番外編:コクワガタがサナギに!

ついにコクワガタがサナギになりました!

2021年4月10日撮影 コクワガタのサナギ

筆者はもはや、クワガタの成虫・幼虫・サナギの姿を見てもなんの抵抗もないのですが、そうではない方も多いと思います。前出の写真がちょっとピンボケなのは丁度いいかもしれませんね。そもそも入れ物が透明ではないですし。なんだかよく分からない状態のサナギ。筆者的にはもっとくっきりはっきり紹介したかったです。

一般的に、見たことがあるサナギと言えば、蝶のサナギでしょうか? 茶色でじっとしているイメージではありませんか? 筆者は蝶のサナギをじっくり観察したことがないので、そちらは詳しくないのですが、クワガタのサナギはブンブン動くんです! (再生ボタン▶を押すと動くサナギの13秒動画が見られます👇)

まだクワガタ飼育初心者だった頃、初めてこの動きを目撃して、かなり衝撃的だったことを覚えています。サナギが動いた?!みたいな感じです。サナギは、成虫になるのを動かずじっと待って羽化(うか:昆虫のサナギが成虫になること。)すると思っていましたので。 おしりの方を勢いよくブンブン動かします。その反動で全体が動くという感じです。この動画のサナギは仰向けの状態なのですが、この後少しして見てみるとうつ伏せになっていました。なかなかアグレッシブです。

サナギの期間は約3週間です。動くサナギも、羽化が近くなるとじっとしています。

他の幼虫たちは、見える限りではまだサナギになっていません。これから次々とサナギになっていくことでしょう。

ところで、お母さんコクワですが、無事越冬した後、亡くなりました。符節(ふせつ:昆虫の足の先のかぎづめ)もかなりとれていたので、寿命だったのかもしれません。飼育ケースに敷いたクヌギマットからちゃんと出て来て、昆虫ゼリーを少し食べて力尽きていました。世代交代ですね。

もうすぐ子どもコクワが成虫になった姿を見ることができます。楽しみです(^-^)

薄明かりの街:グリムショー

薄っすらと光が灯る街の通りを描いた絵が筆者はなぜか好きです。部屋の壁に飾っているお気に入りの絵画ポスターがこちら。

ジョン・アトキンソン・グリムショー(1836-1893)
『ランドゲートサーカスからのセントポールの眺め』1885

ジョン・アトキンソン・グリムショーの作品です。イギリスの画家で、都市の風景を多く描きました。グリムショーの作品は直接顧客へ渡ることが多かったので、あまり知られていないかもしれませんね。 知る人ぞ知る系の画家だと思います。

グリムショーについて色々調べていると、ジョン・アトキンソンではないのですが、似たような絵画がたくさん見つかります。どうやらジョン・アトキンソンの子どもたちの絵のようですョ。ジョン・アトキンソンの子どもで画家になったのは、 Arthur E. Grimshaw (1864–1913)、Louis H. Grimshaw (1870–1943)、Wilfred Atkinson Grimshaw (1871–1937)、Elaine Grimshaw (1877–1970) の4人ということです。

アーサー・エドモント・グリムショー(1864-1913)
『The Strand』1899
ルイス・H・グリムショー(1870-1943)
『エジンバラのロイヤルマイルの眺め』
Museum of Glooucester
ウィルフレッド・アトキンソン・グリムショー(1871-1937)
『Gloucester Docks』

どうでしょうか。雰囲気が似ていると思いませんか?

お父さんのジョン・アトキンソン・グリムショーの絵画に戻ります。中央奥の建物は、セント・ポール大聖堂です。その歴史は古く、最初に建設されたのは607年頃なんだそうです。焼失、再建を繰り返し、現在に至るようです。歴史的ランドマークであるセント・ポール大聖堂は、第二次世界大戦下でドイツ軍による空爆を受けました。その時、当時の首相ウインストン・チャーチルが「セント・ポールはまだ立っているかね」と尋ねたことは有名ということです。

ところで、ジョン・アトキンソン・グリムショーと同じ時代に活躍した画家にウィルフレッド・ボスワース ・ジェンキンス(1857-1936)がいます。ジョン・アトキンソンの方が20才ほど年上なのですが、かなり画風が似ているんです。こちらです。

エジンバラ博物館
ウィルフレッド・ボスワース・ジェンキンス(1857-1936)
『  The Scott Monument 』

ジョン・アトキンソンと同じくイギリスの画家です。既に画家として成功していたジョン・アトキンソンの影響を強く受けたようですね。

お父さんグリムショー、凄いですね(^-^)

お出かけ:ときわ公園(山口県宇部市)② ~支え合う木~

ときわ公園で野外彫刻(過去記事、お出かけ:ときわ公園(山口県宇部市)①~ UBEビエンナーレ)を見て回っていたら、凄い木を目にしました。

幹の色が違う2本の木が、かなり斜めになりながら支え合って立っていたんです。

ちょっとまわって見てみました。太い木の方がメインで支えているのかと思いきや、むしろ細い木の方がしなやかに支えている感じがしました。

「支え合う木」で検索をかけてみると、結構出て来ます。動物だけでなく植物もお互いを支え合うのだ!という内容のものが多かったです。 じっと見ていたら、確かにそんな感じがしました。植物、凄いですね。勉強になります。

そして、なぜこんなに斜めになったのかも気になるところです。

公園内には、色んな種類の椿も咲いていました。

ところで、椿とサザンカ、見分けがつきますか?よく似ていますよね。見た目で見分けるポイントをいくつか書いてみます。

椿の花の方が筒状で立体的
サザンカの葉のふちはギザギザ
・花が散る時、椿は花首から落ち、
 サザンカは花びらが落ちる。

その他の見分けポイントに、開花時期があります。椿の開花時期は12月~4月で、サザンカは10月から12月です。春は椿で秋はサザンカということなのですが、冬の少しの間、12月あたりがかぶるんです。この時期の椿とサザンカを素敵に見分けられるようになりたいと筆者は密かに思っています。植物に詳しい方々が、事も無くすぐに見分けている様子はかっこいいですよね。
そして、よく見かけるわりに区別が難しい植物の代表格と言えば、アヤメ、カキツバタ、ショウブだと思います。これらもいつか見分けられるようになれたらさぞかしかっこいいだろうなと筆者は思っています。

以上のように、ときわ公園を歩くと多くの植物を見ることができます。その他、ときわミュージアム『世界を旅する植物館』という施設もあるので、また入館してみたいと思います。

お出かけ:春の海釣り

久しぶりの釣りです。波止(ハト)釣りです。

釣りを始めて間もなく、同じ鳥が周回しているのに気づきました。

青と赤茶色の鳥で、なんだかきれい。釣りで使用するエサ(ゴカイなど)を狙っていたんだと思います。釣りのエサにはミミズみたいなゴカイや小ぶりのエビを使うことが多いのですが、海にいる鳥に空からよく狙われます。
筆者は過去に、ゴカイをごっそりカラスに持って行かれた経験があります。そういえば、ルアー (疑似餌。魚やエビ、ゴカイなど様々な形状のものが存在する。)も…。カラスは光る物に興味を示すとよく言われますよね。キラキラルアーをくわえて大空へ飛び立つカラスの姿を見た時の喪失感といったら。
とにかく要注意なんです。

今回見かけた鳥は、イソヒヨドリでした。

出典:Wikipedia イソヒヨドリ

イソヒヨドリは、磯や岩場、港に多く生息しているスズメ目ヒタキ科に分類される鳥のようです。ヒヨドリとあるので、よく見かけるあのヒヨドリ(庭木の熟した実を食べられてしまった経験を持つ方は多いのではないでしょうか?)の仲間なのかと思いましたが、ヒタキの仲間だったんですね。(※ヒタキの仲間は青色や黄色等、きれいな色をした鳥が多いです。) 地域によっては、「幸せの青い鳥」と呼ばれることもあるそうですョ。

磯に小魚が寄って来ていました。

ボラの幼魚の群れ

ボラの幼魚だと思います。
そして、魚が釣れました!

タケノコメバルだと思います。ゴカイをエサにして釣ったのですが、なんと口からたくさんのボラの幼魚が出て来ました。

ボラの幼魚

この日の釣果は、タケノコメバルソイでした。

タケノコメバルとソイ

20㎝はありませんが、まあまあのサイズです。
擬態でしょうか?体色どんどん変化しました。

タケノコメバルもソイもメバルの仲間ですが、一般に店頭で見かけるメバルとはちょっと違います。

煮つけにして大事にいただきました!

大原美術館:『吊るされた鴨』スーティン①

鴨の頭はどこだと思いますか?

大原美術館
シャイム・スーティン(1893-1943)
『吊るされた鴨』1925

【鑑賞の小ネタ】
・ロシア出身のユダヤ人画家
・エコール ド パリの画家の1人
・モディリアーニがよく面倒をみた
・動物の死骸の作品他にもあり

この画像だと、何となく分かるかもしれませんが、実物はもう少し全体的に暗めで、頭がどこなのかなかなか判別できません。筆者もしばらくの間、鴨は頭を持ち上げているとばかり思っていました。 鴨の口ばしを焦点に、ぜひ探してみてください。(※鴨の頭は下を向いています。)

ところで、このテーマで描くと決めたシャイム・スーティンとはどんな画家だったのでしょうか? モチーフとして、吊るされた死んだ動物をなかなか選ばないと筆者は思うのです。どうでしょう?

スーティンは、マルク・シャガール藤田嗣治(レオナール・フジタ、フランスに帰化した画家)と親交があったようです。そして少し先輩のアメデオ・モディリアーニは、スーティンの面倒をよく見ていたといいます。モディリアーニが描いたスーティンがこちら。

個人所蔵
アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)
『シャイム・スーティンの肖像』1916

スーティンは、ロシア帝国(現ベラルーシのミンスク州)のスミラヴィチのユダヤ人家庭の11人兄弟の10番目として生まれました。村で最も貧しい一家だったそうです。また体も弱かったため、家の手伝いもできず、兄弟たちからは邪魔者扱いされていました。なかなか大変な幼少期を過ごしたようですね。

スーティンは肖像画や風景画も描いていますが、静物画については、動物の死骸をテーマにすることが多いようです。

プライベートコレクション
『ホワイトダック』1925
オランジェリー美術館
『摘み取られた鶏』1925
オルブライトノックス美術館
『牛の死骸』1925

なかなかのインパクトですよね。制作年が全て1925年になっています。1920年にモディリアーニが亡くなったあたりから、スーティンの作風が変化し始めたということなので、何か関係があるのかもしれません。ちなみに、次の静物画は1917年頃に制作されたものです。

『ニシンとタマネギのある静物画』1917年頃

ニシンの死骸ではありますが、随分印象が違います。この作品からは、そんなに激しい感じはしませんよね。

スーティンは1933年以降、殆ど創作しなくなったそうです。そして第二次世界大戦中、ユダヤ人であるスーティンはゲシュタポ(ドイツの秘密国家警察)から逃れるため、フランスの村々を転々としました。 一時期、経済的に裕福な時もあったようですが、スーティンの人生は一貫して困難であった言えそうです。

そんなスーティンですが、バーンズ・コレクションで有名なアメリカの大コレクター、アルバート・C・バーンズは、「スーティンはゴッホよりもはるかに重要な画家である」と絶賛したそうですョ。