モネの『睡蓮』シリーズ、大原美術館にもあります。
【鑑賞の小ネタ】
・モネの自宅ジヴェルニーの庭の睡蓮
・大原美術館には株分けされた睡蓮あり
・「睡蓮」がテーマの作品は複数あり
・モネは親日家
・水面の映りこみに注目
・『印象・日の出』は印象派の名前の由来
モネは「睡蓮」をテーマとした作品を数多く残しています。大原美術館のこの『睡蓮』は、児島虎次郎(画家であり、大原美術館の美術作品の収集活動をした人物)がモネの住むジヴェルニーを直接訪れて譲ってもらった作品のようです。モネが作品を譲るにあたり、候補の作品がいくつかあったようなのですが、児島虎次郎はモネが15年もの間、手元に大切においていたこの作品を選んだそうです。(参考資料:大原美術館HPより)
制作時期が同じ頃で、構図が似ている作品がありました。こちらです。
構図はよく似ているのですが、筆使いが随分違いますね。大原美術館の『睡蓮』は、全体的にふわっとした柔らかさを感じます。霧か靄(もや)がかかったようにも見えます。ジヴェルニーの庭の池は、かなり大きいので、その時実際そうだったのかもしれませんね。
ほんとに大きな池です。ちょっと分かりにくいのですが、中央に日本の太鼓橋が見えます。立派な枝垂れ柳も植えられていますね。『睡蓮』の絵の水面に注目してください。柳が映り込んでいるのが分かるでしょうか?空や雲も。モネは水面も大事に描いたようですョ。
モネは葛飾北斎や歌川広重を愛好していて、浮世絵から発想を得ていたのではないかと考えられているそうです。 モネは親日家でした。 こうしてみると、日本の浮世絵に影響を受けたという印象派の画家は結構多いですね。
ところで、印象派の「印象」という名前は、モネの代表作『印象・日の出』が由来です。モネは仲間たちと、サロンとは独立した展覧会(第1回印象派展)を1874年に開催していて、その時にモネが出展した作品が『印象・日の出』でした。この作品の社会からの評価は酷いものだったようです。元々、揶揄する意味で使われた「印象」という言葉ですが、印象派の画家たちによって、逆に使われるようになっていきます。
晩年の同じような構図の『睡蓮』です。筆使いがさらに違ってきているのが分かります。
モネは晩年、白内障を患いました。1908年頃に目の異常を感じ始めて、1912年の夏頃、白内障と診断されています。この『睡蓮』は1916年なので、白内障の影響が何かあったかもしれません。ちなみに、モネの最晩年の作品は抽象画っぽいです。
橋は判別できますね。なんとなく柳も。きっと睡蓮も描かれているんだと思います。モネの中にある「印象」をぶつけた抽象画って感じだなと思いました。
大原美術館の中庭には池があり、毎年、黄色やピンク色の睡蓮が見事に咲きます。2000年にジヴェルニーの庭の池から株分けされた睡蓮です。「モネの睡蓮」の実物というわけです。現在の睡蓮の様子を撮影して投稿したいところですが、大原美術館は長期休館中なので、またの機会にします。