セザンヌとゾラ ~林檎🍎~

画家ポール・セザンヌ(1839-1906)と小説家エミール・ゾラ(1840-1902)、少年時代からの親友であったことは有名な話です。

出典:Wikipedia ポール・セザンヌ
出典:Wikipedia エミール・ゾラ

多くのエピソードを今に残す両者ですが、筆者はリンゴにまつわる二人の話が好きです。

セザンヌはリンゴの絵を多く描きました。
よく見かけるのはこちらの絵でしょうか👇

オルセー美術館
ポール・セザンヌ
『林檎とオレンジ』1895-1990

その他にも、リンゴをモチーフとした作品を数多く描いています。

オランジェリー美術館
ポール・セザンヌ
『リンゴとビスケット』1895

2016年のフランスの伝記映画に『セザンヌと過ごした時間』という、セザンヌ没後110年を記念して製作された作品があります。セザンヌとゾラの友情が色濃く描かれています。それによると、セザンヌとゾラの出会いは中学時代で、「移民の子」といじめられていたゾラをセザンヌが助けたことから友情が始まっています。そしてゾラは、助けてもらったお礼にと、セザンヌにリンゴをプレゼントしています。

その後ゾラは小説家として成功して行きましたが、セザンヌの絵はなかなか認めてもらえず、苦しい日々を送ることとなります。その間、ゾラはセザンヌを支え続けました。ところが、1886年にゾラが発表した『制作』という小説で、セザンヌから絶交されてしまいます。小説の登場人物の悲惨な生涯と自分(セザンヌ)が、セザンヌ的にはかぶって見えてしまったようです。つまり、自分(セザンヌ)の悲惨な人生を親友ゾラが小説にしたと思い込み、傷ついてしまったというわけです。ただ、ゾラ的はそんなつもりはなかったように思いますけど。

セザンヌの残した言葉に、
Avec une pomme, je veux étonner Paris !(リンゴひとつでパリを征服する)というものがあります。「リンゴでパリを驚かせてやる!」といった意味です。実際セザンヌは、その後、「近代絵画に父」として言及されるような巨匠になるわけですが、この「リンゴで」、というところに筆者はグッときます。自分の新たな表現のモチーフとしてセザンヌはリンゴを選んでいますよね。様々な理由からリンゴだったのだとは思いますが、リンゴを選んだ理由の1つに、きっとゾラとの思い出があったのではないかと筆者は思っているんです。

    

2014年に興味深い手紙が発見されています。絶交した後の手紙とされていて、セザンヌがゾラ宛に「君がパリに帰ってきたら会いに行くよ」とういう内容のものだったそうです。本物かどうか議論が続いているようですが、筆者は本物と信じたい。

これまでの通説は、絶交してしまったセザンヌとゾラ、ということです。研究者によって様々な捉え方があるようですが、筆者は、出会った時から最期まで、没交渉の時ですら、お互いをリスペクトし続けたのではないかと思っています。

ちなみに、セザンヌのモチーフ「リンゴ」は、後のキュビスム(ピカソのあの絵)に影響を与えた等、言及すべき内容満載なのですが、ここでは、ゾラとの思い出のリンゴにただただ焦点を当ててみました。美術史(今回の場合、ロマン主義・写実主義からの印象派→ポスト印象派)を念頭に、絵画鑑賞するのはもちろん楽しいのですが、ピンポイントのエピソードをゲットして、それを頼りに、自分なりに想像(妄想)しながら絵を見てみるのもなかなかおもしろいですョ(^-^)