痩せてはいますが、骨格はしっかりしているように思います。
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シャルル・コッテ(1863-1925)
『荒地の老馬』1898
【鑑賞の小ネタ】
・ブルターニュ地方の海岸沿いの荒地
・この馬はどんな馬?
・なぜ老馬がモチーフに?
・この頃の作品は全体的に暗い色調
コッテがフランスのブルターニュ地方を訪れた時に描いた絵のようです。ブルターニュ地方は大西洋に面した半島です。後景に海が見えますね。石垣と柵が描かれているので、野生馬ではなく飼われている馬だと思います。ブルターニュ地方原産の中量級の輓(ばん)用馬 、「ブルトン」馬でしょうか? 輓用馬 とは、車を引っ張る馬のことです。ブルトン馬の特徴は、頸が短く、胴が太くてたくましく、距毛(足元の毛)が少ないということのようです。この絵の老馬を見てみると、痩せてはいますが胴回りが大きいですよね。そして、顔が大きく感じるほど、頸が短いと思います。筆者の第一印象は、ロバ?でしたから。
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海岸付近の荒地で、石垣と柵で区切られている様子が描かれている絵が他にもありました。
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『茅舎(ぼうしゃ)』
コッテの絵の紹介は、これで3作品目です。『セゴヴィアの夕景』、『聖ジャンの祭火』、そして本作品『荒地の老馬』です。どの作品もかなり暗い色調ですよね。
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シャルル・コッテ
『Las veredas enBretana』1890-1900
コッテは、「バンド・ノワール(黒の一団)」と呼ばれる画家グループの一員だったようです。 ギュスターヴ・クールベ(1819-1877) の写実主義のスタイルを継承している画家たちのグループで、 エミール=ルネ・メナール(1862-1930) もその一員です。
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ギュスターヴ・クールベ(1819-1877)
『シヨン城』1874
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エミール=ルネ・メナール(1862-1930)
『秋の森』
クールベの絵は、『秋の海』という作品が 大原美術館にもありましたね。
ところで、ブルターニュ地方は中世の間、ブルターニュ公国というほぼ独立国家でした。ケルト系民族のブルトン人(ブルターニュ人、ブレイス人ともいう)が暮らしていたようです。ブルターニュがフランス国家に組み込まれたのは、フランス革命後の1789年なんだそうです。ブルトン語も話されていましたが、フランス政府によって格下の言語の扱いを受けました。ブルトン語の保護を求める動きが出たのは近年になってです。2008年、地域言語を「フランスの文化遺産」とする憲法改正案がフランス国民会議で通過しています。
現代のブルトン・ナショナリズムは、19世紀後半から20世紀初めにかけて発展しています。コッテが活動した時期とあてはまります。素朴な自然、信仰と結びついた祝祭、伝統が残る自給自足の生活などが評判を得たようです。ますますこの絵の馬が「ブルトン」馬に見えてきました。ブルターニュ地方原産のしっかり働いてきた老馬に対して、敬意をもって描いたのかもしてませんね。絵のモチーフとしては普通駿馬を描きそうなところですが、痩せた老馬を選ぶあたりにコッテの様々な想いを感じるところです。