過去記事(大原美術館:『吊るされた鴨』スーティン①)で紹介していますが、なぜこのような絵を描いたのか、筆者はずっと理解できないままでした。
スーティンは本作だけでなく、死骸をテーマとした作品を数多く残しています。その中の1つがこちら👇
牛の死骸が吊るされているのが分かります。制作年が『吊るされた鴨』と同じですね。背景の色味や雰囲気もとてもよく似ています。このタイプの絵をなぜ数多く描くのかずっと気になっていたので、地味にアンテナを張っていました。そしてやっと興味深い説に辿り着きました👍
まずこちらをご覧ください👇
あの有名な巨匠レンブラントの『屠殺された牛』1655です。よく似てますよね。レンブラントといえば、300年ほど前の画家です。死をテーマにしたこんな感じの類似作品が昔からあったということになんだか驚きです。この作品はしばしば、「ヴァニタス(人生の空しさの寓意)」、「メメント・モリ(自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな)」を表現したものと解釈されています。
レンブラントの『屠殺された牛』は、スーティンも含め多くの画家たちを啓発してきたとありました。そしてこの作品の肉塊は、「十字架上のイエス・キリストを想起させるほどの崇高さを持っている」とする見解があったんです。数ある解釈の1つだとは思いますが、このタイプの作品は宗教画に近いものだったということなんでしょうか? もしそうなら、スーティンがこのタイプの絵を数多く描いたのが理解できるような気がしました。
それにしても、レンブラントの方は牛が光っているように見えるためか、なんだか神々しく思いますが、スーティンの方はどうなんでしょう? 筆者にはもう少し身近な感じがします。「生き物に感謝してありがたくいただきましょう」という見方でも良いのかもしれませんね。