大原美術館:『イル=ド=フランスのトルソ』マイヨール

頭と腕がないですね。

大原美術館
アリスティド・マイヨール(1861-1944)
『イル=ド=フランスのトルソ』1921
ブロンズ

【鑑賞の小ネタ】
・トルソとは?
・彫刻家ブールデルと同世代
・ナビ派の画家たちと交流
・絵画も手掛ける

頭部と両腕がありませんが、女性の美しい裸婦像だと思います。トルソ(トルソ―)とは、人間の胴体部分だけの彫像のことです。元々は、未完成または古代彫刻の破損された状態のものを指す言葉だったようです。19世紀に入ってから、頭や腕がない不完全な彫刻のなかにある「美」として認められました。特にロダン以降は、完成作品としてのトルソが制作されるようになったということです。

古代の破損された状態の有名な彫刻と言えば、『サモトラケのニケ』でしょうか?

ルーブル美術館原型所蔵
『サモトラケのニケ』紀元前2世紀
大理石

『サモトラケのニケ』は、本来の意味でのトルソというこになりますね。どんな顔をしていて、腕の様子はどんな感じだったのかなと想像したことはないでしょうか? 

顔の表情が分かると、無限にある想像の幅をかなり絞りこむことが出来ます。そして、腕の状態 (身振り手振りで感情を表現することってありますよね) が分かると、その彫刻が表す状況をなんとなく読み取れたりするものです。それはそれで興味深く観賞できると思いますが、そういった情報が一切ないトルソは、また違った楽しみ方ができるのではなかと筆者は思っています。 胴体だけ?と、甘く見てはいけませんね(^-^)

ところで、『イル・ド・フランス』という作品があります。
(※イル・ド・フランスとは、パリ市を中心にその周囲を取り巻く地方を指します。)

埼玉県立近代美術館
『イル・ド・フランス』1925

作品名から、大原美術館の『イル=ド=フランスのトルソ』のトルソ状態ではない全身の像ではないかと思っているのですが、どうでしょう? 右足が前に出て、胸を張った感じがよく似ていると思います。

トルソと比べてみてください。裸婦像の美しさとして、どちらが印象的でしょうか? 鑑賞者によって意見が分かれるところだと思います。

マイヨールはナビ派(19世紀末のパリで活動した前衛的な芸術家集団)の画家たちとも交流を持っています。

オルセー美術館
『パラソルを持つ娘』1890

彫刻のイメージが強いマイヨールですが、絵画も数多く残しています。1900年頃から視力が低下し、絵画を断念することとなり、その頃から彫刻へ重きを置いていったようです。

【おまけ】
アントワーヌ・ブールデルは1861年10月30日生まれ、アリスティド・マイヨールは1861年12月8日生まれで、同い年の彫刻家です。

大原美術館:『果物を持つ裸婦』ブールデル

果物を持って、少し上を向いた感じで、全体的に軽やかですね。

大原美術館
エミール=アントワーヌ・ブールデル(1861-1929)
『果物を持つ裸婦』1906
ブロンズ
100.0×35.0×23.0㎝

【鑑賞の小ネタ】
・縦に少し引き伸ばされたような女性像
・この女性は誰なのか?
・何の果物なのか?

この彫刻を所蔵する美術館は他にもいくつかあります。

ひろしま美術館
エミール=アントワーヌ・ブールデル(1861-1929 )
『果物を持つ裸婦』1906
ブロンズ
223.0×79.0×52.0㎝

ひろしま美術館の『果物を持つ裸婦』です。大原美術館の彫刻より2倍ほどの大きさがありますね。

ひろしま美術館の方はそこまで思いませんが、大原美術館の彫刻は、全体のバランス的に、縦に引き伸ばされたような感じがします。特に、腕が長いと思います。肩幅が狭いので余計にそう感じるのかもしれません。 写実的な作品というよりは、ちょっとコミカルな仕上がり。過去記事(大原美術館:『年をとったバッカント』ブールデル)でも紹介しましたが、ロマネスク様式っぽい作品だなと思いました。

ちなみに、ちょっとコミカルなロマネスク彫刻がこちら。

ロリン美術館
ギスレベルトゥス
『イブの誘惑』1130年頃

ところで、『果物を持つ裸婦』のモデルは誰なのでしょうか? ブールデルは女性像彫刻をあまり多く残していないようですが、ギリシャ神話の女神は好んで制作しています。「ギリシャ神話 女神 果物」をキーワードに色々と調べていたら、「ポモナ」という女神に辿り着きました。

ブダペスト国立美術館
ニコラス・フーシェ(1653-1733)
『ポモナ』1700年頃

ポモナ」はローマ神話(※ローマ神話とギリシャ神話はかなりリンクしています)の果実の女神です。手に果物を持っていますね。髪も結い上げられて、『果物を持つ裸婦』の髪型とちょっと似ていると思いませんか?

また、ブールデルの同い年の彫刻仲間にアリスティド・マイヨール (1861-1944)という彫刻家がいるのですが、『ポモナ』の彫刻を制作しています。こちらです。

パリ市美術館
アリスティド・マイヨール(1861-1944)
『ポモナ』1937
大理石

リンゴのような果実を持った裸婦像になっていますね。

これらのことから、ブールデルの『果実を持つ裸婦』のモデルは、「ポモナ」ではないかと筆者は思っています。

次に、果物についてです。 マイヨールのポモナが持っている果実はリンゴっぽいですが、ブールデルの裸婦が持っている果実は、リンゴにしては少しサイズが小さいように思うのですが、どうでしょう?

ルーヴル宮殿のポモナは色んな果実を持っています。こちらです。

ルーヴル宮殿
『ポモナ』

色んなサイズの果物が見えますね。「ポモナ」が持つ果物はリンゴだけというわけではなさそうです。

大原美術館の『果物を持つ裸婦』を実際に観たことがありますが、筆者的にはイチジクのように見えました。 ギリシア神話でイチジクは、ティターン神族の1人リュケウスが神々の母レアによって姿を変えられたものとして登場しています。そしてローマ神話では、酒神バッカスがイチジクの木にたくさん実をならせる方法を考えたとするエピソードで登場しています。バッカス祭では女たちがイチジクを数珠つなぎにして首にかけて踊るということのようですョ。 あれ?バッカス祭で踊る女性といえば、バッカント(過去記事、大原美術館:『年をとったバッカント』ブールデル)ですねよ。ここへ来て、「ポモナ」ではなく「バッカント」の可能性が出てきました!

普通に果物を持った女性ということで良いのかもしれませんが、色々と深読みするとおもしろいですね(^-^)

大原美術館:『年をとったバッカント』ブールデル

覗き込まないと顔が見えません。

大原美術館
エミール=アントワーヌ・ブールデル(1861-1929)
『年をとったバッカント』1903

【鑑賞の小ネタ】
・「バッカント」とは?
・若いバッカント彫刻あり
・ゴツゴツとした作風

ギリシア神話に登場する酒神ディオニソスとう神様がいます。ローマ神話では「バッカス」と呼ばれ、同一とされています。この酒神バッカスの女性の信者が「バッカント」です。

ブールデルの師匠ロダンも、バッカントをテーマに彫刻を制作しています。二人のバッカントの抱擁が表現されているそうです。

静岡県立美術館
オーギュスト・ロダン(1840-1917)
『バッカス祭』

大原美術館の『年をとったバッカント』の顔を下から覗き込んで見たことがあるのですが、穏やかな表情ではなかったと思います。口が開いていて、しかも歪んでいたような気がします。身体の方もかなり年を重ねた感じに仕上げられていますよね。女性(女神)をテーマとした彫刻といえば、一般的に、見た目が美しい作品が多いように思うのですが、この彫刻はちょっと違いますね。

色々と調べていたら、シンプルに『バッカント』という作品を見つけました。

国立西洋美術館
エミール=アントワーヌ・ブールデル(1861-1929)
『バッカント』1907

このバッカントはスリムですね。「年をとっていないバッカント」といったところでしょうか? ただ、この『バッカント』も 大原美術館の『年をとったバッカント』と同じく、下を向いて何かを担いでいます。何か関係があるのではないかと思ってしまいます。

『年をとったバッカント』は、見た目の美しさよりも、内面を表現しようとした意欲作だったのかもしてませんね。この作品でブールデルは何を表現したかったのでしょうか。見た目があの感じなので、かえって気になります。人は分かりやすい美しさにどうしても目が行きがちですが、そうでもない方に気持ちが動くことって時々ありますよね。そしてその内面を色々と深読みすることによって、結果、印象深い作品になったりするものだと筆者は思っています。

ところで、ブールデルは、ルネサンス以前の中世のロマネスク彫刻を連想させる表現を確立したとされているようです。
ルネサンスの彫刻家と言えば、ミケランジェロを思い浮かべる方も多いと思います。

サン・ピエトロ大聖堂
ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)
『サン・ピエトロのピエタ』1498-1500

ミケランジェロの『サン・ピエトロのピエタ』ですが、ピエタとは、聖母子像のうち、十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリアの彫刻や絵画のことを指します。 ルネサンスとは「再生・復活」を意味し、ギリシアやローマ文化を復活させようという動きでしたよね。古典を真似するだけでなく、より写実的で、人間らしい彫刻が数多く生まれました。

また、ロマネスクとは「古代ローマ風の」という意味で、 ロマネスク美術は、11世紀後半から12世紀後半にかけてヨーロッパ全域において展開しました。なかでもロマネスク彫刻は、ちょっと不格好でコミカルな作品が多いということなのですが、『年をとったバッカント』はなんとなくそんな感じがしないでもないです。ロマネスク様式が展開した時代とは違いますが、ブールデルの彫刻は確かにロマネスク彫刻っぽいですね。そしてルネサンスの巨匠ミケランジェロの彫刻とは印象が随分異なると思います。

  

ブールデルの彫刻は、師匠ロダンの彫刻とも雰囲気が違うように見えますが、内面の追求等、根の部分ではやはり似ているのではないかと思います。ロダンの真の継承者はブールデルだとする見解もありました。

ブールデルがロダンの工房を去る頃、ロダンはブールデルに「もう君に教えることはなにもない」と語った言われています。年の差が20歳ほどある芸術家二人のグッとくるエピソードだと思います。

大原美術館:『ベートーヴェン像』ブールデル

しぶい顔をしたベートーヴェンだと思いました。

大原美術館
エミール=アントワーヌ・ブールデル(1861-1929)
『ベートーヴェン像』制昨年不明
大理石

【鑑賞の小ネタ】
・フランスの彫刻家
・ブールデルはロダンの弟子
・ベートーヴェンの彫刻を複数制作
・左右の横顔に注目

ブールデルはオーギュスト・ロダン(1840-1917)の助手をほぼ15年間つとめました。そして、ロダンから教えを受けるだけでなく、ロダンの作品にも影響を与えたといわれています。(大原美術館HPより) ロダンの工房に入ったのは1893年、32歳の時からで、ロダンはブールデルを高く評価していたそうです。

ブールデルは自分の顔がベートーヴェンに似ていると思っていたようですョ。ベートーヴェンをテーマに、習作を含め45点もの彫刻を残しています。

出典:Wikipedia
   アントワーヌ・ブールデル  1925
ジョセフ・カール・スティーラー(1781-1858)
『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン』1820

どうでしょう? ブールデルの写真とベートーヴェンの肖像画を見比べてみてくだい。鋭い眼光が確かに似ているような気がします。

別のベートーヴェンの彫刻がこちら。

マルロー美術館
『ベートーヴェン』1902
ブロンズ
ストラスブール近現代美術館
『ベートーヴェンの胸像』1903

ブールデルは1888年(27歳)から1929年(68歳)に亡くなるまで、ベートーヴェンの彫刻に取り組み続けました。 耳が聴こえなくなっても作曲を続けたベートーヴェンの内面に共感し、そして追求したのでしょうね。

ところで、大原美術館の『ベートーヴェン像』の顔、右半分と左半分でかなり印象が違うと思うのですが、どうでしょう? ジャコメッティの彫刻の記事(過去記事、大原美術館:『ヴェニスの女Ⅰ』ジャコメッティ)の【おまけ】で少しふれましたが、彫刻は立体なので、平面の絵画とは違い、色んな角度から楽しむことができる芸術作品です。ぜひ、あっちからもこっちからも見てみて下さい。新しい発見があるかもしれませんョ。ちなみに筆者は、向かって右半分の顔の方が、シワも深くなんだか年を取っているように見えるのですがどうでしょう?口角も若干左よりは下がっているような…。

【おまけ】
大原美術館のベートーヴェンの目、閉じているということのようですが、開いているようにも見えませんか? 開いているとしたら、全く別の印象になりますね。

黄道十二宮と黄道十二星座について

星占い(星座占い)でお馴染みの十二星座。 西洋占星術を簡略化した占いの一種ですね。過去記事(黄道十二宮:ミュシャ)でミュシャの『黄道十二宮』を取り上げましたが、この「黄道十二宮」と星座占いは深く関係しています。

※誕生日の期間は若干前後します。

黄道(こうどう)とは、天球(地球上の観測者を中心として空を描いた球面)上での太陽の見かけの通り道のことです。昼間は明るくて星は見えませんが、太陽の方向にもしっかり星(星座)は存在しています。

出典:国立教育政策研究所HP  (国立研究開発法人)科学技術振興機構 製作
   『太陽の方向にある星座の変化』

『太陽の方向にある星座の変化』 の図を見ると、「4月-うお、5月―おひつじ、6月―おうし、7月―ふたご、8月―かに、9月-しし、10月―おとめ、11月―てんびん、12月―さそり、1月―いて、2月―やぎ、3月―みずがめ」となっています。これが「黄道十二星座」です。

「黄道十二宮」とは、黄道に沿って天域を12分割したもので、「黄道十二星座」とは別物です。前出の表の2000年前と現在の十二星座に注目してみてください。1つずつずれていますよね。(※現在の十二星座と上記の『太陽の方向にある星座の変化』の十二星座は一致しています。) 歳差運動( 自転している物体の回転軸が、円をえがくように振れる現象)により、黄道十二星座の位置が少しずつずれて行った結果です。 西洋占星術の歴史は古いので、少なくとも2000年前は、それぞれの宮(黄道十二宮)の領域に入る星座(黄道十二星座)はほぼ一致していたのでしょう。

ところで、一般的に「○○座生まれ」という時、3月21日~4月20日の間に生まれていた場合「おひつじ座生まれ」としていますよね。現在の黄道十二星座的には、「うお座」なのに。 つまり、本来は「○○宮生まれ」、この場合「白羊宮生まれ」とするのが正しいのだと思います。

     

【おまけ】
黄道が通っている星座は、現在、13星座です。黄道十二星座に「へびつかい座」が加わったかたちです。 一般の星座占いは12星座で占っていますが、たしか過去に「13星座占い」のブームがあったような…。