番外編:すごい存在感のネオンドワーフレインボー

暗い中でもこの存在感👇

真ん中あたりで青く輝くネオンドワーフレインボー。この状態では他の小魚たちは確認できません。ライトをつけると、

こんな感じです。
小魚たちは上層部をチョロチョロ泳いでいます。何れにしても、ネオンドワーフレインボーばかりが目立つ水槽となっています。(※水槽のサイズは60㎝水槽です。ネオンドワーフレインボーの大きさが何となく分かっていただけるかなと。8㎝くらいはあると思います。)

ネオンドワーフレインボーのブログ初登場は、2020年8月です。もう3年が過ぎました。寿命は約2~3年で、体長は約4~6㎝とされていますので、飼育者としては満足の仕上がりです。

3年もの間には、色んな混泳向きの小魚たちが出入りしました。現在の小魚最大派閥はアフリカンランプアイ(目が青いメダカのような熱帯魚)です。といっても5匹ですが。

ネオンドワーフレインボーの顔は相変わらずいかつく、時々小魚たちを追いかけまわしています。色々ちょっと微妙ですが、今となっては水槽の主のような存在となっていますで、このまま優雅に過ごしてもらえたらと思っています(^-^)

ちなみにエサは、【テトラミン スーパー すべての熱帯魚の主食】です。フレーク状のエサなので、水面にしばらく浮いてゆっくり降下して行きます。率先してバクバク食べているのはもちろんネオンドワーフレインボーです。

番外編:会えそうで会えない甲虫

暑い日が続いております。筆者の散歩コースは美観地区なので、建物や樹木の日陰を見つけてはそこを歩くようにしています。同じことを考える人(主に女性)は思いのほか多くいて、つい最近、軒下を10人くらいが一列に並んで歩いているのを見かけました。日除け目的で瞬間的に出来上がった一糸乱れぬ隊列は、ちょっとシュールでした。筆者も加わればよかったです。

そんなことをボーッと考えながら歩いていた時、足元で何かがキラッと光ったような気がして近寄って見てみました👇

アカガネサルハムシ

虹色のテントウムシって感じの虫がいました。体長は7~8mmくらいのとても小さな甲虫で、筆者は初めてお目にかかりました。調べてみると、アカガネサルハムシという虫でした。この虫は昼行性で、ブドウの害虫として広く知られているそうです。特に珍しい虫ではないようですが、すぐに見つけられるという虫でもない感じです。

          

次の虫は道路を横切っていました👇

コカブトムシ

阿智神社の参道で見つけました。車が通る道を横切っていたので、危なくない場所に移動させて写真を撮りました。一見、黒いカナブンにしか見えませんが、よく見ると、頭の辺りに窪みがあります。これがこの虫の最大の特徴で、コカブトムシで間違いなしです。しかも窪みがはっきり確認できるのでオスです。

幼虫の時は広葉樹の朽ち木などを食べますが、成虫になると肉食で、幼虫や死骸などを食べます。食物連鎖の大事な部分を担っている虫というわけですね。全国的に生息する虫ではありますが、減少傾向にあるようです。

    

そして、久しぶりに会えました👇

タマムシ

タマムシです。法隆寺宝物「玉虫厨子」の装飾として使用されていることは有名ですね。本来警戒心の強い虫のようですが、なぜか阿智神社の参道をヒョコヒョコ歩いていました。よく見ると背中が少しへこんでいるのが分かります。いつの段階か不明ですが、多分ケガをしていたのだと思います。

筆者にさんざん写真を撮られた後、タマムシは歩いて草むらへ消えて行きました。

   

虫を見つけようとするとなかなか見つけられなかったりするものですが、あまりギラギラせず、平常心で散歩していたら、案外、会えるものだなぁと思いました。阿智神社が鎮座する鶴形山(標高40メートル)の存在も大きいですけどね。丘のような低い山ではありますが、色んな生き物が生息しています(^-^)

   

【おまけ】
甲虫ではないのですが、頭まで真っ赤でとてもきれいでした👇

ショウジョウトンボ

多分ショウジョウトンボだと思います。どう見てもアカトンボなのですが、アカトンボではないそうです。初夏から夏にかけて見られるということで、美観地区内の倉敷川沿いで見つけました。

大原美術館:『習作』坂田一男

アースカラー(大地や海、植物など地球を感じさせる自然の色)を基調とした、とても落ち着いた雰囲気のある作品だなと思いました。

大原美術館
坂田一男(1889-1956)
『習作』1926

【鑑賞の小ネタ】
・岡山市出身
・フェルナン.レジェの教室で学ぶ
・ル.コルビュジェと交友

何を描いている作品なのでしょうか? 筆者的には、何かの装置の内部(機械部分)を表現しているように見えます。色は自然(地球)をイメージさせるアースカラーなのに、描いているものは無機質な装置(機械)。このミスマッチがなんとも絶妙ではありませんか。

中央に位置するダークグレーの柱のような細長い長方形が、左右を分断しているように見えます。一番地味な色なのにこの存在感。何か意味がありそうですね。
他にも画面の中央に柱が描かれているものはないか探してみると、ありました👇

倉敷市立美術館
坂田一男
『コンポジション(顔と壺)』1926頃

この中央の柱のようなものが有るか無いかで、絵の印象が随分違ってきます。左右を分断しているように見えて、実は、繋げているのかもしれませんね。そして、柱のおかげで安定感が増し、全体的におさまりが良くなっているような気もします。思い切って中央に配置したかのように見えるこの柱は、何かと効果的に働いているのではないでしょうか。

ところで、坂田はフェルナン・レジェ(過去記事、大原美術館:『踊り子たち(黄色の地)』レジェ)に師事しています。こちらはレジェの静物画👇

フェルナン・レジェ(1881-1955)
『ビールマグカップの静物画』1921

坂田が影響を受けているのがよく分かります。レジェはキュビスムの画家ということになっていますが、一般によくイメージされるキュビスム(ピカソやブラックらのキュビスム)とは、少し雰囲気が違いますよね。前出の坂田の2点の作品も、ちょっと違うように思います。

とはいえ、坂田のキュビズムらしい作品もあります👇

岡山県立美術館
坂田一男
『キュビスム的人物像』1925

制作年が大原美術館の『習作』の1年前、1925年となっています。キュビスム的作風から、レジェの影響を受けつつ、坂田のスタイルが確立していったということでしょうか?

また、坂田はあの有名な建築家ル・コルビュジエとも交流しています。建築家のイメージの強いル・コルビュジエですが、絵画作品もあるんです👇

ル・コルビュジエ(1887-1965)
『静物』1920

いかがでしょう?
色合い等、坂田の絵画、前出の『習作』や『コンポジション(顔と壺)』の雰囲気にとても似ているように思います。レジェだけでなく、ル・コルビュジエの影響も大きかったことがうかがえます。

ル・コルビュジエの初期は、ピュリスム(純粋主義)の画家として前衛芸術運動にも関わっていたそうです。ピュリスムとは、装飾性・幻想性・作家の個性などに影響されず、シンプルで幾何学的な形(立方体や円筒形)で表現することにより、普遍的な秩序と調和のとれた美を目指すというものです。フランスで展開されたピュリスムの絵画運動は、1918年から1925年という短期間ではありましたが、坂田に衝撃を与えたことでしょう。筆者的には、坂田はキュビスムよりピュリスムの影響を強く受けた画家という認識です。

キュビスムピュリスムを意識しながら鑑賞するのも良いかもしれませんね(^-^)

     

【おまけ】
『習作』をよく見ると、坂田のサインが書かれているのが分かります。サインがあるということは 、「習作」ではなく「完成作品」ではないのか?ということに言及した記述をどこかで見たことがあります。どうなんでしょうね。

大原美術館:『信仰の悲しみ』関根正二

5人の女性たちが歩いていますね。何の行進なんでしょう?

大原美術館
関根正二(1899-1919)
『信仰の悲しみ』1918

【鑑賞の小ネタ】
・関根正二は20歳にして夭折
・小学校の同級生に伊東深水
・見えないものが見える幻視者
・亡くなる前年の作品
・国指定重要文化財作品

透け感のあるドレスとバサーッとしたヘアスタイルにまず目が行きました。そして、よく見るとみんな何か持っているようです。花なのか果物なのか。全体的に少し不気味な印象でしたが、ドレスの色が明るめだったり、持ち物(花や果物)の色が赤や黄色なので、案外楽しい行進なのかも?と思ったり。

関根正二は20歳で夭折した天才的画家です。『信仰の悲しみ』は、第五回二科展に出品され、樗牛(ちょぎゅう)賞を受けています。(※樗牛賞は二科展の新人賞)
この頃の関根は極度の神経衰弱と精神錯乱に陥っていたようで、様々な暗示や幻影がはっきり見えていたそうです。

この絵について彼は、「朝夕孤独の淋しさに何物かに祈る心地になる時、ああした女が三人又五人、私の目の前に現れるのです」と述べている。

大原美術館名作選 監修 高階秀爾

精神的にかなり不安定だったことがうかがえます。

この絵は、あてもなく日比谷公園を歩いているとき、公衆便所から女がたくさん出てくる幻影を見たところを描いたものといわれています。関根はこの作品を二科展に出品する前、同級生の伊東深水(大正昭和期の浮世絵師・日本画家・版画家。娘に女優の朝丘雪路がいる。)に見せに行ったそうです。深水に画題をたずねられ、『楽しい国土』と関根は言いましたが、深水から「いかにも宗教画という感じ」「楽しいというより、悲しみのどん底にいるような絵じゃないか」と言われ、『信仰の悲しみ』と題して出品したと伝えられています。(参考資料:三重県立美術館HP)

関根的には、『楽しい国土』だったんですね! 楽しいのか悲しいのか判断が難しいわけです。

この頃の宗教的絵画作品が他にもありました👇

福島県立美術館
関根正二
『神の祈り』1918年頃

『神の祈り』という題名は、関根の没後につけられた可能性が高いとありました。後ろを歩く女性の頭に円光(えんこう、仏・菩薩の頭の後方から放たれる光の輪。後光。)があるので、この女性がこの世の人ではないことは分かります。では、前を歩く女性はどうなんでしょう?髪が整えられているように見えます。円光もないので、神ではなく人なんでしょうか? 

関根について調べていると、幻視・幻影という言葉をよく目にします。幻想や空想ではなく、「本人にとっては見えている」ということを強調しているように感じます。頭の中で想像してそれを絵にしているのとは違うんですね。本人的には実際に見えているものを描いているわけで、現実と非現実の区別がつかない中、関根もさぞかし混乱したことと思います。

ところで、「幻影」で思い出しました。ゴーギャン『布教のあとの幻影』です👇

スコットランド国立美術館
ポール・ゴーギャン(1848-1903)
『布教のあとの幻影』1888

手前に描かれている女性信徒達は、教会の布教を受けた後、幻影を見ました。それは、聖徒ヤコブと天使がレスリングするという一幕(聖書に書かれている一場面)です。これはゴーギャンが見た幻影ではなく、女性信徒達が見た幻影ということなので、関根の場合とはちょっと状況が違いますね。

   

宗教画は、神や聖人、霊的な存在等を描くことが多いので、実際にそれらを見ながら描くということは難しいと思われます。画家は、自らの想像や空想、インスピレーションにより作品を仕上げるということになりそうです。そうしてみると、関根の幻視・幻影による宗教画はもしかしたら珍しいのかもしれません。関根的には実際に見えているものを描いているわけですから。 ただし、関根自身は、宗教画を描いたつもりは なかったのではないかと筆者は思います。『信仰の悲しみ』は関根的には『楽しい国土』、『神の祈り』は関根の没後付けられた題名の可能性大ということなので「二人の歩く女性」でもよかったかもしれませんし。そうなると宗教画と断定するのは難しいのではないでしょうか。

現在『信仰の悲しみ』は、分館長期休館中のためか本館に展示されています。3室エル・グレコ『受胎告知』の次の部屋、4室に展示中です。『信仰の悲しみ』のこの様子が、関根には実際見えていたんだなぁという思いで鑑賞すると、見え方がまた変わるかもしれませんね。

エンジェルとキューピッド

エンジェル(天使)キューピッド、見た目がなんだか似た感じです。もしかしたら、同じ存在と認識している人も多いかもしれませんね。

大原美術館の天使といえば、やはりエル・グレコの『受胎告知』の中に描かれている大天使ガブリエルでしょうか?👇(過去記事、大原美術館:『受胎告知』エル・グレコ

大原美術館
エル・グレコ(ドメニコス・テオトコプーロス)
『受胎告知』(1590年頃~1603年)

そしてこちらは、レンブラントの『ヴィーナスとキューピッド』です👇

ルーブル美術館
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)
『ヴィーナスとキューピッド』(1640年~1660年頃)

天使にもキューピッドにも共通して羽があります。ただ、大天使ガブリエルの羽は、羽というよりは翼って感じですね。

ところで、ヴィーナスとキューピッドはとても親しそうに見えます。それもそのはず、親子なんです。キューピッドの性別は男性ということなので、息子ですね。キューピッドはローマ神話の恋の神クピドの英語名で、ギリシャ神話のエロスに当たります。つまり、神話の中の神に分類されるというわけです。(※ヴィーナスはローマ神話の菜園の女神ウェヌスの英語名。ギリシャ神話の美と愛の女神アフロディテと同一視される。)

では、天使(エンジェル)はどうでしょう?その名の通り神の使いで、「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典や伝承に登場する神の使い(Wikipediaより)」ということでした。そして、立ち位置的には、神々と人間の中間の霊的存在らしいので、神そのものではないようですね。(※ただし、旧約聖書の「神の使い」の中には神として書かれているものがある。)また、性別はないとされています。見た目の年齢にも幅があるようで、バリエーションに富んだ天使を多くの画家が描いています。

そうしてみると、キューピッドは幼い男の子で描かれることが多いような気がします。がっつり成人した姿のキューピッドはあまり見かけませんよね。少年~青年くらいのキューピッドは時々見かけますが👇 (※アモル(Amor)はラテン語でキューピッドのこと)

ルーブル美術館
フランソワ・ジェラール(1770-1837)
『アモルとプシュケ』1798

また、キューピッドの最大の特徴はその持ち物で、最も有名なのは弓矢と矢筒です。レンブラントの『ヴィ―ナスとキューピッド』の方は、筆者にはちょっと確認できませんでしたが、フランソワ・ジュラ―ルの『アモルとプフュケ』の方は、アモル(キューピッド)が両方しっかり装備しているのを確認できると思います。

      

【エンジェル(天使)】
・基本的に神ではなく神の使い
・性別はない
・主にキリスト教絵画に登場

【キューピッド】
・神話の中の
・性別は男性
・女神ヴィーナスの息子
・弓矢や矢筒を持つ

名画によく描かれるエンジェルとキューピッド。違いを少し頭に入れておくと、理解が深まるかもしれませんね(^-^)