大原美術館:『二人のブルターニュ人と青い鳥』セリュジエ ~その1~

高貴な女性に青い鳥、物語の一場面のような絵だなと思いました。

大原美術館
ポール・セリュジエ(1864-1927)
『二人のブルターニュ人と青い鳥』1919

【鑑賞の小ネタ】
・ナビ派の画家
・ゴーギャンから指導を受ける
・ブルターニュにゆかりのある画家

ポール・セリュジエナビ派(ポスト印象派の流れをくむフランスで活動した芸術集団)の画家です。ナビ派は、セリュジエがブルターニュ地方のポン・タヴェンを訪れ、ゴーギャンから指導を受けたことから始まったと言われています。ピエール・ボナール(過去記事、大原美術館:『欄干の猫』ボナールエドゥアール・ヴュイヤール(過去記事、大原美術館:『薯をむくヴュイヤール夫人』ヴュイヤール)、モーリス・ドニ(過去記事、大原美術館:『波』ドニ)もナビ派の画家です。こうしてみると、大原美術館はナビ派の画家の作品が充実してますね。

この二人のブルターニュ人、見るからにただものではない感じがします。現代、近代ではなく、中世の高貴な女性っぽく見えませんか? その理由の1つに、額の広さがあります。二人のブルターニュ人の額の生え際に注目してみてください。結構後退しているように見えませんか?14世紀~16世紀のルネサンス期の女性たちにとって、額の広さは美しさの大事な条件だったのです。(額を広く見せるため、脱毛までしていたようですョ。)

その他、昔の高貴な女性は外出時に手袋をしていたことや豪華なコアフ(髪型、かぶり物、髪飾りのこと)等、中世の高貴な女性(特に向かって右の赤い衣装の女性)の特徴を色々と確認できます。

同時期に描かれた似たような作品を見つけました👇

ブレスト美術館
『黄金のネックレスを持つ2人のブルトン人』1917~1920

こちらもやはり、右側の赤い衣装の女性がかなり高貴なご様子です。コアフも金色で豪華ですね。また、背景の葉っぱの緑、その中の青く抜けたところ等、大原美術館のものとよく似ていると思います。制作年に幅があるので微妙ではありますが、こちらの作品の方が先に描かれたのではないかと筆者は思っています。(※ブルトン人とはブルターニュ地方に主として暮らすケルト系民族のこと。ブルターニュ人、ブレイス人ともいう。)

前出2作品に共通する右側の高貴な女性はいったい誰なのかとても気になります。色々調べていたら、こちらの作品を見つけました👇

ヤマザキマザック美術館
『ブルターニュのアンヌ女公への礼賛』1922

ブルターニュのアンヌ女公とあります。コアフの形状が違いますが、前出の赤い衣装の高貴な女性と様子がよく似ていると思います。アンヌ女公なんでしょうか?

アンヌ女公とは、アンヌ・ド・ブルターニュ(1477-1514)のことで、ブルターニュ公国最後の公です。隣国から公国の独立を守ろうとした人物で、ブルトン人の記憶の中で生き続けている女公のようです。
アンヌが生きた同時代の画家の作品がこちら👇

ジャン・ブルディション(1457-1521)
『「アンヌ・ド・ブルターニュの大冒険」の一部』1503年頃~1508年頃

様々な記録から、アンヌ女公は美しく強い女性で、ブルターニュ人にとってかなり人気のある歴史的人物であることが分かりました。その名が建物や通りの名前に使われたり、近年になっても新しく銅像が作られたりする等、その人気は現在でも衰えていない様子です。

セリュジエはブルターニュの歴史に興味を持っていたそうなので、アンヌ・ド・ブルターニュについて当然知っていたと思います。これらのことにより、「二人のブルターニュ人(ブルトン人)」の右側の赤い衣装の高貴な女性は、アンヌ女公だったらいいなぁと筆者は思っています。

ちなみに、多分セリュジエが生きた同時代のブルターニュ人を描いたと思われる作品がこちら👇

カンペール美術館
『水瓶を持つブルターニュの若い女性』1892 

19世紀後半の目の前にいる働く女性たちを描いた感じがします。もしかしたら、この作品も中世の女性なのかもしれませんが、前出3作品とは様子が随分違いますよね。

      

~その2へつづく~

倉敷屏風祭

毎年この頃、倉敷美観地区周辺で開催される「倉敷屏風祭」。
今年は2023年10月14日(土)、15日(日)でした。
いくつか紹介したいと思います。

奥の方に屛風が見えます👇

2023年10月14日撮影
語らい座 大原本邸(旧大原家住宅)
2023年10月14日撮影 
棟方志功(1903-1975)
『花鳥童子図』1941

大原孫三郎(1880-1943)と息子の總一郎(1909-1968)は、棟方志功と親交が深かったようです。この作品は、もとは襖絵だったものを後年切り取って屏風に仕立てたそうです。

次は「倉敷物語館」です👇

2023年10月14日撮影
松林桂月(1876-1963)
『幽山狐村図』

大きな屏風でした。

そして「林源十郎商店」のショーウインドウ👇

2023年10月14日撮影

       

年代物の屏風たちが美観地区のあちらこちらで展示されている中、現代の屏風も👇

2023年10月12日撮影
日本郷土玩具館のショーウインドウ

屏風と共に、丸いガラスがディスプレイされているのが分かるでしょうか?こちらは、ガラス作家のオカベマキコさんが手掛けたものです。夕方から夜にかけての様子はさらに素晴らしかったです。

2023年10月12日撮影

        

【おまけ】
白鳥が上手に乗っていました👇

外国の小さな男の子2人が「スワン!」「ダッキー!」と言い合いをしていて、とても微笑ましかったです(^-^)

大原美術館:『A』パウル・クレー

一見、抽象画っぽいですが、形ある何かを描いているようでもあります。

大原美術館
パウル・クレー(1879-1940)
『A』1923

【鑑賞の小ネタ】
・スイス出身の画家
・色んな「形」が描き込まれている。
・この絵は風景画なのか?
・「A」は何を意味しているのか?

この作品について、「ジャンルは風景画」と解説している文書を筆者はどこかで見たことがあります。もしそうだとすると、どこの風景なのでしょう?筆者の第一印象では、向かって左側がどこかの風景に見えるのですが、どうでしょう? その他気が付いたことをいくつか挙げてみます。絵の上部に、アルファベットの「A」と十字か✖の文字、そしてその下には渦巻と何か爆発したような放射状の線が描かれています。中央付近に、PKと読める文字があるのが分かるでしょうか?パウル・クレーの頭文字なのかもしれませんね。中心の黄色い〇は月でしょうか?左上に赤い〇もありますね。太陽かな?黒い線の螺旋(らせん)と黒色の〇はなんだか爆弾が飛んで来ているようにも見えます。

『A』の制昨年は1923年で、第一次世界大戦(1914年~1918年)後ということになります。大戦には多くの芸術家も兵士として動員されました。クレーは1916年-1918年までドイツ軍に従軍しています。この大戦で、友人(ドイツの画家)のフランツ・マルクアウグスト・マッケが戦死しています。特に親友のマルクの死はクレーに大きな衝撃を与えたようです。戦争体験が作品に影響したとすると、黒い〇は爆弾で、上部の十字と✖は、戦闘機のように見えます。そうなると「A」の下の放射状の線は、爆発を表現したものなのでしょうか?

ところで、クレーはよく絵の中にアルファベットを描き込みます。

バーゼル美術館
『R 別荘』1919

      

ベルン美術館
『窓のある(文字Bの)コンポジション』1919

文字「B」が分かりにくいので、画面を明るくしました👇

      

どの作品のアルファベットも、何か意味のあるものであることは間違いないようですが、二重にも三重にも意味が込められているという見方もあって、アルファベットが指示しているものは結局のところ不明ということで落ち着いているようです。

    

作品『A』について言及している文献を見つけました。

クレーは「月は太陽を夢みる一つの夢だ」という。左方には遠くのびる水平線のなかに回教寺院のクーポラがチェニスの印象を伝える。

藤田慎一郎 編(1999). 大原美術館 岡山文庫

回教寺院とはイスラムの礼拝堂モスクのことで、クーポラとは教会建築などにみられる半球形につくられた天井のこと。そしてチェニスは北アフリカのチュニジア(総人口のほとんどがイスラム教)の首都です。いきなり北アフリカのチュニジアが出てきたので調べてみると、クレーは1914年に友人のモワイエと画家のアウグスト・マッケ(前出、第一次世界大戦で戦死)と旅行に行っていました!この旅行はクレーにとってとても意味のあるものだったようです。自分の修行時代の終わり、一人前の画家になったと確信したそうです。

この説で話を進めると、画面左側の風景は友人たちと行ったチュニジア旅行の風景画ということになりますね。そうなると気になってくるのは、大事な良い思い出の絵の中に描き込まれた不穏な雰囲気の「形」たちです。

みつけました👇

クレーは自筆の作品目録に、この作品のタイトルを「A(大災害の始まり)A(anfang einer Katastrophe)」と記載している。Aは、決して無意味な添え物としてのアルファベットではなく、「大災害の始まり」を暗示するA、きわめて予見的なAなのである。

現代美術作家情報サイト

「A」はアルファベットの最初の文字なので、始まりのAということなのでしょう。何が始まるのか、それは大災害。大災害が具体的に何なのかについてはクレー自身言及していませんが、第一次世界大戦後に描かれた絵なので、大災害とはまた起こるかもしれない戦争だったのではないでしょうか。

様々な思いが交錯する作品です。この絵から何かしら不穏なものを感じるのは当然でしたね。クレー自身が「大災害のはじまり」と記載しているのですから。大災害が何なのかについては、人それぞれ思いを巡らせたら良いのだと思います。なんだったら、アルファベット「A」の解釈についても、別の見方があるかもしれません。例えば、何か固有名詞の頭文字とか。

絵の中に「文字」や「形」を描き込むクレーの作品は想像が膨らみますね。

【おまけ】
クレーの母方の家系をさかのぼると北アフリカの血が混ざっているといわれています。チュニジア旅行と関係あるかもしれませんね。

倉敷川水源付近で見つけたカメ

いつものように美観地区を散歩していると、倉敷川の水位がかなり下がっていることに気づきした。今日は倉敷川の清掃と生き物調査の日だなと思い、水源の方へ早速行ってみました。

2023年9月11日撮影 倉敷川水源付近
2023年9月11日撮影 倉敷川水源付近

水位が下がっているおかげで、水が沸き上がっているのがよく分かりますね!倉敷川の水源(過去記事:倉敷川の水源続・倉敷川の水源)むき出し状態です。

生き物調査の方々が、オイカワやタナゴ等を網ですくってバケツに入れてチェックしていたので、筆者も覗かせてもらいました(^-^) 外来種はほとんどいなかったと思います。

この日から数日後のことです👇

カメが浮かんでいました🐢 スッポンは時々見かけていましたが、このカメはスッポンではありません。甲羅の大きさは12~13㎝くらいで、あまり大きなカメではなかったです。そして何よりも、甲羅の色が黄色!

これはイシガメかもしれないと思い、もっとアップで撮りたかったのですが、筆者のスマホではこれが限界でした。イシガメについては過去記事、倉敷川の生き物~イシガメ編~で、その特徴(甲羅の色が黄色、尻尾が長め等)をちょっと勉強しています。実際に見た感じでは、この2つの特徴には当てはまっていたように思います。

前回のイシガメらしきカメは、美観地区外の倉敷川で見つけましたが、今回は、美観地区内の倉敷川水源近くで見つけました。大きさも前回より小ぶりなので、前回とは別のカメであることは間違いなしです。

イシガメっぽい小ぶりのカメは、少しプカプカ浮いた後、すぐに水の中へ潜って行きました。また出てこないかとしばらく待ちましたが、もう浮かんで来ませんでした。水面に浮いていた時間はほんのわずかだったので、偶然見ることが出来てほんとにラッキーでした。

イシガメだったらいいなぁ。

お出かけ:因島で見えた彩雲

しまなみ海道から因島(いんのしま)へ。(因島は広島県尾道市に属しています。)久しぶりの夜釣りです。昼間はまだまだ暑かったですが、夜は少し涼しかったです。

立ち寄った港で、いいものを見ることが出来ました👇

2023年9月9日夕方 因島の彩雲

彩雲(さいうん)です。虹のような彩雲ではありませんでしたが、一応、彩雲ということで大丈夫だと思います。太陽の位置は、向かって左側になります。

空の様子はみるみる変化して行き、一瞬でしたが、とてもきれいでした(^-^)

彩雲は、仏教ではめでたいことが起こる前触れとされているようです。何か良いことが起こるといいですね。

ちなみに、この日の釣果(ちょうか:釣れた魚の量)は今一でした…。