ムンクの『叫び』と壁画『太陽』

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大原美術館には『叫び』はないのですが、この作品はあまりにも有名なので、ちょっと触れたいと思います。

オスロ国立美術館
エドヴァルト・ムンク (1863-1944)
『叫び』1893

『叫び』は、全5点(テンペラ1893、パステル1893、パステル1895、リトグラフ1895、テンペラ1910?)あります。テンペラとは、混ぜ合わせるという意味のラテン語を語源としていて、顔料を卵や膠(にかわ)などで混ぜ合わせた絵の具を用いる絵画技法のことです。(※ 膠とは、 動物の骨,皮,腱 などを水で煮て抽出したゼラチンを主成分とする物質のことで、粘着剤として使用します。)

作品名にもなっている『叫び』、絵の中の人物が叫んでいるわけではないことを知ってますか?どう見ても、「うぉ~」とか「わぁ~」とか叫んでそうなのですが。「自然を貫く果てしない叫び」に怖れおののいて、耳を塞いでいる姿を描いたものなんです。この人物にはきっと何かが聞こえたのでしょうね。

『叫び』は、ムンクがみた幻覚に基づいて制作されたもので、その時の体験を日記にも残しています。少し抜粋すると、「 ・・・友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。 」  絵の中には、歩道の先に人(友人)の姿も見えますし、耳を塞いでいる人物は、まずムンク自身でいいのではないかと思います。

ちなみに、ムンク自身が『叫び』の1作目としている作品がこちら。

ティール・ギャラリー蔵
エドヴァルド・ムンク
『絶望』1892

1892年なので『叫び』よりも前の作品ですね。しかも作品名は『絶望』。苦しい雰囲気が漂っています。同じ『絶望』という作品名で、1894年のものもあります。

ムンク美術館
エドヴァルト・ムンク
『絶望』1894

ところで、夕焼けの色が強烈だと思いませんか?オスロ市あたりのフィヨルドの夕焼けは、ほんとにこんな感じの色みたいですョ。

出展:婦人画報HP掲載 伊藤信 撮影

オスロ市内の丘からオスロフィヨルドの夕焼けを写真家の伊藤信さんが撮影したものですが、確かにちょっと不安になるような色をしていますよね。本当に何か聞こえてきそうです。

『叫び』の夕焼けの中に、文字が書き込まれているのを知ってますか?薄くてとても見えにくいのですけど、鉛筆で 「Kan kun være malet af en gal mand !(狂人にしか描けなかっただろう)」 と書かれているそうです。

ムンクの『叫び』1893 の一部

青色で囲んだあたりにほんとに薄っすらと書かれています。ムンクが書いたのか他人が書いたのか不明なんだそうです。ムンクが亡くなった後に書かれたものではないようなので、この書き込みについてムンクは知っていたということになりますよね。何れにしても、ムンクは消さずに残しました。(参考資料:artscapeサイト エドヴァルド・ムンク《叫び》- 震える魂「田中正之」影山幸一)

  

悩み多きムンクですが、オスロ大学の講堂の壁画に、明るく力強い作品を残しています。

オスロ大学所蔵
エドヴァルド・ムンク
『太陽』1911年から1916年制作

最初にこの作品を見た時、誰の絵なのか分かりませんでした。ムンクがこんなに光り輝く力強い絵を描くとは思わなかったんです。この作品は壁画の正面になります。横の壁にも描かれています。希望あふれる学生たちの集う場所にぴったりな作品だと思います。

それにしても『叫び』と『太陽』のあまりの画風の違いに驚かされます。『太陽』のような絵も描くようになるのだということを頭に入れて、改めて『叫び』を鑑賞してみると、ちょっと見方が変わっておもしろいかもしれませんョ。