えびす通りの「えびす饅頭」

全国で見られるこの和菓子👇

地域によって呼ばれ方が異なっているのは周知の通りです。大判焼き、今川焼き、回転焼き、御座候(ござそうろう)、その他色々です。※倉敷では夫婦饅頭(フーマン)と呼ばれることもあります。

倉敷駅前商店街の「えびす通り」に、古くからこの和菓子を売っているお店があります。

「えびす通り」の「えびす饅頭」です。

倉敷、特に美観地区周辺では、この和菓子のことを「えびす饅頭」と呼びます。中のあんは、自家製粒あん1種類のみです。白あんやクリーム等が入っているものも見かけますが、えびす饅頭は粒あん一択です。このあんがいつ食べても同じ味で、いつも美味しい✨

お店の場所は、阿智神社西参道の入り口付近です。

通りの写真👆の向かって左上にお店がチラッと写っています。道路上に「えびす」の文字が見えます。ここまでがえびす通りとなっています。えびす通りを抜けてすぐ左が阿智神社西参道入り口、直進すれば美観地区です。えびす饅頭を食べながら歩く観光者の姿をよく見かけます(^-^)

えびす通り入り口

筆者は帰宅して食べました。

いつもの粒あんがぎっしり詰まっていて、いつものように美味しかったです。今回、お!っと思ったのが、紙袋のテープです。えびす饅頭のロゴ入りのマスキングテープになっていました。以前はセロテープか輪ゴムだったような…。あまり意識したことがなかったのでよく覚えてないのですが、このマスキングテープではなかったことは確かです。

ここでお知らせがあります。「えびす饅頭」は一年中食べられるわけではないんです。夏場はお休みです。注意しなくてはなりません。多分、ゴールデンウイークあたりまでの営業で、再開するのは9月の終わり頃だったと思います。コロナ禍でもあるので、最新の情報をチェックしてお出かけ下さい。(※今回筆者が購入したのは2022年2月24日です。)

大原美術館:『踊り子たち(黄色の地)』レジェ

筆者の好きなリトグラフ(石版画)作品です。

大原美術館
フェルナン・レジェ(1881-1955)
『踊り子たち(黄色の地)』1954

【鑑賞の小ネタ】
・フランスの画家
・キュビスム(立体派)とされる
・ピカソやブラックと交流あり
・壁画や舞台装置も手掛ける

フェルナン・レジェの最晩年の作品です。作品名が『踊り子たち(黄色の地)』となっているので、きっとこの黄色にこだわりがあったはず。色って、同じ色でも様々なバリエーションがあるものですよね。(余談:幼少期の筆者が、塗り絵など何か色を塗る時、最も大事にしていた色は黄色でした。中でも、少し発色の暗めなこのタイプの黄色は今でも大好きです。) 過去に『踊り子たち(黄色の地)』 を鑑賞したことがあるのですが、前出の画像の黄色は、かなり実物に近い色味になっていると思います。
ちなみに、筆者が好きな画家ロートレック(過去記事:ロートレックとボナールのポスター(リトグラフ))のリトグラフでも、このタイプの黄色がよく使用されているように思います👇

pai90
『ディヴァン・ジャポネ』1892
トゥールーズ=ロートレック (1864-1901)

黄色推しの話が少々くどくなってしまいました。レジェの作品に戻ります。
同じような構図の別バージョンを見つけましたので紹介します👇

『Dancers with Birds』1953-1954

バックの色がオレンジですね。その他大きな違いといえば、鳥(鳩?)が2羽います。そして向かって右下にビーチボールサイズの玉らしきものが出現しています。また、かなり細かい指摘になりますが、後方の男性ダンサーの手に注目してみてください。左手は2作品ともしっかり確認できます。右手はどうでしょう? 大原美術館の『踊り子たち(黄色の地)』 では、中央の小柄な女性ダンサーの頭の上あたりに確認できますが、『Dancers with Birds』 の方では見当たらないように思います。片手で女性ダンサーを抱えているのでしょうか? だからどうしたという話なのですが、気になり始めると気になるものです。絵の中で見つけた「?」は、絵画鑑賞の楽しみの1つになると筆者は思っています。特に深い意味がなくても「?」は大事だと思います(^-^)

『踊り子たち(黄色の地)』 と同じ制作年の『グレートパレード』という作品がありました。こちらです。

『グレートパレード 』1954

この作品にも、男性ダンサーが女性ダンサーを抱えている姿が中央に見えますね。9年前の作品にも、似たような2人が中央にいます👇

『アクロバットとミュージシャン』1945

この2人が誰なのか分からないのですが、思い入れのあるポーズと2人だったのかもしれませんね。

レジェは、セザンヌの表現に感銘し、後にピカソブラックらとキュビスム(立体派)に参加しています。そして、前衛的な美術運動にふれながらも独自の様式を探求しました。自然の風景よりも、人や機械文明に関心があったようで、作品には多くの人々が登場しています。『グレートパレード』を見てみると、なんだか絵全体が機械のように見えなくもないですよね。キュビスムとはまた一味違った、レジェ独自の様式を確立していったのが分かります。

モランディの静物画

筆者が所有しているポスターの中に、モランディの作品がいくつかあります。

ジョルジョ・モランディ(1890-1964)
『静物』1918または1929
『静物』1939
『静物』1950

筆者はこの色合いがとても好きです。温かみのある気持ちが落ち着く絶妙な色だと思っています。

ジョルジョ・モランディ(1890-1964)は、20世紀前半に活躍したイタリアの画家です。静物画を中心に独自の芸術を探求しました。瓶や水差し、お椀や缶などの容器類を主なモチーフとしていて、自分好みの色や構図で描き続けました。

NHKの芸術番組「日曜美術館」で、モランディが取り上げられたことがあります。題目が興味深く、「埃(ほこり)まで描いた男~不思議な画家・モランディ~」でした。モランディの描く容器類は、ツルツルギラギラしていなくて、全体的にマット(ツヤなし)な印象を受けます。この色合いは、埃(ほこり)からくるものだったのかと感心しました。モランディの絵を見ていると、なんとなくノスタルジックな気分になるのはそのためだったのかもしれませんね。

モランディの写真はこちら👇

出典:Wikipedia ジョルジュ・モランディ

想像していたよりもかなり個性的な感じでした。しかも、なんとなく見た目がピカソに似ているような…。パブロ・ピカソ(1881-1973)とほぼ同じ時代に生きた画家なので、何か関係があるかのと思い調べてみると、二人は対照的な画家として取り上げられていました。TV TOKYOの芸術番組「美の巨人たち」では、「変化し続けた画家ピカソ」「繰り返した画家モランディ」として紹介されていました。なるほどと納得したのですが、なんとモランディはピカソの絵に対して「いつも同じで退屈」と評したというではありませんか!ピカソは様々な芸術に取り組み、画風も変化し続けたことで有名な画家であるはずなのですが、モランディ的には違った見方をしていたということでしょうね。これはかなり奥深い…。同じように見えて同じではないモチーフに対するモランディのこだわり、ポリシーを感じます。

次の作品2点は、とてもよく似ています👇

モチーフはほぼ同じで、配置や色を少し変えて描いています。よく見ると、描く目線も微妙に違っているのが分かります。確かに、同じではありませんね。

モランディは、イタリアのボローニャに生まれ、その生涯のほとんどをボローニャとボローニャ近郊の避暑地で過ごしたそうです。生涯独身で、生活の面倒は主に3人の妹たちが見ていたということです。限られた空間の中で、じっくり対象と向き合った人生だったのではないでしょうか。穏やかな温かい作風の中に、ブレない独自の世界観を感じますね。

美観地区の『前神樋門』

美観地区の『高砂橋』(投稿記事、美観地区の『高砂橋』)の上から倉敷川周辺を眺めている時に気が付きました。

『前神樋門』と『前神橋』

写真👆奥に写っている欄干が特徴的な橋は『前神橋』(過去記事、美観地区の『前神橋』)です。手前の樋門(ひもん)の造形が見事だなぁと思いながら眺めていた時のことです。(※この樋門は美観地区を流れる倉敷川の水位を調節しています。)

『前神樋門』

車のハンドルみたいなのが2つあるのが分かるでしょうか? どうも普通の形ではない感じがしたので近くに寄って見てみることにしました。立派な石の階段がちゃんとありましたので。

なんとの彫刻が施されているではありませんか! 『今橋』(過去記事、美観地区の『今橋』)や『前神橋』(過去記事、美観地区の『前神橋』)に、龍がデザインされているのは過去記事で紹介した通りなのですが、ここにも龍がいたんですね✨

「前神樋門」「竣工 昭和六十三年三月」となっています。比較的新しいものなのに、コンクリートではなく石造りで、しかもハンドル部分には龍の彫刻が施されているんです。きっと美観地区に馴染むよう設計されたものなんでしょうね。違和感なくバッチリ溶け込んでいました👍

大事に保存、管理されている倉敷美観地区です(^-^)

大原美術館:芝生の中の彫刻(分館前)

大原美術館の分館前には、手入れの行き届いた芝生が広がっています。今は冬なのでこの色ですが、夏には綺麗な緑を一面に見ることができます。

2022年1月撮影 大原美術館分館前

分館はコロナの影響で現在も休館中です。

芝生の中にはいくつかの彫刻が野外展示されています。敷地の東と西にある門が閉まるまでは、自由に鑑賞することができます。

まずはこちら。

大原美術館
ヘンリー・ムーア(1898-1986)
『横たわる母と子』1975-76年
ブロンズ

ヘンリー・ムーアはイギリスの彫刻家です。「母と子」をテーマに多くの作品を制作しています。「横たわる像」もムーアのテーマだったようです。古代彫刻に関心を示し、中でもメキシコのマヤ文明の遺跡から出土した「チャック・モール」から大きな影響を受けたようです。チャック・モールとは、人(神?)が横たわっている人物像のことです。

         

大原美術館
イサム・ノグチ(1904-1988)
『山つくり』1982

イサム・ノグチの父は詩人の野口米次郎、母はアメリカ人作家で教師のレオニー・ギルモアです。父親との関係は複雑で、イサムは愛に飢えていました。
コロンビア大学の医学部に進学しましが、あの野口英世から野口米次郎は素晴らしい作家であることを聞かされ、すぐ大学を退学し、レオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校に入学したそうです。父親に対する憧れもあったようです。
また、美術の教科書にも載っているフリーダ・カーロ(1907年-1954年、メキシコの画家)と大恋愛をし、1951年には女優の山口淑子(李香蘭)と結婚しています。5年ほどで離婚していますが、世界各地を旅したりと国際色豊かなものだったようです。
それにしてもイサム・ノグチのまわりはビッグネームだらけですよね。

                      

大原美術館
津久井利彰(1935- )
『樹に染まり』1994

ステンレスで制作されています。設置当時はここまで植物が茂っていなかったと思います。月日が流れ、いい感じになっていますよね。色々調べていると『樹に染まり96』という作品が東京都の港区乃木公園にあるのを見つけました。同じくステンレス製で、ジャングルジムのような形状の作品の上に、蔓状の植物が乗っています。
ステンレスと植物のコラボはどうでしょう? 一見、鉄と植物ということでミスマッチのような気がしないでもなかったのですが、見ているとだんだんしっくりくるのが不思議です。

                   

大原美術館
速水史郎(1927― )
『道標』1987、1999年
御影石

速水史郎は香川県多度津町出身の彫刻家・造形作家です。『道標(みちしるべ)』という作品なんですが、よく見ると、本館・工芸館・東洋館と分館の方向を示す、まさに道標となっているのが分かります。芝生内の丸みを帯びた黒い彫刻も速水史郎の作品です。筆者は、瀬戸内海に浮かぶ島のようだなと思いました。ちなみに、香川県の高松市中央公園には『SANUKI』という形状のよく似た作品が野外展示されています。

        

大原美術館
木村賢太郎(1928― )
『祈り』1986
御影石

頭(こうべ)を垂れて、合掌しているのが分かるでしょうか? サイズも比較的小さめということもあり、筆者にはとてもかわいく見えました。作品『祈り』は、素材やサイズなどが違うものも含めると、他にも結構あるようです。
東京国立近代美術館には、『祈り6』『祈り7』という大原美術館の『祈り』ととてもよく似た作品が所蔵されています。制作年がどちらも1993年となっているので、大原美術館の『祈り』の方が早い時期に制作されていますね。

   

敷地の門が開いている時は自由に鑑賞しても大丈夫なので、ぜひ。