首をかしげて悩まし気な様子の肖像画です。
【鑑賞の小ネタ】
・モディリアーニが亡くなる前年の作品
・ジャンヌはモディリアーニの内縁の妻
・ジャンヌはこの時二人目を妊娠中
・瞳孔(黒目)を描かない目に注目
・モディリアーニはそもそも彫刻家
モディリアーニは1900年16歳の時に結核にかかっています。生涯にわたり病弱だったようです。そもそも彫刻家を目指していたのですが、彫刻は体力を使うということで、徐々に絵画の方へ重きを置きました。
肖像画は、彫刻の様子とよく似ていることが分かります。それにしてもシューっと細長いですよね。しかもシンプル。当時、パリ万博などを通して、プリミティブ(原始的)な芸術への注目度が高まっていました。アフリカやオセアニアなどの仮面や彫刻がパリにもたらされました。そしてモディリアーニはアフリカの仮面にとても興味を持ったようです。確かにモディリアーニの彫刻は仮面っぽいですね。
1917年3月にジャンヌに出会い、程なく同棲を始め、1918年転地療養のためニースに滞在し、同年11月に長女ジャンヌが誕生しています。1919年7月にジャンヌと結婚を誓約しましたが、1920年1月24日、結核性髄膜炎により35歳で死去しました。そしてジャンヌも翌日、後を追って飛び降り自殺をしました。この時、妊娠9カ月だったといいます。
ちょっとここで、「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」の薄い青色の目に注目してみたいと思います。初期のジャンヌの肖像画には瞳孔がしっかりありました。
本来ジャンヌの瞳孔の色は青いらしいのですが、この瞳孔は黒いですね。何れにしてもしっかり描かれています。
瞳孔がほぼ輪郭だけになっています。制作月がはっきりしないので断言できませんが、きっと、薄い青色の目の前段階ではないかと思います。
完全に瞳孔はなくなり、薄い青色の目になっています。大原美術館のジャンヌととてもよく似ていますが、こちらの方が少し表情がやわらかいように思います。
ところで、モディリアーニはなぜ瞳孔を描くことをやめたのでしょうか? モディリアーニの晩年は、結核に加え、過度の飲酒、薬物依存など不摂生で荒廃した生活でした。ジャンヌは常に不安にかられた生活を送っていたと思われます。そしてそれは表情にもきっと出ていたはず。様々な感情が交錯して、モディリアーニはもしかしたら瞳孔が描けなかったのかもしれません。描かない方が真実に近づくみたいなあの感じです。それらの思いを最もよく表現できているのが大原美術館のジャンヌではないかと筆者は思っています。もし瞳孔が描かれていたら、読み取れる感情の幅も狭くなっていたような気がします。説明しない(瞳孔を描かない)方が伝わるということだと思います。
瞳孔のない薄い青色の目、奥深いですね。