。) 歳差運動( 自転している物体の回転軸が、円をえがくように振れる現象)により、黄道十二星座の位置が少しずつずれて行った結果です。 西洋占星術の歴史は古いので、少なくとも2000年前は、それぞれの宮(黄道十二宮)の領域に入る星座(黄道十二星座)はほぼ一致していたのでしょう。

ところで、一般的に「○○座生まれ」という時、3月21日~4月20日の間に生まれていた場合「おひつじ座生まれ」としていますよね。現在の黄道十二星座的には、「うお座」なのに。 つまり、本来は「○○宮生まれ」、この場合「白羊宮生まれ」とするのが正しいのだと思います。

     

【おまけ】
黄道が通っている星座は、現在、13星座です。黄道十二星座に「へびつかい座」が加わったかたちです。 一般の星座占いは12星座で占っていますが、たしか過去に「13星座占い」のブームがあったような…。

黄道十二宮:ミュシャ

ミュシャの有名なリトグラフ作品『黄道十二宮』は何パターンもあります。

『黄道一二宮 ラ・プリュム誌のカレンダー』1896
アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)

元々は、シャンプノワという印刷業者の依頼で制作されたもので、室内用カレンダーだったようです。その後、雑誌「ラ・プリュム」の編集長が版権を購入して、1897年用のカレンダーに使用しています。

その他のパターンのいくつかがこちら。

同じ版でも、色が違うと随分印象が変わるものですね。また、中央の豪華なティアラをつけている女性については、『ラ・ナチュール』という彫刻で表現されています。

『La Nature』(1899-1900)
ブロンズ彫刻

「黄道十二宮」の中央の女性を立体化したものということですね。

ちなみに、雑誌『ラ・プリュム』の表紙がこちら。

『ラ・プリュム誌の表紙 』
アルフォンス・ミュシャ

「ラ・プリュム」誌はレオン・デシャンにより創刊された芸術雑誌で、デシャンは舞台女優のサラ・ベルナール(過去記事、ミュシャの出世作『ジスモンダ』)と同じく、ミュシャを高く評価しました。ミュシャ特集号を発行する等、ミュシャの紹介に力を入れたそうです。

それにしてもミュシャは、要所要所で重要な人と出会い、見事その期待に応えているアーティストだと思います。そもそもミュシャに才能があったことは間違いないのですけど。出会いは大事ですね(^-^)

大原美術館:『人質』フォートリエ

インパクトの強い作品名ですね。

大原美術館
ジャン・フォートリエ (1898-1964)
『人質』1944
グワッシュ、石膏、紙

【鑑賞の小ネタ】
・シリーズ作品「人質」の中の一点
・画家自身がドイツ軍に追われる
・精神的圧迫の中で制作される
・「最も戦後的な画家」と賛辞される

藍色のような深い緑色のような、落ち着く色合いだなと思って見ていたのですが、作品名が『人質』ということで、一瞬にして見方が変わりました。筆者は、作品名を後で見る派です。先に作品名を見てしまうと、イメージが出来上がってしまうからです。作品に対する第一印象は、人それぞれ違うもので、それが大事なのではないかと筆者は思っています。とは言え、作品名はもちろん重要です。自分の第一印象と作品目を照らし合わせて、改めて鑑賞することをお勧めします。二度楽しめますよョ。

『人質』の制昨年は1944年です。第二次世界大戦(1939年~1945年)中ですね。フォートリエはフランスの画家で、パリで活動していましたが、ゲシュタポ(ドイツ軍の秘密警察)に追われ、避難生活を送っています。避難先で制作されたのが、連作「人質」のようです。 

「人質」シリーズの別の作品がこちら。

国立国際美術館
『人質の頭部』1944

彫刻もありました。

『人質の頭』1943-44

どの作品も横顔で、形が似ていますね。絵画作品の方をよく見ると、薄く顔の輪郭のような線があるのが分かるでしょうか? 存在の危うさを表現したものなのかなとか、色々想像してしまいます。

そして、目に注目です。大原美術館の『人質』の目は、悲しげではありますが、とても優しそうに筆者には見えます。国立国際美術館の『人質の頭部』の方は、ブラックフォールのような黒い目になっています。バックも暗い色なので、全体的にかなり陰鬱な仕上がりになっていますね。

ピカソの戦争をテーマとした作品『ゲルニカ』と同様、フォートリエ「人質」シリーズも、戦争というものを今一度考える見応えのある作品ではないかと思います。

ところで、作品の背景を知り過ぎて、鑑賞しているとヘトヘトになってしまう作品に出会ったことはないでしょうか?「人質」シリーズは、その系列の作品だと筆者は思っています。