黄道十二宮:ミュシャ

ミュシャの有名なリトグラフ作品『黄道十二宮』は何パターンもあります。

『黄道一二宮 ラ・プリュム誌のカレンダー』1896
アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)

元々は、シャンプノワという印刷業者の依頼で制作されたもので、室内用カレンダーだったようです。その後、雑誌「ラ・プリュム」の編集長が版権を購入して、1897年用のカレンダーに使用しています。

その他のパターンのいくつかがこちら。

同じ版でも、色が違うと随分印象が変わるものですね。また、中央の豪華なティアラをつけている女性については、『ラ・ナチュール』という彫刻で表現されています。

『La Nature』(1899-1900)
ブロンズ彫刻

「黄道十二宮」の中央の女性を立体化したものということですね。

ちなみに、雑誌『ラ・プリュム』の表紙がこちら。

『ラ・プリュム誌の表紙 』
アルフォンス・ミュシャ

「ラ・プリュム」誌はレオン・デシャンにより創刊された芸術雑誌で、デシャンは舞台女優のサラ・ベルナール(過去記事、ミュシャの出世作『ジスモンダ』)と同じく、ミュシャを高く評価しました。ミュシャ特集号を発行する等、ミュシャの紹介に力を入れたそうです。

それにしてもミュシャは、要所要所で重要な人と出会い、見事その期待に応えているアーティストだと思います。そもそもミュシャに才能があったことは間違いないのですけど。出会いは大事ですね(^-^)

大原美術館:『人質』フォートリエ

インパクトの強い作品名ですね。

大原美術館
ジャン・フォートリエ (1898-1964)
『人質』1944
グワッシュ、石膏、紙

【鑑賞の小ネタ】
・シリーズ作品「人質」の中の一点
・画家自身がドイツ軍に追われる
・精神的圧迫の中で制作される
・「最も戦後的な画家」と賛辞される

藍色のような深い緑色のような、落ち着く色合いだなと思って見ていたのですが、作品名が『人質』ということで、一瞬にして見方が変わりました。筆者は、作品名を後で見る派です。先に作品名を見てしまうと、イメージが出来上がってしまうからです。作品に対する第一印象は、人それぞれ違うもので、それが大事なのではないかと筆者は思っています。とは言え、作品名はもちろん重要です。自分の第一印象と作品目を照らし合わせて、改めて鑑賞することをお勧めします。二度楽しめますよョ。

『人質』の制昨年は1944年です。第二次世界大戦(1939年~1945年)中ですね。フォートリエはフランスの画家で、パリで活動していましたが、ゲシュタポ(ドイツ軍の秘密警察)に追われ、避難生活を送っています。避難先で制作されたのが、連作「人質」のようです。 

「人質」シリーズの別の作品がこちら。

国立国際美術館
『人質の頭部』1944

彫刻もありました。

『人質の頭』1943-44

どの作品も横顔で、形が似ていますね。絵画作品の方をよく見ると、薄く顔の輪郭のような線があるのが分かるでしょうか? 存在の危うさを表現したものなのかなとか、色々想像してしまいます。

そして、目に注目です。大原美術館の『人質』の目は、悲しげではありますが、とても優しそうに筆者には見えます。国立国際美術館の『人質の頭部』の方は、ブラックフォールのような黒い目になっています。バックも暗い色なので、全体的にかなり陰鬱な仕上がりになっていますね。

ピカソの戦争をテーマとした作品『ゲルニカ』と同様、フォートリエ「人質」シリーズも、戦争というものを今一度考える見応えのある作品ではないかと思います。

ところで、作品の背景を知り過ぎて、鑑賞しているとヘトヘトになってしまう作品に出会ったことはないでしょうか?「人質」シリーズは、その系列の作品だと筆者は思っています。

大原美術館:『雨』フォートリエ

深い緑色が印象的です。

大原美術館
ジャン・フォートリエ(1898-1964)
『雨』1959
グワッシュ、石膏、紙

【鑑賞の小ネタ】
・フランスの画家で彫刻家
・抽象芸術の先駆的人物
・ジャズ愛好家

この作品を最初に見た時、「島」を表現したものなのかと思いました。 作品名が『雨』ということなので、斜めの線は「雨」なんでしょうか?そうだとすると、シトシト降る雨ではなくて、ザーザーと激しい雨のような感じがします。

作品『雨』は、実際見ると分かるのですが、表面がデコボコと盛り上がっています。平らな彫刻作品をキャンバスに貼ったような作品で、 画材に石膏や紙が使用されています。フォートリエは彫刻家でもあったということなので納得ですね。

パリ国立近代美術館
『悲劇的な頭部(大)』1942

ところで、フォートリエはジャズ愛好家でもあったようで、いくつかの作品にジャズにちなんだ作品名を付けたと言われています。次の作品『永遠の幸福』はそのような作品の中の1つのようです。(大阪中之島美術館HPより)

大阪中之島美術館
『永遠の幸福』1958

制作年が『永遠の幸福』は1958年となっています。『雨』は1959年なので、ほぼ同時期ですね。  大原美術館の『雨』も、ジャズにちなんだ作品なのではないかということですが、詳しくは分からないそうです。

『雨』に似たような作品が他にもあります。

個人所蔵
『黒と青』1959

制作年が1959年で、『雨』と同じですね。

次の作品は、「線」に重きが置かれているようです。

アーティゾン美術館
『旋回する線』1963

フォートリエはタシスムの代表的な画家です。タシスムとは、 アンフォルメル(非定形、形がない)絵画の一潮流です。 フランス語で「染み、汚れ」を意味する「タッシュ(tache)」に由来します。1940年代後半から50年代にかけてフランスを中心に隆盛しました。

また、戦後の現代美術を支えた南画廊(1956年開廊~1979年閉廊)で、1959年に「フォートリエ展」が開催されています。会期中にはフォートリエ夫婦も来日していて、この個展は大成功を収めたようです。日本との深い関わりを感じるところです。 

大原美術館:『冬の果樹園』クラウス

大原美術館
エミール・クラウス(1849-1924)
『冬の果樹園』1911

【鑑賞の小ネタ】
・クラウスはベルギーの画家
・ルミニスムを代表する画家
・作品名の変更あり
・後景に水辺あり

作品名が以前は『二月』だったような気がして調べてみると、国立新美術館の展覧会情報検索ページに、2007年「この1点」エミール・クラウス《二月》2007-12-25~2008-03-23大原美術館 とありました。いつ『冬の果樹園』になったのか分かりませんが、やはり作品名の変更があったようですね。

冬の風景であることは間違いなさそうです。ただ、冬なのに結構明るい色を使っていますよね。枯草?にしてはとても明るい黄色、紅葉かと思うくらいの葉の色、前景や後景に見える緑や青や紫やピンク色。そして川の色はきれいな水色です。冬の川の色といえば、筆者的には灰色っぽく描かれそうなイメージなんですが。
四季が全部詰め込まれたような作品だなと思いました。

この場所はどこなのでしょうか?
クラウスは、1883年からベルギーのダインゼ近くのアステネに居を構えています。第一次世界大戦中(1914年~1918年)は、イギリスのロンドンに移り、ロンドンの風景を描いていたようですが、戦争が終わるとアステネに戻って1924年に亡くなっています。『冬の果樹園』の制作年は1911年なので、アステネにいた頃ということになります。クラウスが住んでいる近くの果樹園なのでしょうか?
ところで、こんな絵を見つけました。

『レイエ川の10月の朝』1901

『冬の果樹園』と似た感じの風景画ですよね。制作年が1901年となっています。アステネに住んでいる頃の作品ということでいいと思います。季節は違いますが、同じような場所を描いたのでしょうか? そして、作品名に注目です。「レイエ川」とありますね。アステネを地図で調べてみました。

ベルギーのアステネの中心部には、確かに「レイエ川」が流れていました。『冬の果樹園』の光景が川だとすると、この「レイエ川」かもしれませんね。

さて、『冬の果樹園』の冬らしくない色彩についてです。これはルミニスム(光輝主義。明るい光に包まれたような作風)の画家だからなのではないかと思っています。クラウスはモネから強い影響を受けていますが、モネなどフランスの印象派の光の捉え方とはまた少し異なっているようです。次の作品の光の捉え方を見てみてください。

個人蔵
『昼休み』1887-90

逆光になっていますよね。クラウスの作品の特徴なんだそうです。

『冬の果樹園』をよく見ると、手前が暗く奥が明るくなっている感じがします。手前に4本の樹木が描かれていますが、どれも暗めの色が塗られています。樹木の見えてない裏側は、なんとなく明るい感じがしませんか?『昼休み』の女性と同じく、向こう側には光が当たっていて、つまり、逆光の状態になっているのではないでしょうか?

クラウスの逆光を上手く表現した絵は、心地良い眩しさがあって、なぜか懐かしい気持ちになります。 いいですね(^-^)

    

グリーニング美術館
『アステネのレイエ川』1885

大原美術館:『アニエールの街路』ラファエリ

犬がかわいいですね。

大原美術館
ジャン=フランソワ・ラファエリ(1850-1924)
『アニエールの街路』制作年不詳

【鑑賞の小ネタ】
・ドガに高く評価される
・印象派展に出展経験あり
・写実的な作品が多い
・挿絵も手掛ける

ジャン=フランソワ・ラファエリ はフランスの画家です。そして1879年からパリ郊外のアニエールに居を構えています。『アニエールの街路』は、きっと住んでる近くの通りを描いたものなんでしょうね。

ラファエリはドガに誘われて印象派展にも参加しているので、印象派の画家だと思っていましたが、どうも、写実主義(歴史画ではなく、社会のありのままの現実を客観的に描く。写真を撮るように現実を写し取るので、筆致は繊細。)の画家に分類されることが多いようです。

次の作品は、写実主義の特徴がよく出ています。1881年の印象派展に出品されています。好評だったようです。

『アブサンを飲む人々』1880/1881

印象派は、対象を明確に描き出すというよりも、光や空気感などの一瞬の「印象」を描こうとします。そして印象派を象徴する技法、筆者分割(絵の具を混ぜず、原色に近い絵の具の小さなタッチを並べる)は、そうした中で生まれた技法ですね。

次の作品も写実主義の特徴がよく現れている作品です。

ボストン美術館
『ニンニク売り手』1880年頃

身近な人々やものを描くことはとても画期的でした。それまでの王道は歴史画や宗教画、肖像画でしたから。 そういう意味では、写実主義と印象派は共通しています。

ラファエリは「通り」の絵を数多く残していますが、街路樹や地面の描き方は印象派っぽく見えます。印象派を生む土壌となったのは写実主義ということのようなので、はっきりと区別する必要はないのかもしれませんね。

オールブライトノックス美術館
『ラポルトサンドニ(サンドニの門)』1909年頃
プ-シンキ美術館
『サンミッシェル大通り』1890年代

印象派の巨匠クロード・モネは、印象派展のメンバーを拡張する目的で写実主義の画家を引き入れようというドガの主張を良しとしていなかったようです。見たままの描写を伝えるだけの写実主義とは区別したかったのでしょうか? 奥深いですね。

   

ところで、ラファエリの作品には、よく犬が登場しています。 『アニエールの街路』の中に描かれている白と黒の犬と『ニンニク売り手』 の犬、ちょっと似てますよね。よく見ると、『アニエールの街路』の中にも杖を持ったおじさんが描かれているのが分かります。同じ人物と犬とは言いませんが、組み合わせがなんだかホッコリします。ペットなのか野良犬なのか。ラファエリは写実主義の画家ということなので、実際そこに犬がいたんでしょうね。 『ラポルトサンドニ(サンドニの門)』 の中には2匹も描かれています。犬がいるといないのとで、随分印象が変わるように思うのですがどうでしょう? 犬、大活躍ですね(^-^)

『Paris、1900』1900