番外編:【コクワ飼育シーズン2】2024年夏、再びやって来たコクワガタのメス

かれこれ4年前、2020年夏~2021年夏の間、筆者はコクワガタのメスを本気で飼育しました。その野生コクワガタのメスは、用意した産卵木に卵を産んでくれました。卵は無事に、幼虫→サナギ→成虫となり、筆者のコクワガタ飼育生活は賑やかなものとなりました。最終的には、お母さんコクワを見つけた元の山へ子コクワたちを帰すことで、筆者の本気のクワガタ飼育は終了しました。(※興味のある方は過去記事をご覧ください。ブロブ内検索欄に「コクワガタ」と入力したら色々出て来ますョ。)

そんな筆者のもとに、またまたコクワガタのメスがやって来ました! 今回のコクワガタとの出会いはかなりドラマチックです。

筆者の散歩コースは基本的に倉敷美観地区ですが、時々、総社の吉備路(岡山市から総社市までの観光地を巡ることができる自転車専用道路。もちろん歩行も可能。)にも遠征します。日中とても暑いのにも関わらず、その日、久しぶりに友人(登山もこなすウオーキング大ベテランの友人)と歩くことになりました。

吉備路から少しそれて、古墳(吉備路周辺には古墳がいっぱい)の側を歩いている時のことです。それは起こりました。友人が「何かいる!」と叫んだのです。その方向を見ると、確かに小さな黒い何かが道路の上をヒョコヒョコ横断していました。筆者はそれがコクワガタのメス(もはや筆者的には思い入れのある虫)であると長年の経験からすぐに判断することが出来ました。

それからがさあ大変です。なぜなら、目の前に大きな黒い車が迫って来ていたからです。その道路は車一台がギリギリ通ることができる道幅だったので、このままでは完全にひかれてしまうという絶体絶命の状況でした。コクワの位置は、コクワの歩行速度から推測して、丁度左前タイヤあたりになりそうでした。最悪です。

少し戸惑いはありましたが、友人と2人で車に向かって手を上げて停止を促しました。道幅が狭いこともあり、大きな車は徐行運転をしていましたので、すぐに止まってくれました。有難かったです。筆者が急いでコクワガタを拾い上げると、優しい運転手さんは「何がいた?」と窓から声をかけてくださり、コクワガタがいたことをお伝えするとニコニコ笑って「良かった!」と。

何もかもが尊い時間でした。いい大人3人が、小さなコクワガタの命を守るために一つになった瞬間でした。こんなこともあるんですね。いち早く、横断中のコクワガタに気付いてくれた友人に感謝です。

      

拾い上げたコクワガタはというと、足を縮めてしばらく死んだふりでした。驚いた時によくやるので筆者的には見慣れた光景です。近くの木に放してもよかったのですが、なんだか心配だったので連れて帰ることにしました。

その日筆者は、ウオーキング中のドリンクとして、自家製梅シロップジュース入りのペットボトルを持っていたので、これにコクワガタを入れるしかないと思いました。コクワガタのために少し梅シロップジュースを残して、急いで飲み干しました。

あえて少し残した梅シロップジュースにティッシュを浸み込ませて、即席エサありペットボトル虫かごの出来上がり👇

コクワガタはお腹がすいていたのか、梅シロップジュースをおいしそうに飲んでいるように見えました(^-^) ペットボトルの中身がお茶じゃなく梅シロップでほんとに良かったです👍

帰宅して、早速、4年前のクワガタ飼育セットを引っ張り出しました。帰宅直後のコクワガタのメス、ティッシュをしっかり抱えています👇

2024年8月1日撮影 コクワガタのメス

クヌギマットと昆虫ゼリー、そして産卵木を買いに行きました🚙 産卵木は水に浸す必要があるので、すぐには使用できません。とりあえずこんな感じです👇

2024年8月1日撮影 ケースの中のコクワガタのメス

こんな写真を前も撮った気がします。
デジャブのようです。
(※ちなみに昆虫ゼリーが収まっている木は産卵木ではありません。くどいようではありますが、ここ大事なとこなんです!)

またまた始まった筆者のクワガタ飼育。
前回同様、時々報告したいと思います。

浮世絵と西洋絵画②

浮世絵と西洋絵画①の続きです。

ゴッホの浮世絵模写3つ目はこちら👇

ゴッホ美術館
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)
「花魁(おいらん)」1887

花魁の周囲には、竹、睡蓮、アマガエル、ガマガエル、2羽のツル(タンチョウかな?)、流し舟などが描かれています。どれを取って見ても、とても日本的ですよね。そしてゴッホはこの浮世絵を見ながら描いたそうです👇

パリのイラスト誌「ル・ジャポン」の表紙
1886年5月

パリのイラスト誌の表紙です。
元の浮世絵はこちら👇

渓斎英泉(けいさいえいせん)
「雲龍打掛の花魁(おいらん)」(1820~1830年代)

ゴッホは浮世絵の収集をしています。「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」と 「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」は実物を持っていたのでそれを見ながら描き、「雲龍打掛の花魁」は持っていなかったのでイラスト誌の表紙を見ながら描いたのではないかと言われています。元の浮世絵と違い、左右が反転しているのはそのためです。

      

ゴッホのような完全な模写ではありませんが、ゴーギャンの絵にも浮世絵の影響が見られるものがあります👇

スコットランド王立美術館
ポール・ゴーギャン(1848-1903)
「説教の後の幻想(天使と戦うヤコブ)」1888

黄色のだ円の中の2人👆に注目です。レスリングか相撲の取組のような体勢ですよね。葛飾北斎の「北斎漫画」の中に、よく似た体勢の力士がいます👇

葛飾北斎
「北斎漫画 3編より 相撲四十八手」]

緑色のだ円の中の2人の力士です。これをゴーギャンは参考にしたと言われていますが、全く同じというわけではないようですね。他にも力士の様々な動きが描かれていますので、とても参考になったことは間違いなしでしょう。
また、斜めに横切る太い幹の大胆な構図取りも浮世絵の影響と言われています。

西洋絵画の中には日本的なものが結構描かれているものです。見つかるとちょっと嬉しい筆者です。

浮世絵と西洋絵画①

美術ファンの間では有名な話ですが、紹介したいと思います。

19世紀末、フランス絵画界で日本ブームが巻き起こりました。ジャポニスム(仏:japonisme)です。英語ではジャポニズム(英:Japonism)と表記されます。絵画の中に日本的なものが描かれたりと、日本の文化は西洋人にとってなかなかのインパクトだったようです。なかでもゴッホは、浮世絵をそっくりそのまま油絵で模写しました。

まず1つ目👇

ゴッホ美術館
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)
「雨の中の橋(広重の模写)」1887

こちらの浮世絵を模写したものです👇

歌川広重
「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」1857

ゴッホの作品には「額」の部分も描かれていますね。漢字らしきものが描き込まれています。額の装飾に見えたのでしょうか?

ところで、「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」には次のような作品があります👇

黄色のだ円の中に船が2艘(そう)見えます。初摺はこうだったのかなと思いましたが、この版は初摺の前の試し摺りではないかという見解がありました。上部の黒い雨雲の様子も前出のものとは随分異なっていますね。ちなみにこの浮世絵の題名には(船二艘)と記されています。

2艘の船がちょっと薄くなっているものを見つけました。黒い雨雲の様子もさらに違ってますね。かなり波打ってますョ。見映えを色々模索していたのでしょうか?

2艘の船は完全に消失しています。黒い雨雲はもう波打ってませんね。ついに納得の行くものが完成した!といったところでしょうか?

個人的には船が2艘あっても良さそうに思うのですが、広重は消したんですね。なにかそこに事情があったのでしょうか? この作品につていはタイプの違う仕上がりの版が多いため、初摺や試し摺りの真相等、諸説あるようです。ただ、もっとも世に出回っているのは、ゴッホが模写した船が無いタイプのものなので、きっとこれが完成形なのでしょう。

浮世絵は版を重ねる過程で、その時の事情や要望により、多少の変更を加えることができます。版の明らかな変化が確認できる(船が無くなる等)時、実際の出来事(史実)と照らし合わせてみて、この時どんなことが起きてこのように仕上がった(仕上げなければならなかった)等、その浮世絵の背景を色々想像することができると思います。とても興味深いです。

2つ目はこちら👇

ゴッホ美術館
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)
「梅の花(広重による)」1887

そしてこちらの浮世絵を模写しました👇

歌川広重
「名所江戸百景 亀戸梅屋舗(かめいどうめやしき)」1857

ゴッホはここでも漢字入りの「額」を描き込んでいますね。細部にわたってきっちりと模写されています。前景の梅の幹のアップ、幹の間から見える遠くの人々、かなり攻めた構図になっています。ゴッホの目にも留まるわけですね。斬新で大胆な構図取りといえば葛飾北斎(1760年―1849年)を思い出される方も多いと思いますが、歌川広重(1797年―1858年)も素晴らしい✨ ちなみに、同じ時代を生きた二人ですが、葛飾北斎の方がかなり先輩です。
ちょっと逸れますがこちら👇

歌川広重
「冨士三十六景 駿河薩タ之海上」1859

大きな波と富士山、船も見えます。葛飾北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」英語圏の通称「グレートウエーブ」が思い出されます。歌川広重(当時の多くの絵師たち)が葛飾北斎をとても意識していたことがよく分かりますね。

ゴッホの浮世絵模写に戻ります。
3つ目です。投稿記事(浮世絵と西洋絵画②)へ続きます。

岡山県立美術館:北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦②

筆者が行った時には葛飾北斎の『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』が展示されていました👇

葛飾北斎  「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 」1831~33年頃

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』 には6月14日~7月7日という展示期間がありました。その他にも展示期間のあった作品が2点👇

葛飾北斎  「冨嶽三十六景 凱風快晴」 1831~33年頃
葛飾北斎  「冨嶽三十六景 山下白雨 」 1831~33年頃

『冨嶽三十六景 凱風快晴赤富士とも呼ばれます)』と『冨嶽三十六景 山下白雨 』の展示期間 は6月7日~30日でした。3点を同時に見ることができるのは、6月14日~6月30日だったというわけです。残念ながら筆者は滑り込みで行ったので、『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』のみ鑑賞ということになりました。

作品保護のために展示期間を設けたということだったと思いますが、なぜこの3作品?と思いました。有名な作品だから特別扱いなのは分かりますが、他にも高名な作品はあるわけで。 色々調べて行くうちに分かりました。この3作品は、「冨嶽三十六景」の中で特に優れた作品とされていて、三大役物(さんだいやくもの)と呼ばれ親しまれているバリバリの作品たちだったんです。(※三役とも呼ばれます)

筆者の浮世絵に対しての情熱は、西洋画ほどではなかったので、知らないことがいっぱいです。今回の展覧会でたくさんの本物を見て、有難いことに以前より格段に興味が高まりました。やはり本物を見るということは大事ですね。

                

浮世絵について調べている時、今の季節に合う花火の作品がないかなと思って探してみたら、やはりありました👇

歌川広重  「名所江戸百景 両国花火」 (後摺)

この作品は今回の展覧会では展示されていなかったと思います。花火の表現が独特でとてもいいなと思ってプリントアウト(※パブリックドメイン画像です)しました。今、筆者の家の壁(筆者の展示コーナー)に飾られています。

花火をテーマにした浮世絵が他にもないかなと思ってさらに探していたら、よく似たこちらの作品が見つかりました👇

歌川広重  「名所江戸百景 両国花火」  (初摺)

題名は同じです。構図も同じですね。でも花火の表現が大きく異なっています。どうやら、前者は「後摺(のちずり、あとずり)」、後者は「初摺(しょずり)」だったようです。

版木は、版を重ねるうちに摩耗したり欠損したりするなどして状態が悪化します。通常、初めのよい状態の版木で摺った版を初摺、摺り増ししたものを後摺と呼びます。後摺では、事情により版に変更を加えるている場合もあります。

中山道広重美術館HP 浮世絵豆知識

浮世絵は肉筆画ではなく版画なので、同じ構図の作品を、当たり前ですが何枚も摺ることができます。でも、全く同じ作品というものはないんですよね。たとえ同じように摺ったつもりでも、微妙にどこか違うものです。それぞれの版(作品)が実は一点物なんだということを改めて感じました。

ちなみに、筆者は「名所江戸百景 両国花火」の後摺の方が好きです。 花火が打ち上がった後のあのキラキラがとてもよく表現されていて、実際の花火大会の記憶(地元の花火大会)と重なって、余計に味わい深く感じ、ノスタルジックな気分にさせてくれるからです。浮世絵ということで、写真のような細密な描写ではありませんが、これくらいの方が見る側のイメージが膨らみやすく、結果いい感じになるのかもしれませんね。

しばらく浮世絵フィーバーが続きそうです(^-^)

岡山県立美術館:北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦①

開催期間は2024年6月7日(金)―7月7日(日)でした。筆者はすべりこみで行ってきました。なかなかの人出で、美術館の駐車場には停められませんでした。『冨嶽三十六景』全四十六図、すべて公開ということだったので、多くの方が足を運ばれたことでしょう。

今回の展示、ほとんどの作品がなんと写真撮影OK(フラッシュはNG)だったので驚きました。一眼レフカメラで撮影している方も何人かいらっしゃいました📷 筆者はというと、スマホではりきって撮影👇

葛飾北斎  冨嶽三十六景『神奈川沖浪裏』 

葛飾北斎の代表作、冨嶽三十六景『神奈川沖浪裏』ですね。英語圏では通称『グレートウエーブ』と呼ばれます。この作品はやはり人気で、少し撮影待ちをしました。

浮世絵は、絵師(えし:原画を描く)、彫師(ほりし:版木に彫る)、摺師(すりし:紙に摺る)の共同作業で仕上げられます。絵師については今日でも広く知られていますが、彫師、摺師についてはどうでしょう?あまりクローズアップされることがないような…。彫師、摺師の職人技あっての浮世絵なんだということを、ずらりと並んだ作品を見入りながらしみじみと感じました。

続いて撮影したのがこちら👇

歌川広重  名所江戸百景『水道橋駿河台』

歌川広重(安藤広重)名所江戸百景 『水道橋駿河台』です。鯉のぼりの浮世絵ということはすぐに分かったのですが、鯉の描写があまりにもリアル過ぎておもしろいと思って撮影しました。鯉のぼりは江戸時代の中期に江戸文化の中心で発生しました。現在の鯉のぼりといえば、吹き流し、黒、赤、青の鯉といった具合いにバリエーション豊かですが、『水道橋駿河台』の鯉のぼりは黒い鯉が一匹のみとなっています。どうやら 江戸時代の鯉のぼりは黒の真鯉一匹のみだったようですョ。

その次はこちらを撮影👇

歌川広重  名所江戸百景『深川萬年橋』

歌川広重(安藤広重)名所江戸百景 『深川萬年橋』 です。風鈴のように吊るされたカメが謎過ぎたので撮影しました🐢  風鈴と思ったのは木枠が窓枠だと思ったからなんですが、よく見るとこの木枠は桶の一部だったようです。

出典:デジタル大辞泉 手桶

手桶の横木に吊るされた亀というわけです。それにしてもなぜ吊るす?!ということで調べました。どうやら亀は売られていたようです。ペットにするわけでもなく、ましてや食べるというわけでもありません。紐に吊るしたまま川辺まで行き、紐を解いて逃がしてやるそうです。この行為は「放生会(ほうじょうえ)」と呼ばれます。「放生会」とは、捕獲した生き物(亀だけでなく鰻や鳥なども)を川や池、野に放し、日頃私たちが生きるためにいただいている生き物に感謝し供養すると同時に、肉食や殺生を戒めるという一連の儀式のことをいいます。放生会の時期が近付くと、生き物を売る露店や行商人が現われたそうです。生き物は、「放し亀」「放し鰻」「放し鳥」と呼ばれました。

ということでこの作品は、萬年橋の上(こげ茶の木枠は萬年橋の欄干です)で、放生会のための放し亀を手桶に吊るして売っているという状況の浮世絵でした。ずっと向こうに富士山も見えますョ。亀、萬年(橋)、富士山、なんだかとても縁起がいい浮世絵ですね(^-^)

投稿記事(岡山県立美術館:北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦②)へ続きます。