過去記事で、ロートレックとボナールのポスターについて少し書きましたが、筆者はミュシャのポスターも大好きです。ミュシャはアール・ヌーボーを代表する画家です。筆者の自宅の壁には、ジクレープリントポスターがいくつか飾られているのですが、その中の1つにミュシャのポスターもあります。
次の作品は、ミュシャの出世作『ジスモンダ』です。ミュシャの芸術家人生の転機となった作品といえます。
『ジスモンダ』のポスターは、ミュシャについて語る時、外すことが出来ない作品なので、ファンにはお馴染みの作品ではないでしょうか。モデルはフランスの舞台女優のサラ・ベルナールです。
『ジスモンダ』の制作に至るまで、ミュシャは主に本や新聞、雑誌の挿絵の仕事をして生計を立てていました。
1894年12月26日、ミュシャは、友人のクリスマス休暇の代わりに、ルメルシエ印刷所で校正の仕事をしていました。そこに、サラ・ベルナール主演の宗教劇『ジスモンダ』のポスターの依頼が舞い込んだのです。急遽舞台の再演が決定したため、翌年の1月1日までにポスターを用意しなければならなくなったそうです。クリスマス休暇中だったため、そこにいたデザイナーはミュシャ1人でした。ミュシャはその仕事を引き受け、短期間で仕上げました。印刷所のスタッフには不評だったようですが、サラ・ベルナールはとても気に入り、ミュシャを無言で抱きしめたといいます。パリの街中に貼り出されたポスターは大評判になり、大満足したサラ・ベルナールは、その後6年間にわたる独占契約をミュシャと結びました。
ミュシャの人生が大きく動いた瞬間だったと思います。何が起こるか分からないものですね。ちなみに、しばしば伝説的に語られるこのエピソード、実際は少し違うようで、ミュシャがサラ・ベルナールからの仕事を受けるのは、これが初めてというわけではなかったそうです。ポスターで成功するきっかけとなった作品がこの『ジスモンダ』ということですね。
ボナール(『フランス=シャンパーニュ』)とロートレック(『 ムーラン・ルージュのラ・グーリュ 』)のあの画期的なポスターの制昨年は1891年です。19世紀末のポスター業界は変革期と言えるかもしれませんね。
人々が休暇中、粛々と仕事をし、チャンスを掴んだこのエピソード、筆者は妙に好きです。(もしかしたら作品よりもエピソードが好きなのかもしれません。)何事も、真面目に日々向き合っていれば、なるようになって行くものですね。
【豆知識】
よく耳にするアール・ヌーボー(フランス語 で「Art nouveau」)とは、「新しい芸術」という意味です。19世紀から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパで興った国際的な美術運動です。自然(花や昆虫など)をモチーフとし、自由な曲線と装飾的なデザインが特徴です。よく混同されやすい言葉でアール・デコがありますが、こちらは、幾何学的な模様でシンプルなデザインが特徴です。アール・ヌーボー衰退後に登場したのがアール・デコということになります。