美観地区から倉敷川に沿って南下して行くと、石階段が印象的な倉敷川公園にたどり着きます。フランク・ロイド・ライト(1867-1959)の建築のような、雰囲気のある造形だと勝手に思っています。(※フランク・ロイド・ライトはアメリカの建築家。近代建築の三大巨匠の1人。日本にもいくつかの作品を残し、中でも旧帝国ホテル本館が有名)
石碑がありました。この辺りはかつて御船(みふね)町と呼ばれていたようです。
〖倉敷川の新前神橋から入船橋の下流までの西岸に沿った細長い区域。昭和九年には現在地に船だまり(倉敷港)が設けられ、舟運の拠点になった。昭和四十六年十二月に廃止された。〗と書かれています。どうやらここは、船だまり(港)だったようですね。倉敷川がかつて海に通じる運河だった(過去記事、倉敷川の水源、続・倉敷川の水源)証がここにもありました。
〖 溜 船 川 敷 倉 〗
〖 工 竣 月 三 年 九 和 昭 〗
と草書で書かれています。
そしてちゃんと高灯籠もありますね。この高灯籠は多分、船だまり(港)跡ということで、近年になって設置されたものだと思います。特に説明書きは見当たりませんでした。
ところで、倉敷川公園まで歩く途中に、今まで気が付かなかった「橋」を見つけました。立派な台座を持った歩道の欄干ぐらいにしか思っていませんでした。
そして、台座の下の方に橋の名前を見つけました。 ちなみに奥に見える橋は「入船橋」です。
「御舩橋」と書いてありますね。かつてこの辺りは御船町だったのでその名残りだと思います。 橋の下を覗いてみると、支流(用水路?)と倉敷川の合流地点になっていました。
歩道に突如として現れる「橋」。歩道部分は普通に、一般的な歩道として舗装されていますが、欄干の台座や橋の名前をちゃんと残しているところに、何らかの配慮を感じます。そして、どんな橋なのかは分かりませんが、昔からこの場所には「橋」が架かっていたのではないかと思うのです。その「橋」は、住民にとって思い入れのある大事な「橋」だったのかもしれませんね(^-^) また古地図で調べてみたいと思います。