何歳くらいの女性でしょうか。色々意見が分かれそうですね。
【鑑賞の小ネタ】
・マティスはフォーヴィスムの巨匠
・20世紀最大の画家の1人とされる
・この女性はマティスの娘マルグリット
・手元に長らく置いてあった作品
・色と色の境目に注目
大原美術館には他にもいくつかマティスの作品が所蔵されていますが、この作品が一番有名かもしれません。マティスはフォーヴィスムの巨匠で、20世紀最大の画家の1人とされています。
フォーヴとは野獣のことです。原色を多用した強烈な色彩と激しい筆使いに対して、批評家のルイ・ヴォ―クセルが「野獣(フォーヴ)の檻の中にいるようようだ」と発したことが由来とされています。
「マティス嬢」とは、マティスの娘のマルグリット(1894-1982)のことです。
マルグリットは、妻メアリとの間の子ではありませんが、メアリによって育てられました。上の写真の一番右の女性がマルグリットです。首に黒いリボンをしているのが分かるでしょうか? 6歳の頃、病気のため気管切開をしたようで、その傷跡を隠すためによく首に巻いていたそうです。
『帽子をかぶったマルグリット』の首には、黒いリボンが巻かれています。大原美術館の『マティス嬢の肖像』の首は見えませんが、ダークブラウンのファーのようなもので覆われていますね。制作年は両方とも1918年で、マルグリットが24歳の頃。服の色や形もよく似ていると思います。『マティス嬢の肖像』を初めて見た時、首元が描かれていないので、顔が浮かび上がって見えて、少し不自然に思ったことを覚えています。もしかしたら、上記のような理由から、あえてのそように描かれたのかもしれませんね。
マティスの作品に何度も登場するマルグリットですが、どんな女性だったのでしょうか? マルグリットは第二次世界大戦中、レジスタンス活動に参加していたようです。ゲシュタポ(ナチス・ドイツの秘密国家警察)に逮捕され、強制収容所へ送還される途中、列車から逃亡することに成功したそうです。救出されるまで森の中に隠れて生き延びたという話もありました。第二次世界大戦は1939年から1945年で、マルグリットは1894年生まれなので、40代後半ということになります。ちなみに育ての母親であるマティスの妻メアリもレジスタンス活動に参加していたそうです。
マルグリットの目を見てみてください。すっと描かれていますが、どれも目力があると思いませんか? その人に歴史ありですね。
ところでマティスの画風、ちょっと切り絵っぽくないですか?色と色の境目がはっきりしているからかもしれませんが。(実際マティスは晩年、切り絵にたどり着きます。)そして、色と色の境目がはっきりする理由の1つに、重ね塗りがあるかもしれません。
『赤の食卓』は、最初は全体に緑が塗られていたそうです。その後、青に塗り替えられ、最終的に赤が塗り重ねられたそうです。緑→青→赤、色の変化を想像してみてください。絵全体のイメージが随分変わりますよね。大原美術館の『マティス嬢の肖像』も、そもそもバックの色は、どうやら青色だったようですョ。マティス嬢の輪郭をじっくり見ていくと、写真では解りにくいのですが、確かに青色がチラチラ見えるんです。バックの黒色も、何となく、青っぽい黒に見えなくもないですよね。何度も塗り直しているだけ?と一瞬思ったりするのですが、そうではなく、それら全ての工程がマティスの意図するところであり、マティスの芸術だったのだろうと思います。
大原美術館の『マティス嬢の肖像』は、マティスが長く手元に置いていた大事な作品です。思い入れのある作品だったんですね。またじっくり鑑賞してみたいと思います。