大原美術館:『カレーの市民ージャン=デール』ロダン

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大原美術館本館入口、向かって右側に立っています。

2020年2月撮影 大原美術館本館入口前

左側には同じくロダン作の『説教する聖ヨハネ』が立っています。館外ということで写真撮影は自由です。記念撮影をする観光客の姿がよく見られます。

大原美術館
オーギュスト・ロダン(1840-1917)
『カレーの市民-ジャン=デール』1884-1886

【鑑賞の小ネタ】
・『考える人』で有名なあのロダンの作品
・『カレーの市民』は6人の群像
・大きな鍵を持っている
・戦時中の金属類回収令から免除される

『カレーの市民』は、イギリスとフランスの百年戦争(1337~1453)のエピソードをもとに制作されました。イギリス王のエドワード3世は、フランス北部の重要な港町カレーをほぼ一年間も包囲(カレー包囲戦1346年9月4日~1347年8月3日)しました。長引く包囲戦のため、カレー市民は飢餓に陥り、降伏を余儀なくされました。エドワード3世は、カレーの主要な人物6人の命と引き換えに、カレー市民を救うと持ち掛けました。そしてその6人に対して、下着姿で首に縄を巻き、城門の鍵を持って出頭するよう要求しました。市民のために、自ら6人が名乗り出たわけですが、最初に進み出たのは長老のウスタシュ・ド・サン・ピエールで、次に続いたのがジャン=デールだったそうです。
エドワード3世の妃の説得(生まれてくる子どもに殺戮は悪い前兆になるから止めて!)により処刑は中止されましたが、この勇敢な6人の逸話は後世にまで語り継がれることとなります。

余談ですが、名前に「」がある人を時々見かけると思います。カレーの市民のウスタシュ・・サン・ピエール 、ポスターで有名なアンリ・・トゥ―ルーズ=ロートレック等々。言語圏によって異なるようですが、貴族階級出身者の証なんだそうです。「」 はフランス系貴族です。カレーの市民6人のうち4人の名前に「」がありました。ジャン=デールは貴族ではなく、誠実な商人だったそうです。

ロンドン ウエストミンスター宮殿 ヴィクトリア・タワー・ガーデン
『カレーの市民』 1908年鋳造、1915年設置

右から2番目がジャン=デールです。大きな鍵を持ち、首には縄が見えます。オリジナルの鋳型から作られる『カレーの市民』は、ロダンの死後、12点しか鋳造されませんでした。

大原美術館の『カレーの市民-ジャン=デール』は、1922年に児島虎次郎がロダン美術館で交渉し、鋳造してもらったものだそうです。長引く戦時下で、金属類回収令が出され、供出(キョウシュツ:政府などの要請に応じて金品などを差し出すこと)物件とされましたが、免除されています。岡山県下で約170体の銅像が供出対象となり、残されたのは、大原美術館のロダン作品『カレーの市民』と『説教するヨハネ』の2体を含め、計7体のみだったそうです。ロダン作品は敵側の芸術作品でもあるので、よくぞ残されたと感動します。(大原美術館ホームページ参照)

ところで、6人の中から、なぜ、ジャン=デールを選び鋳造してもたったのでしょうか?6人の表情を見比べてみてください。不安や苦悩を表現したものが多いと思いませんか?そうした絶望的な雰囲気の中で、ジャン=デールだけ、すっと前を向き全てを受け入れた表情で静かに力強く立っている感じがするのです。重要な城門の鍵も持っていますね。ジャン=デールが選ばれた理由はその辺りなのかなと想像しています。