浮世絵と西洋絵画①

美術ファンの間では有名な話ですが、紹介したいと思います。

19世紀末、フランス絵画界で日本ブームが巻き起こりました。ジャポニスム(仏:japonisme)です。英語ではジャポニズム(英:Japonism)と表記されます。絵画の中に日本的なものが描かれたりと、日本の文化は西洋人にとってなかなかのインパクトだったようです。なかでもゴッホは、浮世絵をそっくりそのまま油絵で模写しました。

まず1つ目👇

ゴッホ美術館
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)
「雨の中の橋(広重の模写)」1887

こちらの浮世絵を模写したものです👇

歌川広重
「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」1857

ゴッホの作品には「額」の部分も描かれていますね。漢字らしきものが描き込まれています。額の装飾に見えたのでしょうか?

ところで、「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」には次のような作品があります👇

黄色のだ円の中に船が2艘(そう)見えます。初摺はこうだったのかなと思いましたが、この版は初摺の前の試し摺りではないかという見解がありました。上部の黒い雨雲の様子も前出のものとは随分異なっていますね。ちなみにこの浮世絵の題名には(船二艘)と記されています。

2艘の船がちょっと薄くなっているものを見つけました。黒い雨雲の様子もさらに違ってますね。かなり波打ってますョ。見映えを色々模索していたのでしょうか?

2艘の船は完全に消失しています。黒い雨雲はもう波打ってませんね。ついに納得の行くものが完成した!といったところでしょうか?

個人的には船が2艘あっても良さそうに思うのですが、広重は消したんですね。なにかそこに事情があったのでしょうか? この作品につていはタイプの違う仕上がりの版が多いため、初摺や試し摺りの真相等、諸説あるようです。ただ、もっとも世に出回っているのは、ゴッホが模写した船が無いタイプのものなので、きっとこれが完成形なのでしょう。

浮世絵は版を重ねる過程で、その時の事情や要望により、多少の変更を加えることができます。版の明らかな変化が確認できる(船が無くなる等)時、実際の出来事(史実)と照らし合わせてみて、この時どんなことが起きてこのように仕上がった(仕上げなければならなかった)等、その浮世絵の背景を色々想像することができると思います。とても興味深いです。

2つ目はこちら👇

ゴッホ美術館
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)
「梅の花(広重による)」1887

そしてこちらの浮世絵を模写しました👇

歌川広重
「名所江戸百景 亀戸梅屋舗(かめいどうめやしき)」1857

ゴッホはここでも漢字入りの「額」を描き込んでいますね。細部にわたってきっちりと模写されています。前景の梅の幹のアップ、幹の間から見える遠くの人々、かなり攻めた構図になっています。ゴッホの目にも留まるわけですね。斬新で大胆な構図取りといえば葛飾北斎(1760年―1849年)を思い出される方も多いと思いますが、歌川広重(1797年―1858年)も素晴らしい✨ ちなみに、同じ時代を生きた二人ですが、葛飾北斎の方がかなり先輩です。
ちょっと逸れますがこちら👇

歌川広重
「冨士三十六景 駿河薩タ之海上」1859

大きな波と富士山、船も見えます。葛飾北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」英語圏の通称「グレートウエーブ」が思い出されます。歌川広重(当時の多くの絵師たち)が葛飾北斎をとても意識していたことがよく分かりますね。

ゴッホの浮世絵模写に戻ります。
3つ目です。投稿記事(浮世絵と西洋絵画②)へ続きます。

岡山県立美術館:北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦②

筆者が行った時には葛飾北斎の『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』が展示されていました👇

葛飾北斎  「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 」1831~33年頃

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』 には6月14日~7月7日という展示期間がありました。その他にも展示期間のあった作品が2点👇

葛飾北斎  「冨嶽三十六景 凱風快晴」 1831~33年頃
葛飾北斎  「冨嶽三十六景 山下白雨 」 1831~33年頃

『冨嶽三十六景 凱風快晴赤富士とも呼ばれます)』と『冨嶽三十六景 山下白雨 』の展示期間 は6月7日~30日でした。3点を同時に見ることができるのは、6月14日~6月30日だったというわけです。残念ながら筆者は滑り込みで行ったので、『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』のみ鑑賞ということになりました。

作品保護のために展示期間を設けたということだったと思いますが、なぜこの3作品?と思いました。有名な作品だから特別扱いなのは分かりますが、他にも高名な作品はあるわけで。 色々調べて行くうちに分かりました。この3作品は、「冨嶽三十六景」の中で特に優れた作品とされていて、三大役物(さんだいやくもの)と呼ばれ親しまれているバリバリの作品たちだったんです。(※三役とも呼ばれます)

筆者の浮世絵に対しての情熱は、西洋画ほどではなかったので、知らないことがいっぱいです。今回の展覧会でたくさんの本物を見て、有難いことに以前より格段に興味が高まりました。やはり本物を見るということは大事ですね。

                

浮世絵について調べている時、今の季節に合う花火の作品がないかなと思って探してみたら、やはりありました👇

歌川広重  「名所江戸百景 両国花火」 (後摺)

この作品は今回の展覧会では展示されていなかったと思います。花火の表現が独特でとてもいいなと思ってプリントアウト(※パブリックドメイン画像です)しました。今、筆者の家の壁(筆者の展示コーナー)に飾られています。

花火をテーマにした浮世絵が他にもないかなと思ってさらに探していたら、よく似たこちらの作品が見つかりました👇

歌川広重  「名所江戸百景 両国花火」  (初摺)

題名は同じです。構図も同じですね。でも花火の表現が大きく異なっています。どうやら、前者は「後摺(のちずり、あとずり)」、後者は「初摺(しょずり)」だったようです。

版木は、版を重ねるうちに摩耗したり欠損したりするなどして状態が悪化します。通常、初めのよい状態の版木で摺った版を初摺、摺り増ししたものを後摺と呼びます。後摺では、事情により版に変更を加えるている場合もあります。

中山道広重美術館HP 浮世絵豆知識

浮世絵は肉筆画ではなく版画なので、同じ構図の作品を、当たり前ですが何枚も摺ることができます。でも、全く同じ作品というものはないんですよね。たとえ同じように摺ったつもりでも、微妙にどこか違うものです。それぞれの版(作品)が実は一点物なんだということを改めて感じました。

ちなみに、筆者は「名所江戸百景 両国花火」の後摺の方が好きです。 花火が打ち上がった後のあのキラキラがとてもよく表現されていて、実際の花火大会の記憶(地元の花火大会)と重なって、余計に味わい深く感じ、ノスタルジックな気分にさせてくれるからです。浮世絵ということで、写真のような細密な描写ではありませんが、これくらいの方が見る側のイメージが膨らみやすく、結果いい感じになるのかもしれませんね。

しばらく浮世絵フィーバーが続きそうです(^-^)

岡山県立美術館:北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦①

開催期間は2024年6月7日(金)―7月7日(日)でした。筆者はすべりこみで行ってきました。なかなかの人出で、美術館の駐車場には停められませんでした。『冨嶽三十六景』全四十六図、すべて公開ということだったので、多くの方が足を運ばれたことでしょう。

今回の展示、ほとんどの作品がなんと写真撮影OK(フラッシュはNG)だったので驚きました。一眼レフカメラで撮影している方も何人かいらっしゃいました📷 筆者はというと、スマホではりきって撮影👇

葛飾北斎  冨嶽三十六景『神奈川沖浪裏』 

葛飾北斎の代表作、冨嶽三十六景『神奈川沖浪裏』ですね。英語圏では通称『グレートウエーブ』と呼ばれます。この作品はやはり人気で、少し撮影待ちをしました。

浮世絵は、絵師(えし:原画を描く)、彫師(ほりし:版木に彫る)、摺師(すりし:紙に摺る)の共同作業で仕上げられます。絵師については今日でも広く知られていますが、彫師、摺師についてはどうでしょう?あまりクローズアップされることがないような…。彫師、摺師の職人技あっての浮世絵なんだということを、ずらりと並んだ作品を見入りながらしみじみと感じました。

続いて撮影したのがこちら👇

歌川広重  名所江戸百景『水道橋駿河台』

歌川広重(安藤広重)名所江戸百景 『水道橋駿河台』です。鯉のぼりの浮世絵ということはすぐに分かったのですが、鯉の描写があまりにもリアル過ぎておもしろいと思って撮影しました。鯉のぼりは江戸時代の中期に江戸文化の中心で発生しました。現在の鯉のぼりといえば、吹き流し、黒、赤、青の鯉といった具合いにバリエーション豊かですが、『水道橋駿河台』の鯉のぼりは黒い鯉が一匹のみとなっています。どうやら 江戸時代の鯉のぼりは黒の真鯉一匹のみだったようですョ。

その次はこちらを撮影👇

歌川広重  名所江戸百景『深川萬年橋』

歌川広重(安藤広重)名所江戸百景 『深川萬年橋』 です。風鈴のように吊るされたカメが謎過ぎたので撮影しました🐢  風鈴と思ったのは木枠が窓枠だと思ったからなんですが、よく見るとこの木枠は桶の一部だったようです。

出典:デジタル大辞泉 手桶

手桶の横木に吊るされた亀というわけです。それにしてもなぜ吊るす?!ということで調べました。どうやら亀は売られていたようです。ペットにするわけでもなく、ましてや食べるというわけでもありません。紐に吊るしたまま川辺まで行き、紐を解いて逃がしてやるそうです。この行為は「放生会(ほうじょうえ)」と呼ばれます。「放生会」とは、捕獲した生き物(亀だけでなく鰻や鳥なども)を川や池、野に放し、日頃私たちが生きるためにいただいている生き物に感謝し供養すると同時に、肉食や殺生を戒めるという一連の儀式のことをいいます。放生会の時期が近付くと、生き物を売る露店や行商人が現われたそうです。生き物は、「放し亀」「放し鰻」「放し鳥」と呼ばれました。

ということでこの作品は、萬年橋の上(こげ茶の木枠は萬年橋の欄干です)で、放生会のための放し亀を手桶に吊るして売っているという状況の浮世絵でした。ずっと向こうに富士山も見えますョ。亀、萬年(橋)、富士山、なんだかとても縁起がいい浮世絵ですね(^-^)

投稿記事(岡山県立美術館:北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦②)へ続きます。

美観地区:倉敷川沿いのネジバナ

散歩中、いい花を見つけました!

2024年6月25日撮影 ネジバナ

ネジバナです✨ ネジリバナとかモジズリ等、別名も色々あります。筆者は昔からこの花が好きでした。芝生や湿地帯の明るい場所に普通に見られる多年草で、雑草扱いされることが多いようです。

緑の雑草の中に👆、ちょこちょこピンク色があるのが分かるでしょうか?こんな感じだと、まぁ確かに、雑草ですかねぇ。

そんなネジバナ、日本に自生する原種のランとありました。野生の原種のランということで愛好家に好まれるそうですョ。 ただ様子がどうしても雑草なので、普通に刈られてしまうことがほとんどのようです。

ところが👇

2024年6月27日撮影

最初にネジバナを撮影した日の2日後、赤の線(筆者が写真の上に書いた線です)より手前が刈られていました。ネジバナ刈られてしまったかな?と思って探したら、赤い線の奥、つまり刈られていない側にちゃんといたんです!ネジバナしっかり咲いていました(^-^) 草刈りをした方の判断で、あえて刈らなかったのではないかと筆者は思っています。

倉敷川沿いのこの部分には、ネジバナの他にもタンポポやシロツメクサ等のかわいい花を咲かせる雑草たちが数多く自生しています。きっと、それらの雑草たちに気を配りながら草刈りが行われているに違いありません。素晴らしい。

     

《おまけ》
トトロに出て来そうなキノコ発見👇

阿智神社参道付近の切り株

久々にじっくり見たカタツムリ🐌

倉敷美観地区の路地の溝

大原美術館:『吊るされた鴨』スーティン②

過去記事(大原美術館:『吊るされた鴨』スーティン①)で紹介していますが、なぜこのような絵を描いたのか、筆者はずっと理解できないままでした。

大原美術館
シャイム・スーティン(1893-1943)
『吊るされた鴨』1925

スーティンは本作だけでなく、死骸をテーマとした作品を数多く残しています。その中の1つがこちら👇

ミネアポリス美術館
シャイム・スーティン
『牛の屍』1925

牛の死骸が吊るされているのが分かります。制作年が『吊るされた鴨』と同じですね。背景の色味や雰囲気もとてもよく似ています。このタイプの絵をなぜ数多く描くのかずっと気になっていたので、地味にアンテナを張っていました。そしてやっと興味深い説に辿り着きました👍

まずこちらをご覧ください👇

ルーブル美術館
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)
『屠殺された牛』1655

あの有名な巨匠レンブラントの『屠殺された牛』1655です。よく似てますよね。レンブラントといえば、300年ほど前の画家です。死をテーマにしたこんな感じの類似作品が昔からあったということになんだか驚きです。この作品はしばしば、「ヴァニタス(人生の空しさの寓意)」、「メメント・モリ(自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな)」を表現したものと解釈されています。

レンブラントの『屠殺された牛』は、スーティンも含め多くの画家たちを啓発してきたとありました。そしてこの作品の肉塊は、「十字架上のイエス・キリストを想起させるほどの崇高さを持っている」とする見解があったんです。数ある解釈の1つだとは思いますが、このタイプの作品は宗教画に近いものだったということなんでしょうか? もしそうなら、スーティンがこのタイプの絵を数多く描いたのが理解できるような気がしました。

それにしても、レンブラントの方は牛が光っているように見えるためか、なんだか神々しく思いますが、スーティンの方はどうなんでしょう? 筆者にはもう少し身近な感じがします。「生き物に感謝してありがたくいただきましょう」という見方でも良いのかもしれませんね。