大原美術館:『聖ジャンの祭火』コッテ

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焚火のまわりに、何人いるんでしょうね。

大原美術館
シャルル・コッテ(1863-1925)
『聖ジャンの祭火』1900年頃

【鑑賞の小ネタ】
・聖ジャンとは誰なのか?
・絵の中に何人描かれている?
・絵の中の焚火は1つではない。
・この場所はどこなのか?

聖ジャンとは誰でしょうか? シャルル・コッテはフランスの画家なので、フランス語で考えてみたいと思います。 ジャン=バティストまたはジャン・バティストは、フランス語でよく見られる男性名なんだそうです。これは、洗礼者ヨハネにちなんだものです。洗礼者ヨハネの本名は、フランス語で「Jean le Baptiste」なので、聖ジャンとは、洗礼者ヨハネ(聖ヨハネ)のことでいいと思います。

6月24日はキリスト教のお祭り、聖ヨハネ(Saint Jean)の日です。前夜祭として各地で祭りが行われるそうです。夏のクリスマス・イブみたいですね。

出展:Wikipedia 聖ヨハネの前夜祭 フランス

夏至(南半球では冬至)近くのお祭りなので、キリスト教と関係のない各地の夏至祭と結びついて、「火祭り」として祝われることが多いそうです。

ノルウェーの夏至祭のたき火(1906年)

『聖ジャンの祭火』の中に描かれている人たちを見てください。子どもが多いですよね。暗くて何人いるか分からないのですが、結構な人数が集まっていることが予想されます。後方にポツポツと白っぽい点があるのが見えるでしょうか?そこでもきっと火が焚かれているんでしょうね。あちらこちらで「火祭り」が行われていると想像することができます。そうなると、ぐっと絵に奥行きが出てきて、広がった感じがしませんか?

  

ところで、「聖ジャン」と検索をかけて一番に出てくるのは、ジャン=バティスト・ド・ラ・サール でした。初めはこの聖人のお祭りなのかと思っていました。ジャンとヨハネが結びつかなかったもので。ジャン=バティスト、洗礼者ヨハネにちなんだ名前でしたよね。この聖ジャンは、フランスの宗教家(カトリックの司祭)で、教育者でもあったようです。「ラ・サール」と言えば、日本にもこの名が付く学校がいくつかありますよね。その「ラ・サール」なんです。

名前に「ド」があるので、貴族です。当時の西欧では、上流階級の子女だけが、家庭教師からラテン語による教育を受けるのが一般的だったのに対し、平民の子どもにフランス語(日常用語)で教育を行ったそうです。学年毎にカリキュラムも設定し、現代の義務教育の基礎を作ったとも言われています。当時の迫害はすさまじかったようで、1719年に亡くなるのですが、その頃には司祭職をはく奪されています。街の人々にとってジャンは、この頃から聖人としてみられていたようですが、教皇によって聖人に列せられるのは1900年になってからです。なかなか理解されなかったことが分かります。1950年にすべての教育者の守護聖人と宣言されています。

ここで注目です。この絵の制作年は1900年頃です。まさに、ラ・サールが聖人に列せられた時期なんです。偶然だとは思いますが…。 もしかしたらコッテは、ラ・サールが聖人に列せられたことに触発されて、描いたのかもしれません。そして、洗礼者ヨハネの誕生を祝うと同時に、ラ・サールについても祝っているのかもしれません。ちょっと想像し過ぎでしょうかね。 何れにしても聖ヨハネの前夜祭、クリスマス・イブのように盛り上がりそうですね。