大原美術館:『キリストとマドレーヌ』デヴァリエール①

マドレーヌとは誰のことでしょう?

大原美術館
『キリストとマドレーヌ』1905
ジョルジュ・デヴァリエール(1861-1950)

【鑑賞の小ネタ】
・フランスの画家
・風俗画から徐々に宗教画へ
・第1次世界大戦に従軍
・17歳の息子が戦死
・教会のステンドグラスも手掛ける

絵の上部に「JESUS CHRISTUS SANCTA MARIA MAGDALENA」と書かれています。マグダラのマリア(聖母マリアとは別の聖女)はラテン語でマリア・マグダレーナ( MARIA MAGDALENA )、フランス語でマリ=マドレーヌ(Marie-Madeleine)または聖マドレーヌ(Sainte Madeleine)と呼ばれるそうです。ちなみにSANCTAはラテン語で「聖人、聖なる」という意味です。作品名にあるマドレーヌとはマグダラのマリアのことでした。

作品『キリストとマドレーヌ』のキリストは、いばらの冠を被せられ、赤い服を着ていますね。キリスト教においては、十字架にかけられたキリストの血に通じる聖なる愛の色で、「神の愛」「キリストの贖罪(しょくざい:犠牲や代償を捧げて罪をあがなうこと)の血」を象徴しています。そして、マグダラのマリア(マドレーヌ)は、長い髪(多くは金髪)に香油壺を持つという姿で描かれることが多いのですが、この絵ではどうでしょうか?金髪の長い髪はよく分かりますね。香油壺はどこでしょう?筆者には見つけられませんでした。

ところで、この二人の状況、どう見えますか? 筆者の第一印象は、傷つけられ一人で立つことができなくなったキリストを、マドレーヌの力で抱えて立っている(歩いている)というものでした。でも、聖書的にはいつの段階?と疑問に思いました。いばらの冠を被っているということは磔刑(たっけい:十字架刑)の前から直後、そして赤い服を着ているということは、磔刑後なんでしょうか?ただ、マグダラのマリアはキリストの側にいた聖女であることは間違いないのですが、このような状況で聖書に登場することが果たしてあったのか?そもそも磔刑後、キリストがこのように立つ(キリストの復活は別として)ようなことがあったのか?色々調べてみましたが、筆者にはよく分かりませんでした。

ところがその答えは、現在展示中のこの絵の説明書きの中にありました。聖書には記述がない場面として解説されていたんです。宗教画といえば、聖書のどの場面だなと分かる作品が多いものですが、そういう意味では『キリストとマドレーヌ』は少し珍しいタイプの宗教画なのかもしれませんね。

キリストがマドレーヌに抱えられて立っていると思われたこの絵、もう一度しっかり見直してみることにしました。 キリストの右手はだらりと下がっていますね。左手はどこでしょう?マドレーヌの金髪と同じような色なので少し分かりにくいのですが、マドレーヌの左肩辺りに爪のようなものが描かれています。爪だとすると、これがキリストの左手ということになりますね。なんとキリストはマドレーヌの左肩をしっかり抱えていたんですね!パッと見だと分かりませんでした。そうなると、自力で立つことは難しいと思われたキリストに力を感じることができます。 マドレーヌの方はどうでしょう?左手はキリストの胸にそっと当てられ、右手はマドレーヌ自身の胸に当てられているように見えます。右手がこの状態だとキリストの体をマドレーヌの力だけで支える(持ち上げる)ことはできませんよね。持ち上げ立たせるには、少なくとも右手はキリストの腰あたりにまわす必要がありそうです。ということは、見方が全く変わってくる予感です。

この絵は、キリストとマドレーヌ、二人の力で立っている絵なのではないでしょうか?いばらの冠を被せられ、傷つきうなだれた様子のキリストではありますが、左手でマドレーヌの肩をしっかり抱き、立つことはできるけれども倒れそうになるキリストの体をマドレーヌの左手がそっと支える。そして、マドレーヌの肩に置かれたキリストの左手は、自身が倒れないためだけに置かれているのではなく、マドレーヌを守り包み込む意味合いが強いと筆者は思っています。心身ともにお互いを支え合っている絵というわけです。

第一印象とはかなり違った解釈になりました。絵は隅々までじっくり見るものだなぁと改めて感じました。

制作年が同じで、キリストの様子がよく似た作品を見つけました👇

個人蔵
『聖心』1905

「聖心」とは「聖なる心臓(御心)」のことで、キリストの人類に対する愛の象徴である心臓、またそれに対する崇敬を示すことばということです。宗教色が強い作品といえそうです。

パリ出身のデヴァリエールは、宗教的な教育を受けました。最初は肖像画を描いていたようですが、ギュスターヴ・モロー大原美術館:『雅歌』モロー)との関係により、神話と宗教に興味を持ちました。本格的に宗教美術へ傾いていったのは、第1次世界大戦中1915年に息子を失った(17歳だった息子ダニエルは父デヴァリエールから数マイル離れた場所で戦死)後からだそうです。戦争に関連した公的および私的な装飾プログラムに関わり、数多くの作品を残しました。その取り組みの中には教会のステンドグラスもあり、大原美術館の『キリストとマドレーヌ』の構図を転用(図録:『大原美術館展 異文化は共鳴するのか? 大原コレクションでひらく近代への扉』より)した作品があるそうです。

投稿記事(大原美術館:『キリストとマドレーヌ』デヴァリエール②)へ続く。