早朝の美観地区をお散歩(2021年10月上旬)

良い季節なので、早起きして美観地区を歩いてみました。
まずは鶴形山(阿智神社)からです。

鶴形山の鐘楼
過去記事(鶴形山の鐘楼:棟方志功)でも紹介しました現役で活躍する「時鐘」です。朝6時の鐘を近くで聞くことが出来ました。

阿智神社の参道
西側の参道から登って行きました。まだ薄暗かったので外灯が点いていました。外灯に突き当たって左に行けば「阿知の藤」、右に行けば阿智神社の正面参道に辿り着きます。

阿智神社境内
だんだん空が明るくなってきています。参拝者もちらほら見かけました。早朝ウォーキングのコースなのか、階段を往復している方もいらっしゃいました。

美観地区の路地(本町東側)
路地の奥へ進むと東町に行きつきます。手前左に焼き鳥店「高田屋」の看板が見えます。もうすぐ朝日が見えて来そうです。

倉敷アイビースクエアの北側の路地
右側の壁は煉瓦で、倉敷アイビースクエアの一部です。朝日に照らされる煉瓦はとてもきれい✨この路地はとても狭く、車が一台通れるかどうかです。

倉敷アイビースクエアの旧児島館
旧児島館の中庭(煉瓦スペース)中央に、ベンチがぽつんと置かれていました。昼間は外壁に沿って置かれていたと思うのですが…。たまたまなのでしょうか? 筆者はこのベンチの位置が好きです。

風見鶏
廣榮堂本店の屋根の上の風見鶏です。美観地区の倉敷川沿いに位置しています。目の前には「高砂橋(美観地区最南端の橋)」です。早朝の風見鶏は格別です。

美観地区の路地(本町中央)
路地の奥は「有隣庵」です。この路地も狭いです。白壁となまこ壁が美しく、ザ・美観地区の路地、だと思っています。随分明るくなってきました(^-^)

大原美術館
朝日を浴びる大原美術館です。ツタ(アイビー)が少し色づいてきました。夕暮れ時や夜のライトアップも美しいのですが、早朝、東からの日に照らされる大原美術館もなかなか良いですね。

倉敷川源流付近
「語らい座 大原本邸(旧大原家住宅)」前の倉敷川です。少しずつ紅葉が進んでいます。白鳥も優雅に泳いでいました。

早朝の、人通りも少なく、これから動き始める美観地区、おススメですョ。

倉敷アイビースクエアの白い睡蓮

過去記事(倉敷アイビースクエアの睡蓮)で紹介しましたが、倉敷アイビースクエア敷地内の池には、見事な睡蓮が大事に植えられています。クロード・モネの庭園→大原美術館→倉敷アイビースクエアと株分けされて現在に至ります。

もう10月なので、花は咲いてないだろうなと思いながらも、早朝見に行ってみました。 

2021年10月4日午前6時30分頃撮影 睡蓮     

白色の睡蓮のつぼみを見つけました! 睡蓮は昼間に咲いて夜にはしぼむ花です。早朝ということで、花は開いていませんでした。午後にもう一度行ってみることにしました。

2021年10月4日午後2時頃撮影 睡蓮

白色の睡蓮が開花していました!

他の色の睡蓮は見当たりませんでした。白色の睡蓮がしぶとく咲いてくれていることに感謝です。でも、なぜ白色の睡蓮の開花期間が長いのでしょうか? 植物の原種には白色の花を咲かせるものが多いような気がするのですが、何か関係があるのでしょうか?

しばらく倉敷アイビースクエアの睡蓮を見た後、美観地区を通って帰宅しました。その帰り道で、狭いスペースにびっしり睡蓮のような葉っぱが水面を覆いつくしているのが目に入りました。地図上のオレンジの矢印の部分です👇

出展:倉敷物語館前の立て看板
岡本直樹「倉敷川畔美観地区鳥瞰絵図」の一部
2021年10月4日午前6時30分頃撮影

はっきり確認できたつぼみは3つでした。こちらも白色の花です。そして午後の様子がこちらです。

2021年10月4日午後2時頃撮影

白色の睡蓮だと思って初めは見ていたのですが、花が倉敷アイビースクエアの睡蓮と比べて一回り小さいような気がしました。でっかい浮草みたいな存在感で、大原美術館や倉敷アイビースクエアの睡蓮とは色々何かと違うような…。

そして思いついたのが未草(ひつじぐさ)です。未草は、ため池や湖沼、水路などに生育します。日本唯一の在来種の睡蓮です。

出典:Wikipedia 未草

未草の名の由来は、未の刻 (午後2時) 頃に花を咲かせるためとされることが多いようですが、午後2時あたりから花が閉じ始めるためというのもありました。そして未草はスイレンの仲間です。花は直径3~7㎝なので、睡蓮より一回り小さい印象ですね。葉の形は、卵円型から楕円形ということです。

睡蓮と未草の区別はなかなか難しいようですが、葉っぱの形が、あのスペースの植物はほぼまん丸だと思うので、やはり、睡蓮なんでしょうね。

ちなみに未草は、地域によっては絶滅危惧種に指定されているようですョ。

大原美術館:『想い』カリエール

アンニュイ(フランス語で 「倦怠感」「退屈」「物憂さ」) な雰囲気ですね~。作品名は「想い」です。

大原美術館
ウジェーヌ・カリエール(1849-1906)
『想い』1893年頃

【鑑賞の小ネタ】
・フランスの画家
・フランス象徴主義を代表する画家
・靄(もや)がかかったような画風
・彫刻家ロダンと親交
・「アカデミー・カリエール」を創設

カリエールは、29歳で結婚し、7人の子どもに恵まれました。妻や子どもの日常の姿を数多く描いています。穏やかな優しい目線で描かれた作品から、「母性の画家」とも称されているようです。

『想い』のモデルは誰なのでしょうか? モデルの女性の年齢は、筆者には十代後半に見えます。鑑賞者によっては、もう少し年上に見えるという意見もあると思いますが。ちなみに、次の作品のモデルの詳細は、はっきりしています👇

個人蔵
『手紙』1887年頃

手紙を読んでいるのはカリエールの長女エリーズ(9歳)、こちらを見ているのは次女マルグリット(5歳)とされています。カリエールは家族をモデルにすることが多いので、『想い』のモデルもきっと家族の誰かだと筆者は思っています。仮に『想い』のモデルが長女エリーズだとすると、制昨年1893年当時は、15歳ということになります。

『想い』のモデルと首の角度や顔の輪郭が似た作品を見つけました👇

『ヴァイオリンを弾く娘』1900年頃

この絵の作品名には「娘」とはっきりと記されていますね。 ヴァイオリンを弾く女性 が長女エリーズとすると、12歳頃になります。

ところで、『想い』と制昨年が同じ1893年の作品があります👇

エルミタージュ美術館
『テーブルに肘をつく女性』1893

この女性は十代には見えませんね。カリエールの娘ではないと思います。モデルの多くが家族ということで、カリエールの妻でしょうか?

そしてカリエールの妻と次男ジャン=ルネ(1888~1982) の肖像画がこちらです👇

個人蔵
『カリエール夫人とジャン=ルネ』1902

家族の肖像画を見ていて思ったのですが、カリエールの子どもたちの髪の色は薄めの色(ブロンド、明るい茶色等)だったのではないかと。そのため、眉毛の色も薄くなり、眉の形がはっきりしないということになります。妻の髪の色はどうでしょう?子どもたちと比べて濃いめのように思います。眉も子どもたちよりはくっきりしています。

ということで、『想い』のモデルはカリエールの妻ではなく、長女エリーズ推しです。

   

また、カリエールは画塾「アカデミー・カリエール」を創設しています。このアカデミーからは、アンリ・マティス(1869-1954)やアンドレ・ドラン(1880-1954)という有名な画家が輩出しています。

     

それにしてもカリエールの絵画は、フランス映画のようですね…。

お出かけ:岩屋(岡山県総社市の山)を歩く

岡山県総社市の鬼城山(きのじょうさん)の古代山城「鬼ノ城(きのじょう)」を聞いたことがあるでしょうか? 大和朝廷によって国の防衛のために築かれたとされていますが、歴史書には一切記されていません。謎めいた山城として有名で、昭和61年に国史跡指定、平成18年には「日本100名城」に選定されています。そして、あの温羅(うら:古代の鬼)伝説とも密接に関係している史跡なのでロマンあふれます✨ 山の頂上に立地しているので、遠くからでも確認できますョ。

今回歩いた山は「鬼ノ城」の隣りのエリア、「岩屋」です。鬼ノ城エリアの山道はかなり整備されていますが、岩屋エリアの方は自然な雰囲気の山道がほどよく残っているので、山を歩いたなーっと感じるのは岩屋エリアの方なのではないかと思っています。

山歩きの経験豊富な友人と一緒だったので、安心して周りをキョロキョロしながら歩くことが出来ました。感謝です。 鬼城山ビジターセンターの駐車場に車を置いて、そこから歩きました。

岩屋エリアには奇岩・巨岩が数多く見られ、とても興味深かったです。今回はその中の2つを紹介したいと思います。

まずは「汐差岩」です。

岩屋案内図
(※岩屋駐車場のトイレ前に設置されている箱の中にあります。)

岩が割れています❕

こうなってくると、大人気アニメ(マンガ)「鬼滅の刃」のワンシーン、主人公の竈門炭治郎(かまど たんじろう) が修行中に巨岩を刀で割るというあのシーンを思い出す人も多いのではないでしょうか?今日の「鬼滅の刃」ブームのためなのか、日本各地で割れた巨岩がSNSでアップされています。岩屋の「汐差岩」もぜひ仲間に入れてほしいものです(^-^) 
※岩屋エリアには、鬼城山の鬼ノ城が近いためか「鬼の○○岩」等、鬼絡みのものがいくつかあります。

汐差岩からの眺め

次に、汐差岩のすぐ側にある「方位岩」です。とても気になるネーミングです。方位が分かる岩なのでしょうか? 

巨岩の上に、特徴的な形をした岩が乗っています。

スマホのコンパス機能で、方位を調べてみましたが、きちっと方角を示しているというわけではありませんでした。筆者がよく解ってないだけなのかもしれませんが…。多分、巨岩の上に岩がポンと乗っているこの様子が、方位磁針(羅針盤)に似ているということなのかなと。

「鬼ノ城」の築城年は推定で7世紀後半頃ではないかと言われています。この辺りの奇岩・巨岩の名称もその頃から付けられていたとすると、方位磁針の形状も現在のものとは当然異なっているはずなので、ちょっと調べてみました。

出典:Wikipedia   復元された漢代の羅針盤

復元された漢代の羅針盤です。スプーンのようなものが乗っています。そして漢代からすでに羅針盤はあったようですね。前漢は紀元前206年~8年、後漢は25年~220年なので、何れにしても随分昔から四角い板状のもの(方位盤)の上にスプーン状の天然磁石が乗った羅針盤が存在していたということですよね。
ちょっと方位岩の形状に近付いたような気もするのですが…。

さらに調べると、3世紀頃から中国国内では、磁力を持った針を木片に埋め込んだ「指南魚(魚 の口の部分が南を向くようにつくられていて、文字通り、南を指す魚というものが使われていたようです。
魚! 形状がさらに近付いたと感じるのは筆者だけでしょうか?

「方位岩」は、前出の「岩屋案内図」には記されていませんが、「汐差岩」と並んで位置していますので必見です👍

「鬼ノ城」エリアだけでなく、「岩屋」エリアも色々見どころ満載ですので、少しずつ紹介したいと思います。

番外編:熱帯魚スファエリクティス・バイランティの「眼」

以前から、バイランティの眼には線があるなぁと思っていました。

これだと、どこに眼があるのか分かりませんよね。
次の写真だと、少し眼が傾いているので分かりやすいかもしれません。

筆者が飼育している他の魚たちには、眼の中に線などは無く、いわゆる普通の眼をしています。ちょっと不思議に思ったので調べてみました。

どうやら、大事な器官である「眼」を、敵の攻撃から守るためにカモフラージュしている、ということのようです。

他に、眼に線のある魚はいないでしょうか?
有名どころでは、次の魚です。

出典:Wikipedia  チョウチョウウオ

海水魚のチョウチョウウオです。 黒色の模様の中に黒色の眼。 これはもう、どこに眼があるのか分かりませんよね。

       

ところで、次の写真を見てみてください👇

ヒレが閉じられているのが分かるでしょうか?とてもスリムな印象です。尾ビレはあまり変化していないように見えますが、この半分ぐらいになったりもします。バイランティはヒレを閉じて細ーくなる時があるということが言いたいわけです。 フクロウ(アフリカオオコノハズク)がびっくりすると細くなるあの感じに似ていると思います。

そして、黄色で囲んだ部分に黒色の斑点模様があるのが分かるでしょうか?想像してみてください。尾ビレがもっと口ばしのように細くなってこの位置に黒の斑点、こうれはもう「眼」にしか見えないと思いませんか? つまり、バイランティの本来の眼と黒の斑点模様、どちらが本物の眼(頭)なのか分からなくなるということです。
これは魚の「眼状紋(がんじょうもん)」だと思います。(※眼状紋とは、動物の体に見られる眼のように見える模様のことです。)もちろん、大事な器官である「眼」を守るためのもので、魚類の他にも様々な生き物に見られます。

海水魚でこんな魚がいます👇

出典:Wikipedia クロホシイシモチ

この魚の眼状紋は分かりやすいですね。口から眼の辺りにも線があって、なんだかそういう意味ではバイランティと似ています。海の魚ですけど。

    

バイランティは、おとなしい魚なので、確かに攻撃されやす魚なのかもしれません。でも、眼の中に線があったり、状況によって体色を変化させてみたり、体を細ーくしてみたり、眼状紋を装備したりと、実はなかなか頑丈な体のつくりをしている魚なのではないかと思い始めました。奥深いバイランティ。素晴らしい✨